玉勝間 / 一の巻 又
又心無き商人の手にてしたつるは、利をのみはかるから、ここかしこひそかにはぶきなどもして、物する程に、全く善き本はいとまれにのみ成り行くめり。さればたとひ惡しくは有りとも、猶もろもろの書は、板にゑり置かまほしきわざなり。殊に貞觀儀式、西宮記、北山抄などのたぐひ、そのほかも、古へのめでたき書どもの、猶寫本のみにて有るが多きは、いかでいかで皆板にゑりて、世にひろくなさまほしきわざなり。家家の記錄ぶみなども、つぎつぎにゑらまほし。今の世大名たちなどにも、ずゐぶんに古書をえうじ給ふ有れど、唯だ其家の藏にをさめて、あつめ置かるるのみにて、見る人も無く、ひろまらざれば、世のためには何のやく無く、有るかひも無し。もしまことに古書をめで給ふ心ざし有らば、斯かるめでたき御世のしるしに、大名たちなどは、其道の人に仰せて、あだし本どもをも讀み合せ、善きをえらばせて、板にゑらせて、世にひろめ給はむは、よろづよりもめでたく、末の代までのいみしき功なるべし。
新字:又心無き商人の手にてしたつるは、利をのみはかるから、ここかしこひそかにはぶきなどもして、物する程に、全く善き本はいとまれにのみ成り行くめり。さればたとひ悪しくは有りとも、猶もろもろの書は、板にゑり置かまほしきわざなり。殊に貞観儀式、西宮記、北山抄などのたぐひ、そのほかも、古へのめでたき書どもの、猶写本のみにて有るが多きは、いかでいかで皆板にゑりて、世にひろくなさまほしきわざなり。家家の記録ぶみなども、つぎつぎにゑらまほし。今の世大名たちなどにも、ずゐぶんに古書をえうじ給ふ有れど、唯だ其家の蔵にをさめて、あつめ置かるるのみにて、見る人も無く、ひろまらざれば、世のためには何のやく無く、有るかひも無し。もしまことに古書をめで給ふ心ざし有らば、斯かるめでたき御世のしるしに、大名たちなどは、其道の人に仰せて、あだし本どもをも読み合せ、善きをえらばせて、板にゑらせて、世にひろめ給はむは、よろづよりもめでたく、末の代までのいみしき功なるべし。
書き下し
また心無き商人の手にてしたつるは、利をのみはかるから、ここかしこひそかにはぶきなどもして、物する程に、全く善き本はいとまれにのみ成り行くめり。さればたとい悪しくは有りとも、なおもろもろの書は、板にえり置かまほしきわざなり。殊に貞観儀式、西宮記、北山抄などのたぐい、そのほかも、古えのめでたき書どもの、なお写本のみにて有るが多きは、いかでいかで皆板にえりて、世にひろくなさまほしきわざなり。家々の記録ぶみなども、つぎつぎにえらまほし。今の世大名たちなどにも、ずいぶんに古書をようじ給う有れど、ただその家の蔵におさめて、あつめ置かるるのみにて、見る人も無く、ひろまらざれば、世のためには何のやく無く、有るかいも無し。もしまことに古書をめで給う心ざし有らば、斯かるめでたき御世のしるしに、大名たちなどは、その道の人に仰せて、あだし本どもをも読み合わせ、善きをえらばせて、板にえらせて、世にひろめ給わむは、よろづよりもめでたく、末の代までのいみしき功なるべし。
現代語訳
また、心ない商人の手で写本を仕立てるものは、利益ばかりをはかるので、あちこちこっそり省いたりもして作るうちに、まったく良い本はごくまれになってゆくようである。だから、たとえ悪い点はあっても、やはりさまざまな書物は版木に彫っておきたいものである。ことに貞観儀式・西宮記・北山抄などの類や、そのほかにも古の立派な書物がなお写本だけのものが多いのは、なんとかしてみな版木に彫って世に広めたいものである。家々の記録(日記)なども次々に彫りたい。今の世の大名たちなどにも、ずいぶん古書を大切にされる方がいるが、ただその家の蔵に納めて集めておかれるだけで、見る人もなく広まらないので、世のためには何の役にも立たず、あるかいもない。もし本当に古書を愛する志がおありなら、このようなめでたい御世のしるしとして、大名たちなどはその道の人に命じて、他の本とも読み合わせ、良いものを選ばせて版木に彫らせ、世に広められるならば、何よりもめでたく、末の代までの大きな功績となるだろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 又万の書ども、すり本と写し本との、善さ悪しさを云わむに、まづすり本の、得やすくたよりよき事は、云うもさらなり。しかれどもまた、はじめ板にえる時に、ふみあき人の手にて、本の善き悪しきをもえらばずてえりたるは、さらにも云わず、物知り人の手をへて、えらびたるも、なおひがことの多かるを、一たび板にえりて、すり本出でぬれば、もろもろの写し本は、おのづからにすたれて、たえだえになりて、ただ一つにさだまる故に、誤りの有るを、他本もてたださむとすれども、たやすく得がたき、こはすり本有るが悪しきなり。皇朝の書どもは、大かた元和・寛永のころより、ようやくに板にはえれるを、いづれも本悪しく、誤り多くして、別に善き本を得てたださざれば、物の用にもたちがたきさえ多かるは、いとくち惜しきわざなりかし。然るにすり本ならぬ書どもは、写し本はさまざま有れば、誤りは有りながらに、これかれを見あわすれば、善き事を得る、こは写本にて伝わる一つの善さなり。然かはあれども、写本はまづは得がたき物なれば、広からずして絶えやすく、また写すたびごとに、誤りも多くなり。
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『玉勝間』一の巻 又いきおい富める人の上にては、かばかりの費は、何ばかりの事にも有らで、そのいさおは、天の下の人のいみしきめぐみをこうぶりて、末の世まで残るわざぞかし。かえすがえすこころざし有らむ人もがな。
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『玉勝間』二の巻 ふみども今は得やすくなれる事その頃までは、大かた斯かりけるに、このちかき年頃となりては、写本ながら代匠記も多く出でて、さらに得がたからず成りぬるは、古学の道のひらけて、ようずる人多ければぞかし。さるは代匠記のみにも有らず、すべて写しまきなる物は、家家の記録などのたぐい、その外の書どもも、いといと得がたかりしに、何も何も、今はたやすく得らるる事となれるは、いともいともめでたく尊き、御代の御栄えになん有りける。
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『玉勝間』一の巻 また続紀よりつぎつぎの史典も、今の本は、いづれもよろしからず、文字の誤りことに多く、脱けたることなども有り。そもそも、書紀は、訓大事なれば、たやすく手つけがたきを、続紀よりこなたの史は、宣命のところをおきてほかすべては、訓にことなること無く、ただ世のつねのから書の訓の如くにてよろしければ、今いかで三代実録までを、皆古き善き本を、これかれ読み合わせて、善きをえらびて、うるわしきえり板を成しおかまほしきわざなり。
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『玉勝間』一の巻 また珍しき書を得たらむには、したしきもうときも、同じこころざしならむ人には、かたみにやすく貸して、見せもし写させもして、世にひろくせまほしきわざなるを、人には見せず、おのれひとり見て、ほこらむとするは、いといと心ぎたなく、物学ぶ人の有るまじきことなり。ただし得がたき書を、遠く便り悪しき国などへ貸し遣りたるに、あるいは道の程にてはふれうせ、あるいはその人にわかになくなりなどもして、遂にその書かえらずなる事有るは、いと心うきわざなり。されば遠きさかいよりかりたらむ書は、道のほどの事をもよくしたため、また人の命は、にわかなる事もはかりがたき物にし有れば、なからむ後にも、はふらさず、たしかに返すべく、おきて置くべきわざなり。すべて人の書を借りたらむには、すみやかに見て、返すべきわざなるを、久しくとどめ置くは、心無し。さるは書のみにも有らず、人に借りたる物は、何も何も同じ事なるうちに、いかなればにか、書はことに、用無く成りてのちも、なおざりに打ち捨て置きて、久しく返さぬ人の、世に多き物ぞかし。
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『玉勝間』一の巻 古書どもの事古きふみどもの、世にたえてつたわらぬは、万よりもくち惜しく歎かわしきわざなり。釈日本紀、仙覚が万葉の抄などを見るに、そのほどまでは、国々の風土記も大かたそなわりて、伝われりと見えたり。釈に引きたる上宮記と云う物は、いささかばかりなれど、そのさま古事記よりも、今一きわふるく見えたるは、まことに上宮わたりの物にや有りけむ。また風土記は、いとたふとき物なるに、今はただ出雲一国ののみ、またくては残りて、ほかはみな絶えぬるは、かえすがえすもくち惜し。さるは応仁よりこなた、打ち続きたるみやこの乱れに、ふるき書どもも、みな焼けうせ、あるいは散りぼい失せぬるなるべし。そも今の世のごと、国々にも学問するともがら多く、書どもようじ持たる者おおからましかば、むげに絶えはつる事はあらじを、そのかみはいまだいなかには、学問するともがらもいといと稀れにして、京ならでは、おさおさ書どもも、無かりしが故なめり。されどから国のふるき書どもはしも、これかれといなかにも残れるが有るは、むねとからを好むよのならいなるが故なり。
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