玉勝間 / 一の巻 からごころ
かれが是とする事、實の是にはあらず、非とすること、まことの非にあらざるたぐひも多かれば、善惡是非に二つ無しとも云ふべからず。又當然之理とおもひとりたるすぢも、漢意の當然之理にこそ有れ、實の當然之理には有らざる事多し。大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意と云ふ物をさとりぬれば、おのづからいとよく分るるを、おしなべて世の人の心の地、皆から意なるが故に、それを離れて、さとる事の、いとかたきぞかし。
新字:かれが是とする事、実の是にはあらず、非とすること、まことの非にあらざるたぐひも多かれば、善悪是非に二つ無しとも云ふべからず。又当然之理とおもひとりたるすぢも、漢意の当然之理にこそ有れ、実の当然之理には有らざる事多し。大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意と云ふ物をさとりぬれば、おのづからいとよく分るるを、おしなべて世の人の心の地、皆から意なるが故に、それを離れて、さとる事の、いとかたきぞかし。
書き下し
かれが是とする事、実の是にはあらず、非とすること、まことの非にあらざるたぐいも多かれば、善悪是非に二つ無しとも云うべからず。また当然の理とおもいとりたるすじも、漢意の当然の理にこそ有れ、実の当然の理には有らざる事多し。大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意と云う物をさとりぬれば、おのづからいとよく分かるるを、おしなべて世の人の心の地、皆から意なるが故に、それを離れて、さとる事の、いとかたきぞかし。
現代語訳
彼らが是とすることは本当の是ではなく、非とすることも本当の非ではない、といった類が多いので、善悪是非に二つはないとも言うべきではない。また当然の理と思い込んでいる筋も、漢意の当然の理であって、本当の当然の理ではないことが多い。おおよそこれらのことは、古い書物の趣をよく会得して、漢意というものを悟れば、自然にたいへんよく分かるのだが、おしなべて世の人の心の地がみな漢意であるために、それを離れて悟ることが、たいへん難しいのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 からごころ漢意とは、漢国のふりを好み、かの国をたふとぶのみを云うにあらず。大かた世の人の、万の事の善悪是非を論い、物の理を定め云うたぐい、すべてみな漢籍の趣なるを云うなり。さるはからぶみを読みたる人のみ、然るにはあらず。書と云う物一つも見たる事無き者までも、同じ事なり。そもからぶみを読まぬ人は、さる心には有るまじきわざなれども、何わざも漢国を善しとして、彼れをまねぶ世のならい、千年にも余りぬれば、おのづからその意世の中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地と成れる故に、我はから心もたらずと思い、これはから意にあらず、当然の理なりと思う事も、なお漢意をはなれ難きならいぞかし。そもそも人の心は、皇国も外国も、ことなる事無く、善悪是非に二つ無ければ、別に漢意と云う事、有るべくもあらずと思うは、一わたりさることのようなれど、然か思うもやがてから心なれば、とにかくにこの意は、のぞこりがたき物になむ有りける。人の心の、いづれの国もことなる事無きは、本の真心こそ有れ、からぶみに云える趣は、皆かの国人のこちたきさかしら心もて、いつわりかざりたる事のみ多ければ、真心にあらず。
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『玉勝間』十二の巻 物しり人もののことわりを論ずるやう世のものしり人、人の身のうえ、世の中のことわりなどを、さまざま心高く、いとかしこげには論えども、とかく云うもかく云うも、皆からぶみの趣きにて、その垣内を出ずる事あたわざるは、いかにぞや。
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『玉勝間』一の巻 もろこしぶみをも読むべき事から国の書をも、いとまのひまには、ずいぶんに見るぞ善き。漢籍も見ざれば、その外国のふりの悪しき事も知られず。また古書はみな漢文もて書きたれば、かの国ぶりの文も知らでは、学問もことゆきがたければなり。かの国ぶりの、よろづに悪しき事をよくさとりて、皇国だましいだに強くして、動かざれば、夜ひるからぶみを見ても、心は迷う事無し。然れども、かの国ぶりとして、人の心さかしく、何事をも理を尽くしたるように、こまかに論い、よさまに説きなせる故に、それを見れば、かしこき人も、おのづから心うつり易く、まどい易きならいなれば、から書見むには、つねにこのことを忘るまじきなり。
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『玉勝間』十四の巻 一言一行によりて人の善き悪しきを定むる事人のただ一言ただ一行によりて、その人のすべての善き悪しきを、定め云うは、から書の常なれども、これいとあたらぬ事なり。すべて善き人といえども、稀れにはことわりにかなわぬしわざも、交じらざるにあらず。悪しき人といえども、善きしわざも交じるものにて、生けるかぎりのしわざ、ことごとに善き悪しき一かたに定まれる人は、おさおさ無きものなるを、いかでかはただ一言一行によりては定むべき。
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『玉勝間』四の巻 ひとむきにかたよることの論ひ世の物知り人の、他の説の悪しきをとがめず、一むきにかたよらず、これをもかれをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思いとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなえむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとい世の人は、いかにそしるとも、わが思う筋をまげて、従うべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかわるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他説をば、悪ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他説をも、悪ろしとは云わぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ずそれさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがえる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆悪しきなり、これ善ければ、かれは必ず悪しきことわりぞかし。然るをこれも善し、またかれも悪しからずと云うは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
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『玉勝間』十四の巻 〓誠もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたく云えるは、いといとうるさし。人は教えによりて善くなる者にあらず。もとより教えをまつものには有らぬを、余りこちたくいましめ教うるから、なかなかに姦曲詐偽のみまさる事を知らず。周公旦、余りにこちたく定めたる故に、周の末の乱をおこせり。戦国の頃の人の邪智ふかきは、みな周公が教えたることなり。皇国の古書には、露ばかりもおしえがましき事見えず。このけじめをよく考うべし。教誡の厳なるを善き事と心得たるは愚かなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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