玉勝間 / 二の巻 内裏焼神鏡焼損事
寛弘二年十一月十五日子刻許云云、內裏燒亡者云云、火起自溫明殿、神鏡(所謂恐所)大刀契啓不能取出云云、云云十七日云云、定申神鏡燒損事云云、神鏡大刀并契書燒亡、鏡僅有帶、自余燒損無圓規、失鏡形云云、村上御記云、天德四季九月廿四日燒亡云云、廿四日重光朝臣申云、罷到溫明殿所求、見瓦上在鏡一面、(其鏡徑八寸、頭雖有一疵、專無損)圓規并帶等、甚以分明露出緣破瓦之上見之者無不驚威云云、廿五日、〓遠伊陟等合申、又求得燒鏡一面云云、故殿御日記云、恐所雖在火灰燼之中曾不燒損云云、(鏡三面中、伊勢大神、紀伊國日前國懸云云、如件說三面云云、十二月九日、左頭中將來乍立云、今日酉刻、神鏡自太政官奉移東三條院、可供奉其事者、云云、十日頭中將示送云、神鏡昨奉移、但開舊御韓櫃持、奉納新辛櫃之間、忽然有如日光照耀、內侍女官等同見、神驗猶新、最是足恐驚者、と同記に見えたり。
新字:寛弘二年十一月十五日子刻許云云、内裏焼亡者云云、火起自温明殿、神鏡(所謂恐所)大刀契啓不能取出云云、云云十七日云云、定申神鏡焼損事云云、神鏡大刀并契書焼亡、鏡僅有帯、自余焼損無円規、失鏡形云云、村上御記云、天徳四季九月廿四日焼亡云云、廿四日重光朝臣申云、罷到温明殿所求、見瓦上在鏡一面、(其鏡径八寸、頭雖有一疵、専無損)円規并帯等、甚以分明露出縁破瓦之上見之者無不驚威云云、廿五日、〓遠伊陟等合申、又求得焼鏡一面云云、故殿御日記云、恐所雖在火灰燼之中曽不焼損云云、(鏡三面中、伊勢大神、紀伊国日前国懸云云、如件説三面云云、十二月九日、左頭中将来乍立云、今日酉刻、神鏡自太政官奉移東三条院、可供奉其事者、云云、十日頭中将示送云、神鏡昨奉移、但開旧御韓櫃持、奉納新辛櫃之間、忽然有如日光照耀、内侍女官等同見、神験猶新、最是足恐驚者、と同記に見えたり。
書き下し
寛弘二年十一月十五日子の刻ばかり云云、内裏焼亡す云云、火は温明殿より起こる、神鏡(所謂恐所)大刀契、啓して取り出だすこと能わず云云、云云十七日云云、神鏡焼損の事を定め申す云云、神鏡・大刀并びに契書焼亡す、鏡は僅かに帯有りて、自余は焼損して円規無く、鏡の形を失う云云、村上御記に云う、天徳四年九月廿四日焼亡云云、廿四日重光朝臣申して云う、温明殿に罷り到りて求むる所、瓦の上に鏡一面在るを見る、(其の鏡径八寸、頭に一疵有りと雖も、専ら損無し)円規并びに帯等、甚だ以て分明なり、縁の破れ瓦の上に露出す、之を見る者驚き威ぜざるは無し云云、廿五日、〓遠・伊陟等合わせ申す、また焼けたる鏡一面を求め得たり云云、故殿の御日記に云う、恐所は火灰燼の中に在りと雖も曾て焼損せず云云、(鏡三面の中、伊勢大神、紀伊国日前国懸云云、件の説の如くんば三面云云、十二月九日、左頭中将来たりて立ちながら云う、今日酉の刻、神鏡太政官より東三条院に移し奉る、其の事に供奉すべし者(てえり)、云云、十日頭中将示し送りて云う、神鏡昨移し奉る、但し旧き御韓櫃を開きて持ち、新しき辛櫃に納め奉る間、忽然として日光の照耀するが如きこと有り、内侍女官等同じく見る、神験猶新たなり、最も是れ恐れ驚くに足る者(てえり)、と同記に見えたり。
現代語訳
「寛弘二年(1005)十一月十五日、子の刻(夜半)ごろ、内裏が焼亡した。火は温明殿から起こった。神鏡(いわゆる賢所)と大刀契は、申し上げて取り出すことができなかった。十七日、神鏡が焼け損じた事について評議した。神鏡・大刀と契の書が焼けた。鏡はわずかに帯(縁の部分)が残り、ほかは焼け損じて円い形もなく、鏡の形を失った。村上天皇の御記にこうある。天徳四年(960)九月二十四日の焼亡の折、二十四日に重光朝臣が申すには、温明殿に参って探したところ、瓦の上に鏡が一面あるのを見た(その鏡は径八寸、上部に一つ疵があるが、ほとんど損じていない)。円い形も帯も、はっきりしていた。縁の割れた瓦の上に現れていた。これを見た者で驚き感じ入らない者はなかった。二十五日、〓遠・伊陟らが申し合わせて、また焼けた鏡を一面探し当てた。亡き父君(藤原実頼)の御日記には、賢所は火の灰の中にあったが少しも焼け損じなかったとある(鏡三面のうち、伊勢大神、紀伊国の日前・国懸という。この説によれば三面である)。十二月九日、左頭中将が来て、立ったまま言った。今日酉の刻、神鏡を太政官から東三条院にお移しする。その事に供奉せよ、と。十日、頭中将が知らせてきた。神鏡を昨日お移しした。ただ、古い御韓櫃を開けて持ち、新しい辛櫃に納め奉るあいだ、突然日の光が照り輝くようなことがあった。内侍や女官らも同じく見た。神の験は今も新たである。まことに恐れ驚くべきことだ」と同じ日記に見える。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 神鏡焼損の事百練抄に、寛弘二年十一月十五日、内裏焼亡云云。神鏡灰燼の中に在り、同十七日、神鏡焼損の事、諸卿をしてこれを定め申さしむ。或る記に云う、十二月九日、神鏡を東三条に移し奉る、旧櫃を開く特、新韓櫃に納め奉るの間、忽然として日光の照曜する有り、内侍女官等これを恐れ驚く、同三年七月三日、諸卿御前に於て定め申す、諸道勘申す、神鏡鋳改むべきや否やの事、定むる間、三尺余の蛇、御在所の庇より庭中に落ち、南殿の北階より登り、西に赴きて見えず、神受の兆と謂うべし。また長久元年九月九日、皇居上東門院焼亡云云。内侍所の神鏡、灰燼の中に在りて焼損す。蔵人頭左中将資房、左少将経季等を遣わし、これを求めしむ、僅かに御体を准得し奉る、(焼け残り五六寸許)即ち畏みて折櫃に入れ奉る、又一切を得、(二三寸許)その体焼損し、分明ならずと云云。次次。二三寸許を得、各各段段なり。又金玉の如き物、数粒これを得、随いて又これを彼の櫃に加え入れ奉る。十日、内侍所の女官二人これを夢想す、一人の夢に云う、彼の本所の方に小蛇あり、頗る悩む気有り、一人の夢に云う、彼の本所に人有りて云う、吾相離れ、独身此の所に在りと云云。仍りて女官等彼の所に向かい、鑿ちてこれを求め奉るの処、金玉の如きもの二粒を求め得、即ち入れ奉り畢んぬ。霊験有り、感歎すべしと云云。已上資房卿の記に見ゆ、同十二日、神鏡焼損の事を定め申す、寛弘二年の例に任せて、これを行わるべきの由定め申し了んぬ。
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『玉勝間』三の巻 天徳四年内裡焼亡事同記に云う、天徳四年九月廿三日庚申、今夜亥の三剋、内裏焼亡す、火は宣陽門内の方北腋の陣より出づ、中隔の外に出でず、天皇先ず中院に御し、次に朝所に御し、頃くして職の曹司に御す、定めて行う寮警固使、累代の珍宝、多く以て焼失す云云、丑の剋火止む、廿四日云云、又昨夜、鏡二(和名加之古止古呂)並びに大刀契、取り出すこと能わず、今日勅に依りて捜し求めしむ、余燼の上、已に其の実を得たり、但し調度焼損す、其の真は猶存す、形質変わらず、甚だ神異たり、即ち大蔵省の韓櫃に之を納め奉らしむ、十月三日、縫殿大允藤文紀参りて申す、去月廿四日、宣旨に依りて内裏の賢所に御坐す三所を、縫殿寮に遷し奉るの間、内記威所三所を納め奉る、一所の鏡、件の鏡は猛火の上に在りと雖も涌損せず、即ち伊勢御神と云う、二所は真形破損无し、長さ六寸許り、一所の鏡は已に涌乱破損す、紀伊国御神と云う云云、大刀卌八柄の中、四柄は、清涼殿より之を求め出し、卌四柄は、温明殿より之を求め出す、其の中に節刀ハ契七十四枚有り、皆魚形なり、背中より両に別る、各銘有り、併せて全く損せず、長さ各二寸余許り、八枚は金、十四枚は銀、五十枚は銀塗物、又金銀の涌乱一斗余許り有るなり、左近少将源伊渉、将監藤原佐理、右近少将藤原助信、将監源時中、蔵人主殿助藤原為光、出納雀部有方、女官等同じく以て祗候す云云、云云、十一月四日、天皇職の曹司より、冷泉院に遷御す。応和元年十一月廿日、天皇冷泉院より、新造内裏に遷御す、云云。
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『玉勝間』十一の巻 神祇官に坐ス八柱ノ神の御霊実の焼亡坐し事安元三年四月廿八日の火災に、神祇官の八神の御正体焼亡のよし、そのころの記録どもに見えたり。この火は樋口富の小路より出でたるよしなり。さて神祇官は、大炊御門の南、大宮の西にて、大炊の御門は、今竹屋町と云うすじなれば、失火の所よりは、遥かにさかれれば、御正体は、いかにも易く取り出だし奉るべきわざなるに焼亡し給いぬるは、いかなる事にか。いともいともあさましく、かしこし。されどかかるまが事も、みな神の御心にては有るなり。その程より、つぎつぎの世の有さまをもて思うに、天皇のやむごとなき御守り神たちの御霊実の、かくなくなり給えるは、由ある事なりけむかし。
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『玉勝間』十三の巻 鳥羽の勝光明院の宝物の事久安二年八月廿三日庚申、是の日、法皇鳥羽の勝光明院の宝蔵に納むる所の宝物を御覧じ、即ち目録を書かるる事有り、件の目録は、先年白川の御所炎上の時、焼失するなり。顕密の聖〓、古今の典籍、道具書法、弓剣管絃の類、皆是れ往代の重宝なり。と同じ書に見えたり。
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『玉勝間』十の巻 節刀の事同じ記に云う、寛治八年十一月二日云々。仰せに依りて彼の中将と、内侍所に向い、官の行事所新たに作れる辛櫃一合、(長さ四尺、黒漆、中は朱漆、鎖匙無く、朱の綱を以て之を結ぶ、件の辛櫃の様、慥かに尋ね得ず、但し古老の女官等に問いて、作らしむるなり、)相具し、彼の中将と、共に節刀十柄を取り出す、(この中に霊剣二柄有るか)剣の様、切鋒八柄、一柄(長さ二尺五寸五分、左方に府の形纔かに見ゆ、打界なり、左鋒に霊形纔かに残る、鋒二寸許り師刃、柄本五寸四分、目貫の穴二つ、)一柄、(長さ二尺二寸、峰に銘文有り、云う、北斗左青竜右白虎、この上の文、損じて見えざるなり、中央の間に、この字許り有るなり、後玄、この字以下焼け損じて見えず、左に竜の形、纔かに腰より下許り見ゆ、その上に鳥の尾の形、纔かに在り、柄本六寸、穴一つ在り、)以上二柄、若しくは是れ霊剣か、残り六柄、(長さ二尺四寸、但し柄本或いは六寸、或いは四五寸等相加わるなり、剣井びに冑見えず、)鯰尾二柄、一門、(長さ二尺四寸、柄本三寸、)一柄、(長さ二尺、柄本四寸、以上二柄、銘文無し、)以上十柄、皆以て焼け損ず、一一監臨して、辛櫃に納め、納め了りて後、朱の綱を以て之を結び固む、云々。裏書に云う、長徳三年五月廿四日、蔵人信経の私記に云う、主計助安倍晴明を遣わし召して、宜陽殿の御剣等の事を召し問う、申して云う、件の御剣、卅四柄なり、去る天徳の内裏焼亡の日、皆悉く焼け損ず。晴明天文得業生たりし時、宣旨を奉り、勘文を進りて、作らしむる所なり。卅四柄の中、二腰を霊ハと名づく。一腰は破敵、一腰は守護、但し件の剣に鏤有り、歳次井びに名を鏤め、また同じく十二神、日月五星等の躰を鏤むるなり。而るに焼け損じて後、その文見えず、仍りて勘文を献る所なり。御剣の様、乃ち木形なり。
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『玉勝間』七の巻 伊勢ノ大御神の仏をきらひ給ふ事台記に、天養二年三月七日、左馬権頭顕定来たりて云う、左大将(雅定)伊勢勅使の精進の間、他所に渡ると雖も、衣裳雑具等、なお中院の第に在り、仍りて仏経等、家中に置かず、而る間中院の寝殿に、煙有り、(件の煙屋上に見ゆ、)隣里驚きて、放火の由を存じ、驚きて天井を放ちて之を見るに、絵像の仏五躰、色旗等有り、件の物を門外に出だすの後、煙散じ尽く。
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