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中朝事実 / 禮儀章・和歌の起こりと中国の詩との並び

素戔鳴尊遂到出雲之淸地焉。〔淸地。此云素鵞。〕乃言曰。吾心淸淸之。〔今呼此地曰淸。〕於彼處建宮。時素戔鳴尊歌之曰。夜句茂多菟。伊都毛夜覇餓岐。菟磨語味爾。夜覇餓枳菟倶盧。贈廼夜覇餓岐廻。 謹按。是詠歌之始也。初二神旣有唱和。爲憙哉之辭。是乃雖歌曲之父母。未及章句。至此三十一字相備。爲萬世詠歌之基。此後下照姬之夷曲。彥火火尊之擧歌。及人皇。此道日隆。而以至動天地。感鬼神。和上下。正人倫。通事物之情。是乃樂律之其一也。蓋內因七情之蘊。外發其言辭以述其懷者。人情之道也。既有言辭。則有章有句。有章句。以可詠之。則有諷而託之。〔日諷歌。乃外國之風也。〕有陳而直之。〔日加堵倍歌。乃外國之賦也。〕有喩而比之。〔日準擬歌。乃外國之比也。〕有起而引之。〔日譬歌。乃外國之興也。〕有正而平之。〔日正言歌。乃外國之雅也。〕有祝而壽之。〔日祝歌。乃外國之頌也。〕詞林言葉之繁。文海筆藻之廣。千變萬態。亦不出此六義。波流分派。而天下皆詠歌於此。柿本人丸山邊赤人。獨步於古今。神仙于當道。朝廷以之佐敎化。以之試其賢愚。人臣以之諷諫。以之表衷。鬼神以感之。人民以和之。所其繁甚重。所其基太深。而制長歌短歌旋頭混本之類。雜體又不少。況因二神之唱和。上問下答之連歌。〔日本武尊有筑波之詠。乘燭者獻九夜十日之答。〕洋洋乎盈耳。是中國之文物。而猶外國之詩。代代之勅選。家家之別集。五車亦可折轄。且集歌林之良材。聚詞海之浮藻。文人筆之書。女史著之册。豈三萬軸耳乎。及後世漢語相通。外國之詩賦文章亦大行于世。凡李翰林王右丞者。盛唐之詩人。天下稱之。而阿倍仲滿相並贈答唱和。陸龜蒙皮日休者文人也。詩人也。有高致。有聰悟。而釋圓載交擬金蘭。如仲麻呂者。中國之一書生也。唐肅宗上元中。擢左散騎常侍安南都護。累遷北海郡開國公。食邑三千戶。遂卒於唐。是人才不愧於外國也。況吉備眞備博洽也。菅江之名其家。文藻詩集及國史家集之廣布於世。以貴洛紙之價。豈立外國之下風乎。且詩文之入于禪。南禪信義堂〔周信。有空華集。〕相國津絕海〔中津。有蕉堅藁。〕少林岩〔有得巖。〕惟肖。〔有東海璜華。〕建仁江西〔龍派。〕東福鍊虎關〔師鍊。有濟北集。〕嚴東沼〔周殿。有流水集。〕澤天隱〔龍澤。〕三橫川〔景三。有京華集。〕及村庵月舟之等。各橫行而並馳。又不可枚擧也。或疑。先人曰。中朝之文士。發名於外國。粟田阿倍而已。然乃粟田阿倍之才賢於吉備乎。愚謂。粟田入唐。武后賜宴於麟德殿。見外國之史。粟田眞人養老三年卒。無遺行之可稱。於今。仲滿雖播名於外國。中朝又無可知其才。吉備眞備入唐而詳唐禮。博涉經史。以審思明辨。而大興儒風釋典之禮。通武義兵法。以籌平賊。其功尤懿也。故自從八位下轉正二位右大臣。改下道賜吉備姓。凡入唐之輩。無可立此上。竊按。仲麻呂者反之。夫雖信美。而非吾土者。人之情也。仲麻呂放其還鄉不去。卒於唐。終不省父母。不輔王政。家乏。葬禮有闕。又賜其賻賵眷遇如此。而忘其本。豈是才之實乎。唐帝賞之以美官大祿。外國之衰亦可并按也。

新字:素戔鳴尊遂到出雲之清地焉。〔清地。此云素鵞。〕乃言曰。吾心清清之。〔今呼此地曰清。〕於彼処建宮。時素戔鳴尊歌之曰。夜句茂多菟。伊都毛夜覇餓岐。菟磨語味爾。夜覇餓枳菟倶盧。贈廼夜覇餓岐廻。 謹按。是詠歌之始也。初二神既有唱和。為憙哉之辞。是乃雖歌曲之父母。未及章句。至此三十一字相備。為万世詠歌之基。此後下照姫之夷曲。彦火火尊之挙歌。及人皇。此道日隆。而以至動天地。感鬼神。和上下。正人倫。通事物之情。是乃楽律之其一也。蓋内因七情之蘊。外発其言辞以述其懐者。人情之道也。既有言辞。則有章有句。有章句。以可詠之。則有諷而託之。〔日諷歌。乃外国之風也。〕有陳而直之。〔日加堵倍歌。乃外国之賦也。〕有喩而比之。〔日準擬歌。乃外国之比也。〕有起而引之。〔日譬歌。乃外国之興也。〕有正而平之。〔日正言歌。乃外国之雅也。〕有祝而寿之。〔日祝歌。乃外国之頌也。〕詞林言葉之繁。文海筆藻之広。千変万態。亦不出此六義。波流分派。而天下皆詠歌於此。柿本人丸山辺赤人。独歩於古今。神仙于当道。朝廷以之佐教化。以之試其賢愚。人臣以之諷諫。以之表衷。鬼神以感之。人民以和之。所其繁甚重。所其基太深。而制長歌短歌旋頭混本之類。雑体又不少。況因二神之唱和。上問下答之連歌。〔日本武尊有筑波之詠。乗燭者献九夜十日之答。〕洋洋乎盈耳。是中国之文物。而猶外国之詩。代代之勅選。家家之別集。五車亦可折轄。且集歌林之良材。聚詞海之浮藻。文人筆之書。女史著之册。豈三万軸耳乎。及後世漢語相通。外国之詩賦文章亦大行于世。凡李翰林王右丞者。盛唐之詩人。天下称之。而阿倍仲満相並贈答唱和。陸亀蒙皮日休者文人也。詩人也。有高致。有聰悟。而釈円載交擬金蘭。如仲麻呂者。中国之一書生也。唐粛宗上元中。擢左散騎常侍安南都護。累遷北海郡開国公。食邑三千戸。遂卒於唐。是人才不愧於外国也。況吉備真備博洽也。菅江之名其家。文藻詩集及国史家集之広布於世。以貴洛紙之価。豈立外国之下風乎。且詩文之入于禅。南禅信義堂〔周信。有空華集。〕相国津絶海〔中津。有蕉堅藁。〕少林岩〔有得巖。〕惟肖。〔有東海璜華。〕建仁江西〔竜派。〕東福錬虎関〔師錬。有済北集。〕厳東沼〔周殿。有流水集。〕沢天隠〔竜沢。〕三横川〔景三。有京華集。〕及村庵月舟之等。各横行而並馳。又不可枚挙也。或疑。先人曰。中朝之文士。発名於外国。粟田阿倍而已。然乃粟田阿倍之才賢於吉備乎。愚謂。粟田入唐。武后賜宴於麟徳殿。見外国之史。粟田真人養老三年卒。無遺行之可称。於今。仲満雖播名於外国。中朝又無可知其才。吉備真備入唐而詳唐礼。博渉経史。以審思明弁。而大興儒風釈典之礼。通武義兵法。以籌平賊。其功尤懿也。故自従八位下転正二位右大臣。改下道賜吉備姓。凡入唐之輩。無可立此上。窃按。仲麻呂者反之。夫雖信美。而非吾土者。人之情也。仲麻呂放其還郷不去。卒於唐。終不省父母。不輔王政。家乏。葬礼有闕。又賜其賻賵眷遇如此。而忘其本。豈是才之実乎。唐帝賞之以美官大禄。外国之衰亦可并按也。

書き下し

素戔鳴尊、遂に出雲の淸地に到る。〔淸地、此には素鵞と云ふ。〕乃ち言ひて曰く、吾が心淸淸し、と。〔今此の地を呼びて淸と曰ふ。〕彼の處に宮を建つ。時に素戔鳴尊、歌ひて曰く、夜句茂多菟。伊都毛夜覇餓岐。菟磨語味爾。夜覇餓枳菟倶盧。贈廼夜覇餓岐廻。 謹んで按ずるに、是れ詠歌の始めなり。初め二神旣に唱和有りて、憙哉の辭を爲す。是れ乃ち歌曲の父母と雖も、未だ章句に及ばず。此に至りて三十一字相備はり、萬世詠歌の基と爲る。此の後、下照姬の夷曲、彥火火尊の擧歌、人皇に及び、此の道日に隆んにして、以て天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、上下を和し、人倫を正し、事物の情に通ずるに至る。是れ乃ち樂律の其の一なり。蓋し內は七情の蘊に因り、外は其の言辭を發して以て其の懷ひを述ぶるは、人情の道なり。旣に言辭有れば、則ち章有り句有り。章句有りて、以て詠ずべくすれば、則ち諷して之に託する有り、〔諷歌と曰ふ。乃ち外國の風なり。〕陳べて之を直にする有り、〔加堵倍歌と曰ふ。乃ち外國の賦なり。〕喩へて之に比ぶる有り、〔準擬歌と曰ふ。乃ち外國の比なり。〕起こして之を引く有り、〔譬歌と曰ふ。乃ち外國の興なり。〕正して之を平らかにする有り、〔正言歌と曰ふ。乃ち外國の雅なり。〕祝ひて之を壽ぐ有り。〔祝歌と曰ふ。乃ち外國の頌なり。〕詞林言葉の繁き、文海筆藻の廣き、千變萬態、亦た此の六義を出でず。波流れて派を分かち、天下皆此に詠歌す。柿本人丸・山邊赤人は、古今に獨歩し、當道に神仙たり。朝廷以て敎化を佐け、以て其の賢愚を試み、人臣以て諷諫し、以て衷を表し、鬼神以て之に感じ、人民以て之に和す。其の繁き所甚だ重く、其の基く所太だ深し。長歌・短歌・旋頭・混本の類を制するに、雜體も又た少なからず。況んや二神の唱和に因り、上問ひ下答ふる連歌、〔日本武尊に筑波の詠有り、乘燭者九夜十日の答を獻ず。〕洋洋乎として耳に盈つ。是れ中國の文物にして、猶ほ外國の詩のごとし。代代の勅選、家家の別集、五車も亦た轄を折るべし。且つ歌林の良材を集め、詞海の浮藻を聚め、文人之を書に筆し、女史之を册に著す。豈に三萬軸のみならんや。後世漢語相通ずるに及び、外國の詩賦文章も亦た大いに世に行はる。凡そ李翰林・王右丞は、盛唐の詩人にして、天下之を稱す。而して阿倍仲滿、相並びて贈答唱和す。陸龜蒙・皮日休は文人なり、詩人なり。高致有り、聰悟有りて、釋の圓載、交りを金蘭に擬す。仲麻呂の如き者は、中國の一書生なり。唐の肅宗の上元中に、左散騎常侍・安南都護に擢せられ、累遷して北海郡開國公となり、食邑三千戶。遂に唐に卒す。是れ人才の外國に愧ぢざるなり。況んや吉備眞備の博洽なるをや。菅・江の名を其の家にし、文藻・詩集及び國史・家集の廣く世に布かるること、以て洛紙の價を貴からしむ。豈に外國の下風に立たんや。且つ詩文の禪に入る、南禪の信義堂、〔周信。空華集有り。〕相國の津絕海、〔中津。蕉堅藁有り。〕少林の岩、〔得巖有り。〕惟肖、〔東海璜華有り。〕建仁の江西、〔龍派。〕東福の鍊虎關、〔師鍊。濟北集有り。〕嚴東沼、〔周殿。流水集有り。〕澤天隱、〔龍澤。〕三橫川、〔景三。京華集有り。〕及び村庵・月舟の等、各々橫行して並び馳す。又た枚擧すべからず。或ひと疑ふ、先人曰く、中朝の文士、名を外國に發する者は、粟田・阿倍のみ、と。然れば乃ち粟田・阿倍の才は吉備より賢きか、と。愚謂へらく、粟田は唐に入り、武后、宴を麟德殿に賜ひ、外國の史を見る。粟田眞人は養老三年に卒し、遺行の稱すべき無し。今に於て、仲滿は名を外國に播くと雖も、中朝には又た其の才を知るべき無し。吉備眞備は唐に入りて唐禮を詳らかにし、經史に博涉して、以て審思明辨し、大いに儒風釋典の禮を興し、武義兵法に通じて、以て賊を籌平す。其の功尤も懿し。故に從八位下より正二位右大臣に轉じ、下道を改めて吉備の姓を賜ふ。凡そ入唐の輩、此の上に立つべき無し。竊かに按ずるに、仲麻呂は之に反す。夫れ信に美なりと雖も、吾が土に非ざるは、人の情なり。仲麻呂は其の還郷を放ちて去らず、唐に卒し、終に父母を省みず、王政を輔けず。家乏しく、葬禮に闕有り。又た其の賻賵を賜ひ眷遇すること此くの如し。而るに其の本を忘る。豈に是れ才の實ならんや。唐帝之を賞するに美官大祿を以てす。外國の衰へも亦た并せ按ずべきなり。

現代語訳

素戔嗚尊はついに出雲の清地に到った。(清地は「すが」という。)そこで言った。私の心はすがすがしい、と。(今この地を清と呼ぶ。)その地に宮を建てた。そのとき素戔嗚尊は歌って言った。八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を。(原文は万葉仮名のまま) 素行はこう考える。これは詠歌の始めである。初め二神にはすでに唱和があり、喜びの言葉を発した。これは歌曲の父母であるとはいえ、まだ章句には及ばなかった。ここに至って三十一字が備わり、万世の詠歌の基となった。この後、下照姫の夷曲、彦火火尊の挙歌があり、人皇の時代になって、この道は日々に盛んになり、天地を動かし、鬼神を感じさせ、上下を和らげ、人倫を正し、事物の情に通じるまでになった。これは楽律の一つである。そもそも内には七情の蓄えがあり、外にはその言葉を発して思いを述べるのが、人情の道である。すでに言葉があれば、章があり句がある。章句があって詠むことができれば、遠回しに託す歌がある、(諷歌という。外国の風である。)述べて直に言う歌がある、(かぞえ歌という。外国の賦である。)たとえて比べる歌がある、(なぞらえ歌という。外国の比である。)起こして引く歌がある、(たとえ歌という。外国の興である。)正して平らかにする歌がある、(正言歌という。外国の雅である。)祝って寿ぐ歌がある。(祝歌という。外国の頌である。)言葉の林の繁さ、文章の海の広さ、千変万態も、この六義を出ない。流れが波立って派に分かれ、天下の人がみなここに詠歌する。柿本人麻呂・山辺赤人は、古今に抜きんでて、この道の神仙である。朝廷はこれで教化を助け、その賢愚を試み、臣下はこれで諫め、真心を表し、鬼神はこれに感じ、人民はこれに和した。その繁盛は非常に重く、その基づくところは非常に深い。長歌・短歌・旋頭歌・混本歌などを制し、雑体もまた少なくない。まして二神の唱和に基づく、上が問い下が答える連歌、(日本武尊に筑波の詠があり、灯を持つ者が九夜十日の答を献じた。)盛んに耳に満ちる。これは中国(日本)の文物であり、外国の詩に等しい。代々の勅撰、家々の別集は、五車の本でも車軸が折れるほどである。さらに歌の林の良材を集め、言葉の海の浮藻を集めて、文人がこれを書に記し、女史が冊に著した。三万軸どころではない。後世、漢語が通じるようになると、外国の詩賦文章も大いに世に行われた。李翰林(李白)・王右丞(王維)は盛唐の詩人で、天下がこれを称した。阿倍仲麻呂は彼らと並んで贈答唱和した。陸亀蒙・皮日休は文人であり詩人である。高い風格と聡明さがあり、僧の円載は交際を金蘭になぞらえた。仲麻呂のような者は、中国の一書生であった。唐の粛宗の上元年間に、左散騎常侍・安南都護に抜擢され、次々に昇進して北海郡開国公となり、食邑三千戸を得た。ついに唐で亡くなった。これは人材が外国に恥じないということである。まして吉備真備の博識はなおさらである。菅・江(菅原氏・大江氏)はその家で名を成し、文藻・詩集および国史・家集は広く世に行きわたり、洛陽の紙の価を高くするほどであった。外国の風下に立つことなどない。さらに詩文が禅に入った者として、南禅寺の義堂周信、(周信。空華集がある。)相国寺の絶海中津、(中津。蕉堅藁がある。)少林寺の岩、(得巌がある。)惟肖、(東海璜華がある。)建仁寺の江西龍派、(龍派。)東福寺の虎関師錬、(師錬。済北集がある。)厳東沼(周殿。流水集がある。)、沢天隠(龍沢)、三横川(景三。京華集がある。)および村庵・月舟らが、それぞれ縦横に並んで駆けた。これも数え上げることができない。ある人は疑う。先人は、中朝(日本)の文士で外国に名を揚げたのは粟田と阿倍だけだ、と言う。では粟田・阿倍の才は吉備より優れているのか、と。私は考える。粟田は唐に入り、則天武后が麟徳殿で宴を賜い、外国の史を見た。粟田真人は養老三年に亡くなり、称えるべき遺した行いがない。仲麻呂は外国に名を広めたが、中朝にはその才を知るものがない。吉備真備は唐に入って唐の礼に詳しくなり、経史に博く通じ、深く思い明らかに弁え、儒風と仏典の礼を大いに興し、武義と兵法に通じて賊を平らげる計を立てた。その功は特に大きい。だから従八位下から正二位右大臣に進み、下道の姓を改めて吉備の姓を賜った。入唐した者でこれより上に立つ者はいない。私はひそかに考える。仲麻呂はこれと反対である。美しいといっても自分の土地でないところにとどまるのは、人の情である。仲麻呂は帰郷を許されても去らず、唐で亡くなり、ついに父母を省みず、王政を助けなかった。家は乏しく、葬礼にも欠けるところがあった。また唐は弔いの品を賜い、手厚く遇した。それなのにその根本を忘れた。どうしてこれが才の実だろうか。唐の皇帝はこれを賞して美官と大禄を与えた。外国の衰えもあわせて考えるべきである。

解説

素行は素戔嗚尊の三十一文字の歌を和歌の始めとし、風・賦・比・興・雅・頌の六義に日本の歌の型を重ねて、日本の歌は漢詩に劣らないと主張します。後半は、唐に仕えた阿倍仲麻呂と帰国して朝廷に尽くした吉備真備を比べ、才の実は根本を忘れないことにあると断じます。仲麻呂の評価は素行の主張であり、後世には異なる評価もあります。江戸前期の外朝崇拝に対抗する意図で読むと筋が通ります。現代の仕事でも、外で評価される力と、自分の足場に尽くす力は別のものとして問い直せます。
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和歌六義柿本人麻呂吉備真備阿倍仲麻呂勅撰集

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