洗心洞箚記 / 卷下・第百二十條
玩味先生此書、與龜山嘗見明道先生書同一意、而先生之學之純粹正大可見矣、非其聚徒相傳授者、句讀文義而已、與所求有大於利祿之卓見、焉能足得伊洛淵源之味也哉、然人遽讀之、則駭而以爲狂矣、何者、周亡至漢、名儒碩學、林立於其朝、渢渢彬彬、姑就漢言之、則儒林自申公至瑕丘江凡七人、而劉叔賈馬亦儒也、自楊何至房鳳凡二十有七人、而匡衡楊雄等亦儒也、自劉昆至蔡玄凡四十有一人、而馬融鄭玄等亦儒也、而又更三國、歷六朝隋唐、迄于宋、儒學不可勝記也、而先生抹殺之以句讀文義、故曰、人遽讀之、駭而以爲狂矣、然其中除董仲舒王仲淹韓退之數公之外、實不有見得其所謂道者也、終身放著冊子文字上焉耳、
新字:玩味先生此書、与亀山嘗見明道先生書同一意、而先生之学之純粋正大可見矣、非其聚徒相伝授者、句読文義而已、与所求有大於利禄之卓見、焉能足得伊洛淵源之味也哉、然人遽読之、則駭而以為狂矣、何者、周亡至漢、名儒碩学、林立於其朝、渢渢彬彬、姑就漢言之、則儒林自申公至瑕丘江凡七人、而劉叔賈馬亦儒也、自楊何至房鳳凡二十有七人、而匡衡楊雄等亦儒也、自劉昆至蔡玄凡四十有一人、而馬融鄭玄等亦儒也、而又更三国、歴六朝隋唐、迄于宋、儒学不可勝記也、而先生抹殺之以句読文義、故曰、人遽読之、駭而以為狂矣、然其中除董仲舒王仲淹韓退之数公之外、実不有見得其所謂道者也、終身放著冊子文字上焉耳、
書き下し
先生の此の書を玩味すれば、亀山の嘗て明道先生に見えし書と同一の意にして、先生の学の純粋正大なること見るべし。其の徒を聚めて相伝授する者は、句読文義のみ、と、求むる所利禄より大なる有り、との卓見に非ざれば、焉んぞ能く伊洛淵源の味を得るに足らんや。然れども人遽かに之を読めば、則ち駭きて以て狂と為さん。何となれば、周亡びて漢に至り、名儒碩学、其の朝に林立し、渢渢彬彬たり。姑く漢に就きて之を言へば、則ち儒林は申公より瑕丘江に至るまで凡そ七人、而して劉叔賈馬も亦た儒なり。楊何より房鳳に至るまで凡そ二十有七人、而して匡衡楊雄等も亦た儒なり。劉昆より蔡玄に至るまで凡そ四十有一人、而して馬融鄭玄等も亦た儒なり。而して又三国を更へ、六朝隋唐を歴て、宋に迄るまで、儒学勝げて記すべからざるなり。而るに先生之を抹殺するに句読文義を以てす。故に曰く、人遽かに之を読めば、駭きて以て狂と為さん、と。然れども其の中董仲舒王仲淹韓退之数公を除くの外、実に其の所謂道を見得る者有らざるなり。終身冊子文字の上に放著するのみ。
現代語訳
先生(李侗)のこの手紙を味わうと、亀山(楊時)がかつて明道先生(程顥)に会ったときの手紙と同じ趣旨であり、先生の学が純粋で正大であることがわかる。「弟子を集めて伝授する者は句読や文義だけ」「求めるものが利禄より大きい」という卓見でなければ、どうして伊洛(二程)の学の源の味を得られようか。しかし人がいきなりこれを読めば、驚いて狂っていると思うだろう。なぜなら、周が滅んで漢に至ると、名高い儒者や大学者が朝廷に林のように立ち並び、盛んで文雅であった。ひとまず漢について言えば、儒林は申公から瑕丘の江公まで七人、劉・叔・賈・馬の諸氏もまた儒者である。楊何から房鳳まで二十七人、匡衡や楊雄らもまた儒者である。劉昆から蔡玄まで四十一人、馬融や鄭玄らもまた儒者である。さらに三国を経て、六朝・隋・唐を経て宋に至るまで、儒学者は数えきれない。それなのに先生はこれらを「句読や文義だけ」と抹殺した。だから、人がいきなり読めば驚いて狂っていると思うだろう、と言うのである。しかしその中で、董仲舒・王仲淹(王通)・韓退之(韓愈)ら数人を除けば、実際にそのいう道を見得た者はいない。一生、書物の文字の上に放り出されていただけである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四善く学ぶ者は、志倦まず、心盈たず。一善の聞かず、一理の知らざること、歉然として飲食の飽かざるが如し。此れ何に繇りて然るや。誠に道は限り無くして、事は尽くること無きを以てなり。君子の平居無事の時に当たりては、大率衆人と異なること無し。艱難多事に遇ひて、而る後に其の才器の蘊蓄する所、優れて且つ長ずることを見る。所謂盤根錯節に遇はざれば、以て利器を別つに足ること無きなり。
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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『文武訓』文訓下一文学ひろく、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文学に通ぜず、聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。たとへば歌学をせずして、和歌のあしき人はあり。歌学なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但学問なく、すこし師の口伝をききて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聴かざるに遥にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。
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『慎思録』巻之六古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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『五常訓』巻之五・信一道を信ずる志は、専一にして厚かるべし。厚からざれば、彼方此方に志うつりて、道を守ること堅固ならず。得る事あれども、必失ふ。然れば、信なければ、初道を好むといへども、終をたもちがたく、巧言にまよひて、邪道におち入りやすし。之を誠にする者は、人の道なり。之を誠にするの道は、道を信ずること篤きにあり。道を信ずること篤ければ、行之果す。果すとは行ひとぐるなり。行之果せば、守之固しとは、道を守ること堅固にして、失はざるなり。道を信ずること篤からざれは、道行はれず。利欲にひかれ、外物にうつりて、道を守ること堅固ならず。道を信ぜずして、守ること堅固ならずば、万の才能ありとも、見るに足らず。是学者の、重んずべき所なり。
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