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玉勝間 / 二の巻 両部唯一と云ふ事

天下の神社のうち、神人のみつかふる社を、俗に唯一と云ひ、法師のつかふる社を、兩部と云ふ。又兩部神道とて〓ふる一ながれもあり、兩部とは、佛の道の密〓の、胎藏界、金剛界の兩部と云ふ事を、神の道に合せたるを、兩部習合の神道と云へり。かの兩部を以て、神道に合せたるよしなり。部ノ字にて心得べし。神と佛とをさして云ふ兩にはあらず、さて又唯一と云ふは、兩部神道と云ふもののあるにつきて、その兩部をまじへざるよしなり。されば神の道の唯一なるは、もとよりの事ながら、その名は兩部神道有ての後なり。然るに此名を、兩部に對へたるにはあらず、天人唯一の義なりと云ひなせるは、いみしきひがことなり。天と人とひとつなりとは、いかなることわりぞや。そはただ天をうへも無くいみしき物にすなる、漢意より云ひなしたる事にて、いたく古、の意にそむけり。抑天は、天つ神たちのまします御國にこそあれ、人はいかでかそれと一つなることわりあらむ。世の物しり人みな、古、のこころを得さとらず、ひたぶるに漢意にまどへるから、何につけても、ことわり深げなることを說むとて、しひてかかる事をも云ふにぞ有ける。

新字:天下の神社のうち、神人のみつかふる社を、俗に唯一と云ひ、法師のつかふる社を、両部と云ふ。又両部神道とて〓ふる一ながれもあり、両部とは、仏の道の密〓の、胎蔵界、金剛界の両部と云ふ事を、神の道に合せたるを、両部習合の神道と云へり。かの両部を以て、神道に合せたるよしなり。部ノ字にて心得べし。神と仏とをさして云ふ両にはあらず、さて又唯一と云ふは、両部神道と云ふもののあるにつきて、その両部をまじへざるよしなり。されば神の道の唯一なるは、もとよりの事ながら、その名は両部神道有ての後なり。然るに此名を、両部に対へたるにはあらず、天人唯一の義なりと云ひなせるは、いみしきひがことなり。天と人とひとつなりとは、いかなることわりぞや。そはただ天をうへも無くいみしき物にすなる、漢意より云ひなしたる事にて、いたく古、の意にそむけり。抑天は、天つ神たちのまします御国にこそあれ、人はいかでかそれと一つなることわりあらむ。世の物しり人みな、古、のこころを得さとらず、ひたぶるに漢意にまどへるから、何につけても、ことわり深げなることを説むとて、しひてかかる事をも云ふにぞ有ける。

書き下し

天下の神社のうち、神人のみつかうる社を、俗に唯一と云い、法師のつかうる社を、両部と云う。また両部神道とて教うる一ながれもあり、両部とは、仏の道の密教の、胎蔵界、金剛界の両部と云う事を、神の道に合わせたるを、両部習合の神道と云えり。かの両部を以て、神道に合わせたるよしなり。部の字にて心得べし。神と仏とをさして云う両にはあらず、さてまた唯一と云うは、両部神道と云うもののあるにつきて、その両部をまじえざるよしなり。されば神の道の唯一なるは、もとよりの事ながら、その名は両部神道有りての後なり。然るにこの名を、両部に対えたるにはあらず、天人唯一の義なりと云いなせるは、いみしきひがことなり。天と人とひとつなりとは、いかなることわりぞや。そはただ天をうえも無くいみしき物にすなる、漢意より云いなしたる事にて、いたく古の意にそむけり。そもそも天は、天つ神たちのまします御国にこそあれ、人はいかでかそれと一つなることわりあらむ。世の物しり人みな、古のこころを得さとらず、ひたぶるに漢意にまどえるから、何につけても、ことわり深げなることを説かむとて、しいてかかる事をも云うにぞ有りける。

現代語訳

天下の神社のうち、神職だけが仕える社を俗に「唯一」と言い、僧が仕える社を「両部」と言う。また両部神道と称して教える一派もある。両部とは、仏道の密教でいう胎蔵界・金剛界の両部ということを神の道に合わせたもので、これを両部習合の神道と言った。あの両部をもって神道に合わせたという意味である。「部」の字で心得るべきである。神と仏とを指して言う「両」ではない。さてまた唯一というのは、両部神道というものがあるのに対して、その両部を交えないという意味である。だから神の道が唯一であるのはもとよりのことだが、その名は両部神道ができた後のものである。ところがこの名を、両部に対したものではなく「天人唯一」の意味だと言いなしているのは、ひどい誤りである。天と人とが一つであるとは、どういう道理か。それはただ天をこの上なく尊いものとする漢意から言いなしたことで、ひどく古の心に背いている。そもそも天は天つ神たちのおられる御国であって、人がどうしてそれと一つであるという道理があろうか。世の物知りはみな古の心を悟ることができず、ひたすら漢意に惑っているので、何につけても道理の深そうなことを説こうとして、無理にこんなことまで言うのである。

解説

両部神道と唯一神道という呼び名の由来を正した段である。両部の「両」は神と仏の両方という意味ではなく、密教の胎蔵界・金剛界の両部を神道に当てはめたことから来る、と宣長は「部」の字に注意を促す。唯一はそれに対して、両部を交えないという意味にすぎず、名は両部神道の後にできた。ところがこれを「天人唯一」、天と人とが一つだという深遠な理屈にこじつける説があり、宣長はそれを漢意の典型として退ける。天を至高の理とするのは儒学の考えで、古の伝えでは天は天つ神の住む国にすぎないからである。唯一神道を称した吉田家の流れなど、当時の神道家への批判でもある。名の由来を素直にたどれば済むことに、深げな理屈を足すなという戒めとして読める。

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