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玉勝間 / 一の巻 おかしとをかしと二つある事

田中ノ道麻呂が考へけるは、物をほめて云ふオカシは、オムカシのつづまりたるにて、オの假字なり。又笑ふべき事を云ふヲカシは、ヲコと云ふ言のはたらきたるにて、ヲの假字なり。さればこは本より二つにて、異言なるを、假字づかひ亂れて、一つに書から、同言のごと心得たるは、誤なりと云へる、まことにさることにて、いと善きかむかへなり。褒むると笑ふとは、其意大かたうらうへなるを、いかでか同じ言を通はし用ふる事のあらむ。オムカシは古、言にて、書紀に德ノ字また欣感などを、オムカシミスと訓み、續紀の宣命には、ウムカシ共見え、萬葉の歌には、オをはぶきて、ムカシ共詠めり。此道麻呂と云ひしは、美濃ノ國多藝ノ郡榛木村の人にて、後は尾張の名兒屋に住て、また無くふることを好み、人にも〓へて、殊に萬葉集を深く考へ得たる人になむ有ける。年はやや兄なりしかども、宣長が弟子になりて、二たび三たびはここにも來、常はしばしばふみ通はしてなむ有けるを、今は昔しの人になむ成りぬる。大かたかの名兒屋に、古へ學びする人人の出來しは、此おきながみちびきよりぞ始まりける。

新字:田中ノ道麻呂が考へけるは、物をほめて云ふオカシは、オムカシのつづまりたるにて、オの仮字なり。又笑ふべき事を云ふヲカシは、ヲコと云ふ言のはたらきたるにて、ヲの仮字なり。さればこは本より二つにて、異言なるを、仮字づかひ乱れて、一つに書から、同言のごと心得たるは、誤なりと云へる、まことにさることにて、いと善きかむかへなり。褒むると笑ふとは、其意大かたうらうへなるを、いかでか同じ言を通はし用ふる事のあらむ。オムカシは古、言にて、書紀に徳ノ字また欣感などを、オムカシミスと訓み、続紀の宣命には、ウムカシ共見え、万葉の歌には、オをはぶきて、ムカシ共詠めり。此道麻呂と云ひしは、美濃ノ国多芸ノ郡榛木村の人にて、後は尾張の名児屋に住て、また無くふることを好み、人にも〓へて、殊に万葉集を深く考へ得たる人になむ有ける。年はやや兄なりしかども、宣長が弟子になりて、二たび三たびはここにも来、常はしばしばふみ通はしてなむ有けるを、今は昔しの人になむ成りぬる。大かたかの名児屋に、古へ学びする人人の出来しは、此おきながみちびきよりぞ始まりける。

書き下し

田中の道麻呂が考えけるは、物をほめて云うオカシは、オムカシのつづまりたるにて、オの仮字なり。また笑うべき事を云うヲカシは、ヲコと云う言のはたらきたるにて、ヲの仮字なり。さればこは本より二つにて、異言なるを、仮字づかい乱れて、一つに書くから、同言のごと心得たるは、誤りなりと云える、まことにさることにて、いと善きかむかえなり。褒むると笑うとは、その意大かたうらうえなるを、いかでか同じ言を通わし用うる事のあらむ。オムカシは古言にて、書紀に徳の字また欣感などを、オムカシミスと訓み、続紀の宣命には、ウムカシ共見え、万葉の歌には、オをはぶきて、ムカシ共詠めり。この道麻呂と云いしは、美濃の国多芸の郡榛木村の人にて、後は尾張の名児屋に住みて、また無くふることを好み、人にも教えて、殊に万葉集を深く考え得たる人になむ有りける。年はやや兄なりしかども、宣長が弟子になりて、二たび三たびはここにも来、常はしばしばふみ通わしてなむ有りけるを、今は昔しの人になむ成りぬる。大かたかの名児屋に、古え学びする人々の出で来しは、このおきながみちびきよりぞ始まりける。

現代語訳

田中道麻呂が考えたことには、物をほめて言う「オカシ」は「オムカシ」が縮まったもので、オの仮名である。また笑うべきことを言う「ヲカシ」は「ヲコ(愚か)」という言葉が活用したもので、ヲの仮名である。だからこれはもともと二つで別の言葉なのに、仮名遣いが乱れて一つに書くので、同じ言葉のように理解しているのは誤りである、と言った。まことにそのとおりで、たいへん良い考えである。褒めることと笑うこととは、その意味がほとんど裏表なのに、どうして同じ言葉を通わせて用いることがあろうか。オムカシは古語で、日本書紀では徳の字や欣感などを「オムカシミス」と読み、続日本紀の宣命には「ウムカシ」とも見え、万葉集の歌にはオを省いて「ムカシ」とも詠んでいる。この道麻呂という人は、美濃国多芸郡榛木村の人で、後には尾張の名古屋に住み、このうえなく古いことを好み、人にも教えて、ことに万葉集を深く考え究めた人であった。年は私よりやや上であったが、宣長の弟子になって、二度三度はここ(松坂)にも来て、ふだんはしばしば手紙を通わしていたが、今は故人となってしまった。おおよそあの名古屋に古学を学ぶ人々が出てきたのは、この翁の導きから始まったのである。

解説

弟子の田中道麻呂の説を紹介し、その人柄を偲んだ段である。「おかし」には褒める意味と笑う意味があり、同じ語の二つの意味と思われてきた。道麻呂は、褒める方は「おむかし」の縮まった「オカシ」、笑う方は「をこ」から出た「ヲカシ」で、もとは仮名遣いの違う別の言葉だと説いた。褒めると笑うは裏表なのだから同じ語のはずがない、と宣長も賛同する。仮名遣いを正せば語源が見え、意味の混乱が解ける。宣長の仮名遣い研究と響き合う説である。後半では、年上ながら弟子となり、名古屋の古学の祖となった道麻呂を懐かしむ。弟子の手柄を名指しで讃えるところに、師の説にも弟子の説にも公平に向き合う宣長の姿勢が表れている。

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