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玉勝間 / 一の巻 また

書紀の今の本は、もじの誤りもところどころ有り。又訓も、古言ながら、多くは今の京になりての云ひざまにて、音便の詞などいと多きに、中にはまたいと古くめづらかにたふとき事もまじれるを、その訓おほくは全からず。或るはなかば缺け、或はもじあやまりなど、すべてうるはしからず、しどけなきは、いといとくち惜しきわざなり。板本一つならでは世に無く、古き寫し本はたいと稀なれば、これかれをくらべ見て、直すべき便りも無く、すべて今これをきよらにうるはしく、改め直さむ事は、いといとかたきわざなり。今の世の物知り人、おのれ古、のこころ詞をうまらに明らめ得たりと思ひがほなるも、猶ひがことのみ多かれば、これ改めたらむには、中中の物ぞこなひぞ多かるべき。されば今これをゑり改めむとならば、文字の誤りをのみただして、訓をば、暫らくもとのままにて有らむかたぞ、まさりぬべき。

新字:書紀の今の本は、もじの誤りもところどころ有り。又訓も、古言ながら、多くは今の京になりての云ひざまにて、音便の詞などいと多きに、中にはまたいと古くめづらかにたふとき事もまじれるを、その訓おほくは全からず。或るはなかば欠け、或はもじあやまりなど、すべてうるはしからず、しどけなきは、いといとくち惜しきわざなり。板本一つならでは世に無く、古き写し本はたいと稀なれば、これかれをくらべ見て、直すべき便りも無く、すべて今これをきよらにうるはしく、改め直さむ事は、いといとかたきわざなり。今の世の物知り人、おのれ古、のこころ詞をうまらに明らめ得たりと思ひがほなるも、猶ひがことのみ多かれば、これ改めたらむには、中中の物ぞこなひぞ多かるべき。されば今これをゑり改めむとならば、文字の誤りをのみただして、訓をば、暫らくもとのままにて有らむかたぞ、まさりぬべき。

書き下し

書紀の今の本は、もじの誤りもところどころ有り。また訓も、古言ながら、多くは今の京になりての云いざまにて、音便の詞などいと多きに、中にはまたいと古くめづらかにたふとき事もまじれるを、その訓おおくは全からず。あるいはなかば欠け、あるいはもじあやまりなど、すべてうるわしからず、しどけなきは、いといとくち惜しきわざなり。板本一つならでは世に無く、古き写し本はたいと稀なれば、これかれをくらべ見て、直すべき便りも無く、すべて今これをきよらにうるわしく、改め直さむ事は、いといとかたきわざなり。今の世の物知り人、おのれ古のこころ詞をうまらに明らめ得たりと思いがおなるも、なおひがことのみ多かれば、これ改めたらむには、中々の物ぞこないぞ多かるべき。されば今これをえり改めむとならば、文字の誤りをのみただして、訓をば、暫らくもとのままにて有らむかたぞ、まさりぬべき。

現代語訳

日本書紀の今の本は、文字の誤りもところどころある。また訓も、古語ではあるが、多くは今の京(平安京)になってからの言い方で、音便の言葉などがたいへん多い中に、またごく古く珍しく尊いものも混じっているのに、その訓は多くが完全ではない。あるいは半ば欠け、あるいは文字の誤りなど、すべて整っておらず、だらしないのは、実に残念なことである。版本は一つしか世になく、古い写本もまたごくまれなので、あれこれ比べ見て直す手だてもなく、今これを美しく整えて改め直すことは、実に難しいことである。今の世の物知りが、自分は古の心と言葉を十分に明らかにしたと思っている顔つきでも、やはり誤りばかり多いので、その人がこれを改めたとしたら、かえって物を損なうことが多いだろう。だから今これを彫り改めようとするなら、文字の誤りだけを正して、訓はしばらく元のままにしておく方がまさっているだろう。

解説

日本書紀の本文と訓をどう扱うべきかを論じた段である。宣長は、流布する版本には字の誤りがあり、付けられた訓も多くは平安以降の言い方で、しかも古く尊い訓が半端に残っていると嘆く。けれども結論は慎重だ。今の学者は古語を明らめ得たと思っていても誤りが多いのだから、下手に訓を直せばかえって古い訓を壊す。だから版を改めるなら字の誤りだけを正し、訓は元のままに置け、と。自分を含む当代の学問の限界を見据えた判断である。直したい気持ちが強いほど、直すことで失われるものがある。分からないうちは手を加えず残しておくことも、学問の誠実さの一つの形だと宣長は教えている。

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