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玉勝間 / 一の巻 あらたなる説を出す事

ちかき世、學問の道ひらけて、大かた萬のとりまかなひ、さとくかしこくなりぬるから、とりどりにあらたなる說を出す人おほく、其說よろしければ、世にもてはやさるるによりて、なべての學者、いまだよくもととのはぬ程より、我れおとらじと、世にことなるめづらしき說を出して、人の耳をおどろかす事、今の世のならひなり。其中には、ずゐぶんによろしきことも、まれには出でくめれど、大かたいまだしき學者の、心はやりて云ひ出る事は、唯だ人にまさらむ勝むの心にて、かろがろしく、まへしりへをもよくも考へ合さず、思ひ依れるままにうち出る故に、多くはなかなかなるいみしきひが事のみなり。すべて新なる說を出すは、いと大事なり。いくたびもかへさひ思ひて、よく確かなるよりどころを捉へ、いづくまでも行きとほりて、たがふ所無く、動くまじきにあらずは、た易くは出すまじきわざなり。その時には、うけばりて善しと思ふも、ほどへて後に、今一たびよく思へば、猶惡ろかりけりと、我ながらだに思ひならるる事の多きぞかし。

新字:ちかき世、学問の道ひらけて、大かた万のとりまかなひ、さとくかしこくなりぬるから、とりどりにあらたなる説を出す人おほく、其説よろしければ、世にもてはやさるるによりて、なべての学者、いまだよくもととのはぬ程より、我れおとらじと、世にことなるめづらしき説を出して、人の耳をおどろかす事、今の世のならひなり。其中には、ずゐぶんによろしきことも、まれには出でくめれど、大かたいまだしき学者の、心はやりて云ひ出る事は、唯だ人にまさらむ勝むの心にて、かろがろしく、まへしりへをもよくも考へ合さず、思ひ依れるままにうち出る故に、多くはなかなかなるいみしきひが事のみなり。すべて新なる説を出すは、いと大事なり。いくたびもかへさひ思ひて、よく確かなるよりどころを捉へ、いづくまでも行きとほりて、たがふ所無く、動くまじきにあらずは、た易くは出すまじきわざなり。その時には、うけばりて善しと思ふも、ほどへて後に、今一たびよく思へば、猶悪ろかりけりと、我ながらだに思ひならるる事の多きぞかし。

書き下し

ちかき世、学問の道ひらけて、大かた万のとりまかない、さとくかしこくなりぬるから、とりどりにあらたなる説を出す人おおく、その説よろしければ、世にもてはやさるるによりて、なべての学者、いまだよくもととのわぬ程より、我れおとらじと、世にことなるめづらしき説を出して、人の耳をおどろかす事、今の世のならいなり。その中には、ずいぶんによろしきことも、まれには出でくめれど、大かたいまだしき学者の、心はやりて云い出ずる事は、ただ人にまさらむ勝たむの心にて、かろがろしく、まえしりえをもよくも考え合わさず、思い依れるままにうち出ずる故に、多くはなかなかなるいみしきひが事のみなり。すべて新たなる説を出すは、いと大事なり。いくたびもかえさい思いて、よく確かなるよりどころを捉え、いづくまでも行きとおりて、たがう所無く、動くまじきにあらずは、たやすくは出すまじきわざなり。その時には、うけばりて善しと思うも、ほどへて後に、今一たびよく思えば、なお悪ろかりけりと、我ながらだに思いならるる事の多きぞかし。

現代語訳

近頃は学問の道が開けて、おおよそ万事の扱い方が鋭く賢くなったので、それぞれ新しい説を出す人が多く、その説が良ければ世にもてはやされるので、一般の学者は、まだ十分に整わないうちから、自分も負けまいと、世に変わった珍しい説を出して人の耳を驚かすのが、今の世の習いである。その中には、なかなか良いこともまれには出てくるようだが、たいていは未熟な学者が、気がはやって言い出すことは、ただ人にまさろう、勝とうという心で、軽々しく、前後もよく考え合わせず、思いついたままに打ち出すので、多くはかえってひどい誤りばかりである。すべて新しい説を出すのはたいへん大事なことである。何度も繰り返し考えて、よく確かな根拠をつかみ、どこまでも筋が通って食い違う所がなく、動かないものでなければ、たやすく出してはならないのである。そのときには堂々と良いと思っても、時がたってから、もう一度よく考えてみると、やはり悪かったと、自分でさえ思うようになることが多いのである。

解説

新説を競う学界の風潮を戒めた段である。学問が盛んになると、新しい説が評判を呼ぶので、未熟な学者までが人を驚かす珍説を出そうとする。その動機は、人にまさりたい、勝ちたいという心で、前後をよく考え合わせず思いつきを口にするから、多くはひどい誤りになる、と宣長は言う。新説を出すなら、何度も考え直し、確かな根拠をつかみ、どこまで突き詰めても崩れない所まで確かめよ。しかも、出したときは自信があっても、時間を置けば自分でも誤りに気づくことが多い、と自らの経験を重ねている。新しい説を次々に出した宣長だからこその重みがある。目新しさが評価される場で、根拠と検証を手放さないことの大切さは、今の研究や発信にもそのまま通じる。

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