玉勝間 / 六の巻 花のさだめ
花はさくら。櫻は、山櫻の、葉あかく照りて、細きが、まばらにまじりて、花しげく咲キたるは、又たぐふべき物も無く、うき世のものとも思はれず。葉青くて、花のまばらなるは、こよなくおくれたり。大かた山ざくらと云ふ中にも、しなじなの有て、こまかに見れば、一木ごとに、いささかかはれる處有て、またく同じきは無きやうなり。又今の世に、桐かやつ八重一重など云ふも、やうかはりて、いとめでたし。すべて曇れる日の空に見あげたるは、花の色あざやかならず。松も何も、あをやかに茂りたるこなたに咲るは、色はえて、ことに見ゆ。空清くはれたる日、日影のさすかたより見たるは、にほひこよなくて、おなじ花とも覺えぬまでなん。朝日はさらなり、夕ばえも。梅は紅梅、開らけさしたる程ぞ、いとめでたきを、盛りになるままに、やうやうしらけゆきて、見所無くなるこそ、いとくちをしけれ。さくらの咲る頃までも、散る事知らで、むげに匂ひ無く、ねびれしぼみて、殘りたるを見れば、げに有て世の中は、何事も皆かくこそと、見る春ごとに、思ひ知らるかし。白きはすべて香こそあれ、見るめはしなおくれたり。
新字:花はさくら。桜は、山桜の、葉あかく照りて、細きが、まばらにまじりて、花しげく咲キたるは、又たぐふべき物も無く、うき世のものとも思はれず。葉青くて、花のまばらなるは、こよなくおくれたり。大かた山ざくらと云ふ中にも、しなじなの有て、こまかに見れば、一木ごとに、いささかかはれる処有て、またく同じきは無きやうなり。又今の世に、桐かやつ八重一重など云ふも、やうかはりて、いとめでたし。すべて曇れる日の空に見あげたるは、花の色あざやかならず。松も何も、あをやかに茂りたるこなたに咲るは、色はえて、ことに見ゆ。空清くはれたる日、日影のさすかたより見たるは、にほひこよなくて、おなじ花とも覚えぬまでなん。朝日はさらなり、夕ばえも。梅は紅梅、開らけさしたる程ぞ、いとめでたきを、盛りになるままに、やうやうしらけゆきて、見所無くなるこそ、いとくちをしけれ。さくらの咲る頃までも、散る事知らで、むげに匂ひ無く、ねびれしぼみて、残りたるを見れば、げに有て世の中は、何事も皆かくこそと、見る春ごとに、思ひ知らるかし。白きはすべて香こそあれ、見るめはしなおくれたり。
書き下し
花はさくら。桜は、山桜の、葉あかく照りて、細きが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、またたぐうべき物も無く、うき世のものとも思われず。葉青くて、花のまばらなるは、こよなくおくれたり。大かた山ざくらと云う中にも、しなじなの有りて、こまかに見れば、一木ごとに、いささかかわれる処有りて、またく同じきは無きようなり。また今の世に、桐がやつ八重一重など云うも、ようかわりて、いとめでたし。すべて曇れる日の空に見あげたるは、花の色あざやかならず。松も何も、あおやかに茂りたるこなたに咲けるは、色はえて、ことに見ゆ。空清くはれたる日、日影のさすかたより見たるは、においこよなくて、おなじ花とも覚えぬまでなん。朝日はさらなり、夕ばえも。梅は紅梅、ひらけさしたる程ぞ、いとめでたきを、盛りになるままに、ようようしらけゆきて、見所無くなるこそ、いとくちおしけれ。さくらの咲ける頃までも、散る事知らで、むげに匂い無く、ねびれしぼみて、残りたるを見れば、げに有りて世の中は、何事も皆かくこそと、見る春ごとに、思い知らるかし。白きはすべて香こそあれ、見るめはしなおくれたり。
現代語訳
花は桜である。桜は、山桜で、赤く照り映える細い葉がまばらに混じって、花が枝いっぱいに咲いているのは、ほかに比べるものもなく、この世のものとも思われない。葉が青くて花のまばらなものは、ずっと劣っている。およそ山桜という中にもいろいろな品があって、細かく見れば一本ごとに少しずつ違うところがあり、まったく同じものはないようだ。また今の世に桐がやつ、八重、一重などというのも、それぞれ趣が変わっていて、たいそう見事である。およそ曇った日の空を背に見上げたのは、花の色が鮮やかでない。松でも何でも青々と茂っている手前に咲いているのは、色が映えて格別に見える。空が清く晴れた日に、日の差す方から見たのは、色つやがこの上なく、同じ花とも思えないほどである。朝日に映えるのは言うまでもなく、夕映えもよい。梅は紅梅で、咲きかけのころがたいそう見事なのに、盛りになるにつれてしだいに色が白っぽくなってゆき、見どころがなくなるのは、実に残念である。桜の咲くころになっても散ることを知らず、すっかり色つやもなく、老いしぼんで残っているのを見ると、なるほど、長らえていると世の中は何事もみなこうなのだと、見る春ごとに思い知らされる。白い梅はみな香りこそあるが、見た目は品が劣る。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 花のさだめ大かた梅の花は、ちいさき枝を、物にさして、近く見たるぞ、梢ながらよりは、まされる。桃の花は、あまた咲き続きたるを、遠く見たるはよし。近くては、鄙びたり。山吹、かきつばた、なでしこ、萩すすき、女郎花など、とりどりにめでたし。菊も、よき程につくろいたるこそよけれ。あまりうるわしく、したたかに造りなしたるは、中中にしな無くなつかしからず。つつじ、野山に多く咲きたるは、目覚むるここちす。かいどうと云う物、からめきて、こまやかにうるわしき花なり。そもそもかく云うは、皆おのが思う心にこそあれ、人はまた思う心ことなるべければ、一ようにさだむべきわざには有らず。また今ようの、世の人のもてはやすめる花どもも、世に多かるを、かぞえいでぬは、殊更めきたるようなれど、歌にも詠みたらず、古き物にも、見えたる事無きは、心のなしにや、なつかしからず覚ゆかし。されどそれはた、ひとようなるひが心にやあらむ。
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『玉勝間』四の巻 桜を花と云ふ事ただ花と云いて桜の事にするは、古今集の頃までは、聞こえぬ事なり。契沖ほうしが余材抄に、委しく云えるが如し。源氏物語若菜の上の巻に、梅の事を云うとて、花のさかりにならべて見ばやと云える事あり、是れらはまさしく桜を分けて花と云えり。
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『玉勝間』九の巻 巻頭(花の雪九)やよいの頃、ある所にて、桜の花の、木本に散りしけるを見て、一とせ吉野に物せし時も、多くはこうようにこそ散りぬる程なりしかと、ふと思い出でられけるままに、ふみ分けし昔恋しきみよしのの山つくらばや花の白雪かきあつめて、例の巻の名としつ。雪の山つくられし事は、物に見えたり。
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徒然草・第139段家にありたき木は、松、桜。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなむ。遅桜またすさまじ。虫のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅、一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の、匂ひめでたきも、みなをかし。「おそき梅は、桜に咲きあひて、おぼえ劣り、けおされて、枝に萎みつきたる、心憂し。一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾くをかし。」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本はべるめり。柳またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて万の花紅葉にも優りてめでたきものなり。橘、桂、何れも木は物古り、大きなる、よし。草は山吹、藤、杜若、撫子。池には蓮。秋の草は荻、薄、桔梗、萩、女郎花、藤袴、紫菀、吾木香、刈萱、竜胆、菊、黄菊も、蔦、葛、朝顔、いづれもいと高からず、さゝやかなる垣に、しげからぬよし。この外世にまれなるおの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。大かた何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうの物なくてありなむ。
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『玉勝間』二の巻 巻頭(桜の落葉二)なが月の十日ごろ、せんざいの桜の葉の、色こくなりたるが、物がなしきゆうべの風に、ほろほろとおつるを見て、よめる。花ちりし同じ梢をもみじにもまたものおもう庭ざくらかな これを拾いいれて、やがて巻の名としつ。
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『玉勝間』七の巻 ある人の言桜の花ざかりに、歌詠む友だち、これかれかい連ねて、そこかしこと、見ありきける、帰るさに、見し花どもの事、語りつつ来るに、ひとりが云うよう、まろは、歌詠まむと、思いめぐらしける程に、きょうの花は、いかに有りけむ、こまやかにも見ずなりぬと云えるは、おこがましきようなれど、まことは誰れも然も有る事と、おかしくぞ聞きし。
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