玉勝間 / 二の巻 宗祇ほうしが生れし所
宗祇法師が生れし家の跡とて、紀の國在田ノ郡藤並ノ庄下津野村の、民どものやどころの內に、五十間に四十間ばかりの地ありと、かの國の事どもしるせる物にしるしたり。
新字:宗祇法師が生れし家の跡とて、紀の国在田ノ郡藤並ノ庄下津野村の、民どものやどころの内に、五十間に四十間ばかりの地ありと、かの国の事どもしるせる物にしるしたり。
書き下し
宗祇法師が生まれし家の跡とて、紀の国在田の郡藤並の庄下津野村の、民どものやどころの内に、五十間に四十間ばかりの地ありと、かの国の事どもしるせる物にしるしたり。
現代語訳
連歌師の宗祇法師が生まれた家の跡として、紀伊国在田郡藤並庄下津野村の、農民たちの住まいの中に、五十間に四十間(約九十メートル四方に七十メートルほど)ほどの土地があると、紀伊国のことを記した書物に記してある。
解説
室町時代の連歌師宗祇の生まれた家の跡について、紀伊国の地誌の記事を書き留めた短い段である。宗祇の出身地には近江説と紀伊説があり、はっきりしない。宣長は自分の判断を加えず、紀伊国在田郡の下津野村に屋敷跡とされる土地があると、書物にあるままを記すにとどめた。宗祇は中世の和歌・連歌の学びを伝えた人で、若いころから歌を学んだ宣長にとっても歌の道の先人である。また紀伊国は松坂を治めた紀州藩の本国で、のちに宣長は紀州藩に召し抱えられる。そうした縁もあって目に留まった記事なのであろう。説の分かれる事柄について、見た資料の記述を出典とともにそのまま残しておくのは、後の人が判断する材料を残す考証家の作法である。
関連する章句
-
『玉勝間』十三の巻 宗祇法師の伝宗祇法師、姓は中臣氏飯尾、宗充の子なり。その先は世々紀州に居る。母は藤氏、嗣無きを憂え、一百日玉津島の神に祈る、満期の夜、玉子手に入り口にすると夢みて妊む。十三月にして祇を生む、時に応永廿八年なり。祇童卯より、和歌を好み、叔父宗砌に就きて学習す、自ら種玉庵と称す、母の玉を呑みて孕む瑞に因るなり。京師に上りて心敬にしたがい、草庵を岩倉の長谷に結ぶ。また老荘を好み、自ら自然斎と呼ぶ、文明三年、東常縁を訪い、親炙して歌道を請益す。常縁歌道の秘事を伝え、遺す所無し、後祇謝して京に返る。又詩を肆い禅に参じ、後居処を定めず、浮萍の客となり、諸国に遊ぶ、祇の伝を受くる者は、肖柏素純宗長宗碩等なり。文亀二年七月晦日、相州湯本の郵邸に卒す、八十二歳。駿州桃園定輪寺に葬り、松を墓上に栽うと、ある物にのせたり。
-
『玉勝間』十二の巻 借家同じ記に、近所の借家と有り。
-
『玉勝間』二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう宣長、縣居の大人に逢い奉りしは、この里に一夜やどり給えりしおり、一度のみなりき。その後はただ、しばしば書かよわしきこえてぞ、物は問いあきらめたりける。そのたびたび給えりし御答えのふみども、いと多くつもりにたりしを、ひとつも散らさで、いつきもたりけるを、せちに人の乞いもとむるままに、ひとつふたつと取らせけるほどに、今は残りすくなくなん成りぬる。さて古事記の注釈を物せんの心ざし深き事を申せしによりて、その上つ巻をば、考え給える古言をもて、仮字がきにし給えるをも、貸し給い、また中つ巻下つ巻は、かたわらの訓を改め、所所書き入れなどをも、てずからし給える本をも、かし給えりき。古事記伝に、師の説とて引きたるは、多くその本にある事どもなり。そもそもこの大人、古学の道をひらき給える御いさおは、申すもさらなるを、かのさとし言にのたまえる如く、世のかぎりもはら万葉に力を尽くされしほどに、古事記、書紀にいたりては、そのかむかえ、いまだあまねく深くはゆきわたらず、くわしからぬ事どもも多し。
-
『玉勝間』四の巻 契沖ほうしのすめる庵契沖ほうしの住めりし、円珠庵と云う庵は、大坂の高津のあたり、えさし町と云う所にて、今も小寺にてあり。かのほうしこの庵にてみまかりて、墓もそこにあり。寛保の頃、五井純禎といえる儒者の書きたる碑文もたてり。そもそもこの庵は、もと和泉の国和泉の郡池田の郷万町村の、伏屋の某の家地の内、幣垣園と云うに在りて、そこに住みたりしを、難波には後に移して住めるなりとぞ。さればかの伏屋氏の家に、かのほうしの、そのかみ詠みて、みづから書きたりし歌など、多く持ち伝えて、今も残れるなり。
-
『玉勝間』十二の巻 勅旨田同じ記に、寛弘九年四月四日云云、左中弁談じて云う、昨日故院の御処分有り云云、中宮・東宮、勅旨田各百町、男女一品宮、八十町、御乳母等、廿町とあり。これによりて思えば、勅旨田とは、殊なる勅旨によりて賜う田を云うか。またこれは、もとより勅旨田と云うあるを、御処分にせられたる由にや。なお尋ぬべし。
-
『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうさてまた道の学びはまず初めより、神書と云うすじの物、ふるき近き、これやかれやと読みつるを、はたちばかりの程より、わきて心ざし有りしかど、とりたててわざと学ぶ事は無かりしに、京にのぼりては、わざとも学ばむと、こころざしはすすみぬるを、かの契沖が歌ぶみの説になずらえて、皇国の古の意をおもうに、世に神道者と云う者の説おもむきは、皆いたくたがえりと、早くさとりぬれば、師と頼むべき人も無かりしほどに、われいかで古のまことのむねを、考え出でむ、と思うこころざし深かりしにあわせて、かの冠辞考を得て、かえすがえす読みあじわうほどに、いよいよ心ざし深くなりつつ、この大人をしたう心、日にそえてせちなりしに、年このうし、田安の殿の仰せ事をうけ給わり給いて、このいせの国より、大和山城など、ここかしこと尋ねめぐられし事の有りしおり、この松坂の里にも、二日三日とどまり給えりしを、さることつゆ知らで、後に聞きて、いみしく口惜しかりしを、かえるさまにも、また一夜やどり給えるを、うかがい待ちて、いといとうれしく、急ぎやどりにもうでて、はじめて見え奉りたりき。さてつひに名簿を奉りて、教えをうけ給わる事には成りたりきかし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る