玉勝間 / 一の巻 五十日百日の事
同書に、十一月廿九日、新誕若君五十日百日儀也、と云へる事あり。若君とは實朝公を云へり。此君は、其年の八月九日に生れ給ひて、十一月廿九日は、百十日にあたれり。今の世にも、兒の生れて百十日をいはふは、昔のいかももかの祝。なるべし。さて五十日と百日とは別にて、おのおの其のあたれる日にいはへる事なりしを、ここに一度の事に云へるは、そのかみ合はせて百十日にあたる日に、一度に祝ひたるならはしの有しにこそ。
新字:同書に、十一月廿九日、新誕若君五十日百日儀也、と云へる事あり。若君とは実朝公を云へり。此君は、其年の八月九日に生れ給ひて、十一月廿九日は、百十日にあたれり。今の世にも、児の生れて百十日をいはふは、昔のいかももかの祝。なるべし。さて五十日と百日とは別にて、おのおの其のあたれる日にいはへる事なりしを、ここに一度の事に云へるは、そのかみ合はせて百十日にあたる日に、一度に祝ひたるならはしの有しにこそ。
書き下し
同書に、十一月廿九日、新誕の若君五十日百日の儀なり、と云える事あり。若君とは実朝公を云えり。この君は、その年の八月九日に生まれ給いて、十一月廿九日は、百十日にあたれり。今の世にも、児の生まれて百十日をいわうは、昔のいかももかの祝いなるべし。さて五十日と百日とは別にて、おのおのその当たれる日にいわえる事なりしを、ここに一度の事に云えるは、そのかみ合わせて百十日にあたる日に、一度に祝いたるならわしの有りしにこそ。
現代語訳
同じ書に「十一月二十九日。新しく誕生した若君の五十日・百日の儀である」ということがある。若君とは実朝公のことをいう。この君はその年の八月九日にお生まれになって、十一月二十九日は百十日目にあたる。今の世にも、子が生まれて百十日目を祝うのは、昔の「いか(五十日)」「ももか(百日)」の祝いであろう。さて五十日と百日とは別々で、それぞれ当たる日に祝ったものであったのに、ここで一度のこととして言っているのは、その当時、合わせて百十日にあたる日に一度に祝う習わしがあったのであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 子日の宴同書に、天安元年春正月乙丑云云、禁中に曲宴有り、これに預かる者、公卿近侍数十人に過ぎず、昔は上月の中、必ずこの事有り、時にこれを子日の態と謂うなり、今日の宴、旧迹を修するなりとある、これは必ず子にあたる日に有るべき事なるに、乙丑の日のところに記されたるは、いぶかし。今思うに、この上に、庚申の日、右大臣良房公上表の文を記し、次に乙丑重ねて上表して曰くとて、その文を記したる次にあれば、件の二度の上表の文を引きつづけて記したるにつきて、その中間の甲子の日にしるすべきが、紛れたるにはあらざるか。
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『玉勝間』一の巻 鎌倉右大臣の名みかどより給へる事愚管抄に云わく、千万御前、元服せさせて、実朝と云う名も、京より給わりて、建仁三年十二月八日、やがて将軍宣下申しくだして云々。
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『玉勝間』九の巻 裾の長さの事同書に云う、寛喜三年五月廿四日、若宮の御百日なり。今日出仕の人々、裾の寸法の事、内々頭中宮亮資頼朝臣を奉行と為して、仰せ下さる、大臣八尺、大納言七尺、中納言六尺、参議・三位五尺、四位已下四尺。
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『玉勝間』十二の巻 童名に某丸と云ふ事同じ記に、寛仁三年二月十六日、千寿丸、家の侍所に於て元服を加えしむ、(名号は為時)と有り。童名になにがし丸と云う事、そのかみも有りしなり。
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『玉勝間』七の巻 百箇日同書に、延文三年八月九日、天晴る、伝え聞く、贈左府百箇日の仏事、今日等持寺に於て之を修すと云々と有り。贈左府は尊氏の卿なり。
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