幽夢影 / 巻下・俗言の據るに足らざる
梧桐爲植物中淸品,而形家獨忌之,甚且謂「梧桐大如斗,主人往外走。」若竟視爲不祥之物也者。夫翦桐封弟,其爲宮中之桐可知。而卜世最久者,莫過於周,俗言之不足據,類如此夫!
新字:梧桐為植物中清品,而形家独忌之,甚且謂「梧桐大如斗,主人往外走。」若竟視為不祥之物也者。夫翦桐封弟,其為宮中之桐可知。而卜世最久者,莫過於周,俗言之不足拠,類如此夫!
書き下し
梧桐は植物中の淸品爲り、而るに形家は獨り之を忌み、甚しきは且つ「梧桐大いさ斗の如くなれば、主人外に往きて走る」と謂ふ。竟に視て不祥の物と爲すが若き者なり。夫れ桐を翦りて弟を封ず、其の宮中の桐爲ること知るべし。而して世を卜すること最も久しき者は、周に過ぐるは莫し。俗言の據るに足らざる、類ね此くの如きかな。
現代語訳
青桐は植物の中でも清らかな品格のものですが、風水師だけはこれを忌み嫌い、ひどい場合には「青桐の幹が升ほどの太さになると、主人は家を出て行くことになる」とまで言います。まるで不吉なものと見なしているかのようです。けれども、周の成王は桐の葉を切って弟を諸侯に封じたのですから、それが宮中に植えられた桐であったことは分かります。そして王朝が最も長く続いたのは、周に勝るものはありません。俗説が当てにならないのは、おおむねこの通りです。
解説
風水の俗信を、古い故事を根拠に論破した一則です。形家は土地や家の相を見る風水師のことです。周の成王は幼いころ、桐の葉を圭の形に切って弟に与え、これで封じようと戯れたところ、天子に戯れの言葉はないとたしなめられ、本当に弟を唐の地に封じたと伝えられます。張潮は、その桐が宮中にあった以上、桐を植えた家が衰えるどころか、周は八百年近く続いたではないかと切り返します。友人の尤悔菴は『詩経』の「梧桐生ず、彼の朝陽に」を引いています。根拠のない言い伝えを、事実と照らし合わせて確かめる姿勢は、今のうわさ話や迷信にも応用できます。
この章句が説くこと
迷信梧桐周学問検証
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