玉勝間 / 二の巻 おのが物まなびの有しやう
さて又道の學びはまづ初めより、神書と云ふすぢの物、ふるき近き、これやかれやと讀みつるを、はたちばかりの程より、わきて心ざし有しかど、とりたててわざと學ぶ事は無かりしに、京にのぼりては、わざとも學ばむと、こころざしはすすみぬるを、かの契沖が歌ぶみの說になずらへて、皇國の古への意をおもふに、世に神道者と云ふ者の說おもむきは、皆いたくたがへりと、早くさとりぬれば、師と賴むべき人も無かりしほどに、われいかで古、のまことのむねを、考へ出む、と思ふこころざし深かりしにあはせて、かの冠辭考を得て、かへすがへす讀みあぢはふほどに、いよいよ心ざし深くなりつつ、此大人をしたふ心、日にそへてせちなりしに、年此うし、田安の殿の仰〓事をうけ給はり給ひて、此いせの國より、大和山城など、ここかしこと尋ねめぐられし事の有しをり、此松坂の里にも、二日三日とどまり給へりしを、さることつゆ知らで、後に聞きて、いみしく口惜しかりしを、かへるさまにも、又一夜やどり給へるを、うかがひ待ちて、いといとうれしく、急ぎやどりにまうでて、はじめて見え奉りたりき。さてつひに名簿を奉りて、〓〓をうけ給はる事には成りたりきかし。
新字:さて又道の学びはまづ初めより、神書と云ふすぢの物、ふるき近き、これやかれやと読みつるを、はたちばかりの程より、わきて心ざし有しかど、とりたててわざと学ぶ事は無かりしに、京にのぼりては、わざとも学ばむと、こころざしはすすみぬるを、かの契沖が歌ぶみの説になずらへて、皇国の古への意をおもふに、世に神道者と云ふ者の説おもむきは、皆いたくたがへりと、早くさとりぬれば、師と頼むべき人も無かりしほどに、われいかで古、のまことのむねを、考へ出む、と思ふこころざし深かりしにあはせて、かの冠辞考を得て、かへすがへす読みあぢはふほどに、いよいよ心ざし深くなりつつ、此大人をしたふ心、日にそへてせちなりしに、年此うし、田安の殿の仰〓事をうけ給はり給ひて、此いせの国より、大和山城など、ここかしこと尋ねめぐられし事の有しをり、此松坂の里にも、二日三日とどまり給へりしを、さることつゆ知らで、後に聞きて、いみしく口惜しかりしを、かへるさまにも、又一夜やどり給へるを、うかがひ待ちて、いといとうれしく、急ぎやどりにまうでて、はじめて見え奉りたりき。さてつひに名簿を奉りて、〓〓をうけ給はる事には成りたりきかし。
書き下し
さてまた道の学びはまず初めより、神書と云うすじの物、ふるき近き、これやかれやと読みつるを、はたちばかりの程より、わきて心ざし有りしかど、とりたててわざと学ぶ事は無かりしに、京にのぼりては、わざとも学ばむと、こころざしはすすみぬるを、かの契沖が歌ぶみの説になずらえて、皇国の古の意をおもうに、世に神道者と云う者の説おもむきは、皆いたくたがえりと、早くさとりぬれば、師と頼むべき人も無かりしほどに、われいかで古のまことのむねを、考え出でむ、と思うこころざし深かりしにあわせて、かの冠辞考を得て、かえすがえす読みあじわうほどに、いよいよ心ざし深くなりつつ、この大人をしたう心、日にそえてせちなりしに、年このうし、田安の殿の仰せ事をうけ給わり給いて、このいせの国より、大和山城など、ここかしこと尋ねめぐられし事の有りしおり、この松坂の里にも、二日三日とどまり給えりしを、さることつゆ知らで、後に聞きて、いみしく口惜しかりしを、かえるさまにも、また一夜やどり給えるを、うかがい待ちて、いといとうれしく、急ぎやどりにもうでて、はじめて見え奉りたりき。さてつひに名簿を奉りて、教えをうけ給わる事には成りたりきかし。
現代語訳
さてまた道の学びは、まず初めから、神書という方面のものを、古いもの新しいものとあれこれ読んでいたが、二十歳ばかりのころから特に志があったものの、取り立てて本格的に学ぶことはなかった。京に上ってからは、本格的に学ぼうという志が進んだが、あの契沖の歌書の説になぞらえて皇国の古の心を思うと、世に神道者という者の説く趣は、みなひどく違っていると早くに悟ったので、師と頼むべき人もいなかった。そこで、自分は何とかして古の真実の趣旨を考え出そうと思う志が深かったのに合わせて、あの『冠辞考』を得て、繰り返し読み味わううちに、いよいよ志が深くなり、この大人を慕う心が日ごとに切実になっていったところ、ある年この大人が田安の殿(田安宗武)の仰せを受けて、この伊勢国から大和・山城など、あちこちを尋ね巡られたことがあった折、この松坂の里にも二、三日とどまっておられたのを、そうとは少しも知らず、後で聞いてひどく残念に思っていたが、帰りにもまた一夜お泊まりになったのを、様子をうかがって待ち、たいへんうれしく、急いで宿に参上して、初めてお目にかかったのである。そしてついに名簿(入門の名札)を奉って、教えを受けることになったのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうかくてそのふみ、はじめに一わたり見しには、さらに思いもかけぬ事のみにして、あまり事とおく、あやしきように覚えて、さらに信ずる心はあらざりしかど、猶あるよう有るべしと思いて、立ちかえり今一たび見れば、まれまれには、げにさもやと覚ゆるふしぶしも出で来ければ、また立ちかえり見るに、いよいよげにとおぼゆる事多くなりて、見るたびに信ずる心の出で来つつ、つひに古ぶりのこころことばの、まことに然る事をさとりぬ。かくて後に思いくらぶれば、かの契沖が万葉の説は、猶いまだしき事のみぞ多かりける。おのが歌まなびの有りしよう、大かた斯くの如くなりき。
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『玉勝間』二の巻 あがたゐのうしの御さとし言宣長三十あまりなりしほど、縣居の大人の教えをうけ給わりそめし頃より、古事記の注釈を物せむのこころざし有りて、その事大人にもきこえけるに、さとし給えりしようは、われももとより、神の御典をとかむと思う心ざし有るを、そはまずからごころを清くはなれて、古のまことの意をたずねえずは有るべからず、然るにその古のこころを得むことは、古言を得たるうえならではあたわず、古言を得むことは、万葉をよく明らむるにこそあれ、さる故に、吾はまずもはら万葉をあきらめんとする程に、すでに年老いて、残りのよわい、今いくばくも有らざれば、神の御ふみを解くまでに至る事えざるを、いましは年さかりにて、行くさき長ければ、今より怠る事無く、いそしみ学びなば、その心ざしとぐること有るべし。ただし世の中の物まなぶともがらを見るに、皆ひきき所を経ずて、まだきに高き所にのぼらんとする程に、ひきき所をだにうる事あたわず、まして高き所はうべきよう無ければ、皆ひがごとのみすめり。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうさて京に在りしほどに、百人一首の改観抄を、人に借りて見て、はじめて契沖と云いし人の説を知り、その世にすぐれたる程をも知りて、この人のあらわしたる物、余材抄、勢語臆断などを初め、その外もつぎつぎに、もとめ出でて見けるほどに、すべて歌まなびの筋の、善き悪しきけじめをも、ようようにわきまえさとりつ。さるままに、今の世の歌よみの思えるむねは、大かた心にかなわず、その歌のさまも、おかしからず覚えけれど、そのかみ同じ心なる友は無かりければ、ただ世の人なみに、ここかしこの会などにも出でまじらいつつ、詠みありきけり。さて人の詠むふりは、おのが心には、かなわざりけれども、おのがたてて詠むふりは、今の世のふりにもそむかねば、人はとがめずぞ有りける。そはさるべき理りあり、別に云いてん。さて後、国にかえりたりしころ、江戸よりのぼれりし人の、近きころ出でたりとて冠辞考と云う物を見せたるにぞ、縣居の大人の御名をも、始めて知りける。
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『玉勝間』二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう宣長、縣居の大人に逢い奉りしは、この里に一夜やどり給えりしおり、一度のみなりき。その後はただ、しばしば書かよわしきこえてぞ、物は問いあきらめたりける。そのたびたび給えりし御答えのふみども、いと多くつもりにたりしを、ひとつも散らさで、いつきもたりけるを、せちに人の乞いもとむるままに、ひとつふたつと取らせけるほどに、今は残りすくなくなん成りぬる。さて古事記の注釈を物せんの心ざし深き事を申せしによりて、その上つ巻をば、考え給える古言をもて、仮字がきにし給えるをも、貸し給い、また中つ巻下つ巻は、かたわらの訓を改め、所所書き入れなどをも、てずからし給える本をも、かし給えりき。古事記伝に、師の説とて引きたるは、多くその本にある事どもなり。そもそもこの大人、古学の道をひらき給える御いさおは、申すもさらなるを、かのさとし言にのたまえる如く、世のかぎりもはら万葉に力を尽くされしほどに、古事記、書紀にいたりては、そのかむかえ、いまだあまねく深くはゆきわたらず、くわしからぬ事どもも多し。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうおのれいときなかりし程より、書を読む事をなむ、よろずよりも面白く思いて、読みける。さるははかばかしく師に附きて、わざと学問すとにも有らず、何と心ざす事も無く、そのすじと定めたるかたも無くて、ただからのやまとの、くさぐさのふみを、有るにまかせ、うるにまかせて、古き近きをも云わず、何くれと読みけるほどに、十七八なりし程より、歌詠ままほしく思う心いできて、詠みはじめけるを、それは師に従いて、学べるにも有らず、人に見する事などもせず、ただひとり詠み出ずるばかりなりき。集どもも、古き近きこれかれと見て、かたの如く今の世の詠みざまなりき。斯くてはたちあまりなりし程、学問しにとて、京になんのぼりける。さるは十一の年、父におくれしにあわせて、江戸に在りし、家のなりわいをさえに、失いたりし程にて、母なりし人のおもむけにて、くすしのわざを習い、またそのために、世のつねの儒学をもせむとてなりけり。
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『玉勝間』二の巻 あがたゐのうしの御さとし言このむねを忘れず、心にしめて、まずひききところよりよくかため置きてこそ、高き所にはのぼるべきわざなれ、わがいまだ神の御ふみを得とかざるは、もはらこのゆえぞ、ゆめしなを越えて、まだきに高き所をな望みそと、いとねもころになん、いましめさとし給いたりし。この御さとしの言の、いとたっとくおぼえけるままに、いよいよ万葉集に心をそめて、深く考え、くりかえし問いただして、古のこころ詞をさとりえて見れば、まことに世の物知り人と云う者の、神の御ふみ説ける趣は、皆あらぬから意のみにして、さらにまことの意はえ得ぬものになむ有りける。
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