うひ山ぶみ / 注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべし
後世の人のやうに、思ひめぐらして、よくよまんとかまへ、たくみてよめることはなかりし也、然れども、その出來たるうへにては、おのづからよく出來たると、よからざるとが有て、その中にすぐれてよく出來たる哥は、世間にもうたひつたへて、後ノ世までものこりて、二典に載れる哥ごもなど是也、されば二典なる哥は、みな上代の哥の中にも、よにすぐれたるかぎりと知べし、古事記には、たゞ哥をのせんためのみに、其事を記されたるも、これかれ見えたるは、その哥のすぐれたるが故なり、さてかくのごとく哥は、上代よりして、よきとあしきと有て、人のあはれときゝ、神の感じ給ふも、よき哥にあること也、あしくては、人も神も、感じ給ふことなし、神代に天照大御神の、天の石屋にさしこもり坐し時、天ノ兒屋根ノ命の祝詞に、感じ給ひしも、その辞のめでたかりし故なること、神代紀に見えたるがごとし、哥も准へて知ルべし、さればやゝ世くだりては、かまへてよき哥をよまんと、もとむるやうになりぬるも、かならず然らではえあらぬ、
新字:後世の人のやうに、思ひめぐらして、よくよまんとかまへ、たくみてよめることはなかりし也、然れども、その出来たるうへにては、おのづからよく出来たると、よからざるとが有て、その中にすぐれてよく出来たる歌は、世間にもうたひつたへて、後ノ世までものこりて、二典に載れる歌ごもなど是也、されば二典なる歌は、みな上代の歌の中にも、よにすぐれたるかぎりと知べし、古事記には、たゞ歌をのせんためのみに、其事を記されたるも、これかれ見えたるは、その歌のすぐれたるが故なり、さてかくのごとく歌は、上代よりして、よきとあしきと有て、人のあはれときゝ、神の感じ給ふも、よき歌にあること也、あしくては、人も神も、感じ給ふことなし、神代に天照大御神の、天の石屋にさしこもり坐し時、天ノ児屋根ノ命の祝詞に、感じ給ひしも、その辞のめでたかりし故なること、神代紀に見えたるがごとし、歌も准へて知ルべし、さればやゝ世くだりては、かまへてよき歌をよまんと、もとむるやうになりぬるも、かならず然らではえあらぬ、
書き下し
後世の人のやうに、思ひめぐらして、よくよまんとかまへ、たくみてよめることはなかりし也、然れども、その出来たるうへにては、おのづからよく出来たると、よからざるとが有て、その中にすぐれてよく出来たる歌は、世間にもうたひつたへて、後ノ世までものこりて、二典に載れる歌どもなど是也、されば二典なる歌は、みな上代の歌の中にも、よにすぐれたるかぎりと知べし、古事記には、たゞ歌をのせんためのみに、其事を記されたるも、これかれ見えたるは、その歌のすぐれたるが故なり、さてかくのごとく歌は、上代よりして、よきとあしきと有て、人のあはれときゝ、神の感じ給ふも、よき歌にあること也、あしくては、人も神も、感じ給ふことなし、神代に天照大御神の、天の石屋にさしこもり坐し時、天ノ児屋根ノ命の祝詞に、感じ給ひしも、その辞のめでたかりし故なること、神代紀に見えたるがごとし、歌も准へて知ルべし、さればやゝ世くだりては、かまへてよき歌をよまんと、もとむるやうになりぬるも、かならず然らではえあらぬ、
現代語訳
後世の人のように、思いをめぐらして上手に詠もうと構え、技巧をこらして詠むことはなかったのである。けれども、できあがったものについては、自然とよくできたものとそうでないものとがあって、その中でも特にすぐれてよくできた歌は、世間でも歌い伝えられて、後の世まで残ったのであり、二典(『古事記』『日本書紀』)に載っている歌どもなどがそれである。だから二典の歌は、みな上代の歌の中でも、とりわけすぐれたものばかりだと知るべきである。『古事記』に、ただ歌を載せるためだけにその出来事を記されたと見えるところがあちこちにあるのは、その歌がすぐれていたからである。さてこのように歌は、上代から良いものと悪いものとがあって、人がしみじみと聞き、神が感じ入りなさるのも、良い歌であればこそである。悪い歌では、人も神も感じなさることはない。神代に天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の石屋にこもりなさった時、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の祝詞に感じなさったのも、その言葉がすばらしかったためであることは、『日本書紀』神代巻に見えるとおりである。歌もこれになぞらえて知るがよい。だから、やや時代が下ってからは、構えて良い歌を詠もうと求めるようになったのも、必ずそうならずにはいられない、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし上代のさま、中古の人は、中古のさま、後世の人は、後世のさま有て、おのおのそのいへる言となせる事と、思へる心と、相かなひて似たる物なるを、今の世に在て、その上代の人の、言をも事をも心をも、考へしらんとするに、そのいへりし言は、歌に伝はり、なせりし事は、史に伝はれるを、その史も、言を以て記したれば、言の外ならず、心のさまも、又歌にて知ルべし、言と事と心とは其さま相かなへるものなれば、後世にして、古の人の、思へる心、なせる事をしりて、その世の有さまを、まさしくしるべきことは、古言古歌にある也、さて古の道は、典の神代上代の事跡のうへに備はりたれば、古言古歌をよく得て、これを見るときは、其道の意、おのづから明らかなり、さるによりて、上にも、初学のともがら、まづ神代正語をよくよみて、古語のやうを口なれしれとはいへるぞかし、古事記は、古伝説のまゝに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正しく古言をしるべきことは、万葉には及ばず、書紀は、殊に漢文のかざり多ければ、さら也、さて二典に載れる歌どもは、
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしたててよめる人は、たゞ鎌倉ノ右大臣殿のみにして、外には聞えざりしを、吾師ノ大人のよみそめ給ひしより、其教によりて、世によむ人おほく出来たるを、其人どもの心ざすところ、必しも古の道を明らめんためによむにはあらず、おほくはたゞ歌を好みもてあそぶのみにして、その心ざしは、近世風の歌よみの輩と、同じこと也、さればよき歌をよみ出むと心がくることも、近世風の歌人とかはる事なし、それにつきては、道のために学ぶすぢをば、姑くおきて、今は又たゞ歌のうへにつきての心得どもをいはんとす、そもそも歌は、思ふ心をいひのぶるわざといふうちに、よのつねの言とはかはりて、必詞にあやをなして、しらべをうるはしくとゝのふる道なり、これ神代のはじめより然り、詞のしらべにかゝはらず、たゞ思ふまゝにいひ出るは、つねの詞にして、歌といふものにはあらず、さてその詞のあやにつきて、よき歌とあしき歌とのけぢめあるを、上代の人は、たゞ一わたり、歌の定まりのしらべをとゝのへてよめるのみにして、
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしおのづからの勢ヒにて、万葉に載れるころの歌にいたりては、みなかまへてよくよまんと、求めたる物にこそあれ、おのづからに出来たるは、いとすくなかるべし、万葉の歌すでに然るうへは、まして後世今の世には、よくよまんとかまふること、何かはとがむべき、これおのづからの勢ヒなれば、古風の歌をよまん人も、隨分に詞をえらびて、うるはしくよろしくよむべき也、万葉の歌の中にても云々、此集は、撰びてあつめたる集にはあらず、よきあしきえらびなく、あつめたれば、古ヘながらも、あしき歌も多し、善悪をわきまへて、よるべきなり、今の世、古風をよむともがらの、よみ出る歌を見るに、万葉の中にても、ことに耳なれぬ、あやしき詞をえり出つかひて、ひたすらにふるめかして、人の耳をおどろかさんとかまふるは、いといとよろしからぬこと也、歌も文も、しひてふるくせんとて、求め過たるは、かへすかへすうるさく、見ぐるしきものぞかし、万葉の中にても、たゞやすらかに、すがたよき歌を、手本として、詞もあやしきをば好むまじき也、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずしてにて、歌の本意にそむけり、とやうにいふこれ也、まことに一わたりのことわりは、さることのやうなれども、これくはしきさまをわきまへざる論也、其故は、上にいへる如く、歌は、おもふまゝに、たゞにいひ出る物にはあらず、かならず言にあやをなして、とゝのへいふ道にして、神代よりさる事にて、そのよく出来てめでたきに、人も神も感じ給ふわざなるがゆゑに、既に万葉にのれるころの歌とても、多くはよき歌をよまむと、求めかざりてよめる物にして、実情のまゝのみにはあらず、上代の歌にも、枕詞序詞などのあるを以てもさとるべし、枕詞や序などは、心に思ふことにはあらず、詞のあやをなさん料に、まうけたる物なるをや、もとより歌は、おもふ心をいひのべて、人に聞カれて、聞ク人のあはれと感ずるによりて、わが思ふ心は、こよなくはるくることなれば、人の聞クところを思ふも、歌の本意也、されば世のうつりもてゆくにしたがひて、いよいよ詞にあやをなし、よくよまむともとめたくむかた、次第次第に長じゆくは、必ズ然らではかなはぬ、
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし上古のなれば、殊に古言古意をしるべき、第一の至宝也、然れどもその数多からざれば、ひろく考るに、ことたらざるを、万葉は、歌数いと多ければ、古言はをさをさもれたるなく、伝はりたる故に、これを第一に学べとは、師も教へられたる也、すべて神の道は、儒仏などの道の、善悪是非をこちたくさだせるやうなる理窟は、露ばかりもなく、たゞゆたかにおほらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける、さて此万葉集をよむに、今の本、誤字いと多く、訓もわろきことおほし、初学のともがら、そのこゝろえ有べし、みづからも古風の歌をまなびてよむべし、すべて万ヅの事、他のうへにて思ふと、みづからの事にて思ふとは、浅深の異なるものにて、他のうへの事は、いかほど深く思ふやうにても、みづからの事ほどふかくはしまぬ物なり、歌もさやうにて、古歌をば、いかほど深く考へても、他のうへの事なれば、なほ深くいたらぬところあるを、みづからよむになりては、我ガ事なる故に、心を用ること格別にて、深き意味をしること也、
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしさればこそ師も、みづから古風の歌をよみ、古ぶりの文をつくれとは、教へられたるなれ、文の事は、古文は、延喜式八の巻なる諸の祝詞、続紀の御世々々の宣命など、古語のまゝにのこれる文也、二典の中にも、をりをりは古語のまゝなる文有リ、其外の古書共にも、をりをりは古文まじれることあり、これかれをとりて、のりとすべし、万葉は歌にて、歌と文とは、詞の異なることなどあれども、歌と文との、詞づかひのけぢめを、よくわきまへえらびてとらば、歌の詞も、多くは文にも用ふべきものなれば、古文を作る学びにも、万葉はよく学ばでかなはぬ書也、なほ文をつくるべき学びかた、心得なども、古体近体、世々のさまなど、くさぐさいふべき事多くあれども、さのみはこゝにつくしがたし、大抵歌に准へても心得べし、そのうち文には、いろいろのしなあることにて、其品によりて、詞のつかひやう其外、すべての書キやう、かはれること多ければ、其心得有べし、いろいろのしなとは、序、或は論、或は紀事、或は消息など也、さて後世になりて、万葉ぶりの歌を、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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