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玉勝間 / 二の巻 姓氏の事

今の世には、姓の知られざる人のみぞ多かる。さるはいかなるしづ山がつと云へども、みな古、の人の末にては有るなれば、姓の無きはあらざッなる事なるを、中むかしよりして、いはゆる苗字をのみよびならへるままに、下下なる者などは、ことごとしく姓と苗字とを並べてなのるべきにも有らざるから、おのづから姓はうづもれ行て、世世をへては、みづからだに知らずなれるなり。さて後になりのぼりて、人めかしく成れる者などは、姓の無きを、物げ無くあかぬ事に思ひては、或るは藤原、或るは源平など、おのが好めるを、みだりにつく事いと多し。すべて足利の末のみだれ世よりして、天の下の姓氏ただしからず、皆いとみだりがはしくぞなれりける。その中に、近き世の人のなのる姓は、十に九つまでは、源藤原平なり。そは古へのもろもろの氏氏は絕て、此三氏のかぎり多くのこれるにやと思へば、さには有らず。中昔よりして、此三うぢの人のみ、つかさ位高きは有りて、他のもろもろの氏人どもは、皆すぎすぎにいやしくのみなりくだれるから、其人は有りながら、其姓はおのづからかくれ行きて、をさをさ知る人も無く、絕えたるがごとなれるなり。

新字:今の世には、姓の知られざる人のみぞ多かる。さるはいかなるしづ山がつと云へども、みな古、の人の末にては有るなれば、姓の無きはあらざッなる事なるを、中むかしよりして、いはゆる苗字をのみよびならへるままに、下下なる者などは、ことごとしく姓と苗字とを並べてなのるべきにも有らざるから、おのづから姓はうづもれ行て、世世をへては、みづからだに知らずなれるなり。さて後になりのぼりて、人めかしく成れる者などは、姓の無きを、物げ無くあかぬ事に思ひては、或るは藤原、或るは源平など、おのが好めるを、みだりにつく事いと多し。すべて足利の末のみだれ世よりして、天の下の姓氏ただしからず、皆いとみだりがはしくぞなれりける。その中に、近き世の人のなのる姓は、十に九つまでは、源藤原平なり。そは古へのもろもろの氏氏は絶て、此三氏のかぎり多くのこれるにやと思へば、さには有らず。中昔よりして、此三うぢの人のみ、つかさ位高きは有りて、他のもろもろの氏人どもは、皆すぎすぎにいやしくのみなりくだれるから、其人は有りながら、其姓はおのづからかくれ行きて、をさをさ知る人も無く、絶えたるがごとなれるなり。

書き下し

今の世には、姓の知られざる人のみぞ多かる。さるはいかなるしず山がつと云えども、みな古の人の末にては有るなれば、姓の無きはあらざんなる事なるを、中むかしよりして、いわゆる苗字をのみよびならえるままに、下下なる者などは、ことごとしく姓と苗字とを並べてなのるべきにも有らざるから、おのずから姓はうずもれ行きて、世世をへては、みずからだに知らずなれるなり。さて後になりのぼりて、人めかしく成れる者などは、姓の無きを、物げ無くあかぬ事に思いては、あるいは藤原、あるいは源平など、おのが好めるを、みだりにつく事いと多し。すべて足利の末のみだれ世よりして、天の下の姓氏ただしからず、皆いとみだりがわしくぞなれりける。その中に、近き世の人のなのる姓は、十に九つまでは、源藤原平なり。そは古のもろもろの氏氏は絶えて、この三氏のかぎり多くのこれるにやと思えば、さには有らず。中昔よりして、この三うじの人のみ、つかさ位高きは有りて、他のもろもろの氏人どもは、皆すぎすぎにいやしくのみなりくだれるから、その人は有りながら、その姓はおのずからかくれ行きて、おさおさ知る人も無く、絶えたるがごとなれるなり。

現代語訳

今の世には、姓の知られていない人ばかりが多い。とはいえ、どんな賤しい山里の者でも、みな古の人の子孫ではあるのだから、姓の無い者はないはずなのに、中古から、いわゆる苗字ばかりを呼び慣わしてきたので、下々の者などは、大げさに姓と苗字を並べて名乗るわけにもいかないから、自然と姓は埋もれていって、代を重ねるうちに自分でさえ知らなくなったのである。さて後に身分が上がって人並みになった者などは、姓が無いのを物足りなく不満に思って、あるいは藤原、あるいは源・平など、自分の好きなものをみだりに名乗ることがたいへん多い。だいたい足利の末の乱世から、天下の姓氏は正しくなくなり、みなひどく乱れてしまった。その中で、近ごろの人の名乗る姓は、十のうち九つまでは源・藤原・平である。それは古のさまざまな氏々が絶えて、この三氏だけが多く残ったのかと思えば、そうではない。中古から、この三氏の人だけが官位の高い者がいて、他のさまざまな氏の人々は、みな次々に身分が低くなっていったので、その人々はいながら、その姓は自然と隠れていって、ほとんど知る人もなく、絶えたも同然になったのである。

解説

姓(うじ・かばね)と苗字の違いから、近世の姓の乱れを論じた長い段の最初の部分である。古代の人はみな藤原・大伴・物部などの姓を持っていたが、中世以降は家ごとの苗字で呼び合うようになり、庶民は姓を名乗る機会を失って、代を経るうちに自分の姓さえ知らなくなった。一方、出世した者は姓の無いのを恥じて、源・平・藤原などを勝手に名乗った。宣長はこうして、近世に源平藤原ばかりが多い理由を、三氏だけが生き残ったからではなく、他の氏が官位を失って埋もれたからだと説明する。数の偏りを見て、表に出た結果だけでなく隠れた経緯を考える推論である。名乗りが身分や見栄と結びついて変わっていく様子は、今の肩書きや経歴の飾り方にも通じる。

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