玉勝間 / 一の巻 また
續紀よりつぎつぎの史典も、今の本は、いづれもよろしからず、文字の誤りことに多く、脫たることなども有り。そもそも、書紀は、訓大事なれば、たやすく手つけがたきを、續紀よりこなたの史は、宣命のところをおきてほかすべては、訓にことなること無く、唯だ世のつねのから書の訓の如くにてよろしければ、今いかで三代實錄までを、皆古き善き本を、これかれ讀み合せて、善きをえらびて、うるはしきゑり板を成しおかまほしきわざなり。
新字:続紀よりつぎつぎの史典も、今の本は、いづれもよろしからず、文字の誤りことに多く、脱たることなども有り。そもそも、書紀は、訓大事なれば、たやすく手つけがたきを、続紀よりこなたの史は、宣命のところをおきてほかすべては、訓にことなること無く、唯だ世のつねのから書の訓の如くにてよろしければ、今いかで三代実録までを、皆古き善き本を、これかれ読み合せて、善きをえらびて、うるはしきゑり板を成しおかまほしきわざなり。
書き下し
続紀よりつぎつぎの史典も、今の本は、いづれもよろしからず、文字の誤りことに多く、脱けたることなども有り。そもそも、書紀は、訓大事なれば、たやすく手つけがたきを、続紀よりこなたの史は、宣命のところをおきてほかすべては、訓にことなること無く、ただ世のつねのから書の訓の如くにてよろしければ、今いかで三代実録までを、皆古き善き本を、これかれ読み合わせて、善きをえらびて、うるわしきえり板を成しおかまほしきわざなり。
現代語訳
続日本紀から次々の正史も、今の本はどれも良くなく、文字の誤りがことに多く、脱落したところなどもある。そもそも日本書紀は訓が大事なので、たやすく手をつけにくいが、続日本紀から後の正史は、宣命の部分を除いてほかはすべて、訓に特別なことはなく、ただ世間普通の漢籍の訓のようでよいので、今なんとかして三代実録までを、みな古い良い本をあれこれ読み合わせ、良いものを選んで、立派な版木を作っておきたいものである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 また書紀の今の本は、もじの誤りもところどころ有り。また訓も、古言ながら、多くは今の京になりての云いざまにて、音便の詞などいと多きに、中にはまたいと古くめづらかにたふとき事もまじれるを、その訓おおくは全からず。あるいはなかば欠け、あるいはもじあやまりなど、すべてうるわしからず、しどけなきは、いといとくち惜しきわざなり。板本一つならでは世に無く、古き写し本はたいと稀なれば、これかれをくらべ見て、直すべき便りも無く、すべて今これをきよらにうるわしく、改め直さむ事は、いといとかたきわざなり。今の世の物知り人、おのれ古のこころ詞をうまらに明らめ得たりと思いがおなるも、なおひがことのみ多かれば、これ改めたらむには、中々の物ぞこないぞ多かるべき。されば今これをえり改めむとならば、文字の誤りをのみただして、訓をば、暫らくもとのままにて有らむかたぞ、まさりぬべき。
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うひ山ぶみ・注[ル]御世々々の宣命にはすべて宣命にはかぎらず、何事にもせよ、からめきたるすぢをはなれて、皇国の上代めきたるすぢの事や詞は、いづれの書にあるをも、殊に心をとどめて見るべし、古ヘをしる助ケとなること也、釈日本紀、此書は後の物にて、説もすべてをさなけれども、今の世には伝はらぬ古書どもを、これかれと引出たる中に、いとめづらかに、たふときことどもの有也、諸国の風土記なども、みな今は伝はらざるに、此書と仙覚が万葉の抄とに、引出たる所々のみぞ、世にのこれる、これ殊に古学の用なり、又むかしの私記どもも、皆亡ぬるを、此釈には、多く其説をあげたり、私記の説も、すべてをさなけれども、古き故に、さすがに取ルべき事もまゝある也、さて六国史をはじめて、こゝに挙たる書共いづれも、板本も写本も、誤字脱文等多ければ、古本を得て、校正すべし、されど古本は、たやすく得がたきものなれば、まづ人の校正したる本を、求め借りてなりとも、つぎつぎ直すべき也、さて又ついでにいはむ、今の世は、古ヘをたふとみ好む人おほくなりぬるにつきては、
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うひ山ぶみ・第二十九段まづ道をしるべき学びは、大抵上ノ件リの書ども也、然れども書紀より後の、次々の御代々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、続日本紀、次に日本後紀、つぎに続日本後紀、次に文徳実録、次に三代実録也、書紀よりこれまでを合せて六国史といふ、みな朝廷の正史なり、つぎつぎに必ズよむべし、
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『玉勝間』一の巻 又また心無き商人の手にてしたつるは、利をのみはかるから、ここかしこひそかにはぶきなどもして、物する程に、全く善き本はいとまれにのみ成り行くめり。さればたとい悪しくは有りとも、なおもろもろの書は、板にえり置かまほしきわざなり。殊に貞観儀式、西宮記、北山抄などのたぐい、そのほかも、古えのめでたき書どもの、なお写本のみにて有るが多きは、いかでいかで皆板にえりて、世にひろくなさまほしきわざなり。家々の記録ぶみなども、つぎつぎにえらまほし。今の世大名たちなどにも、ずいぶんに古書をようじ給う有れど、ただその家の蔵におさめて、あつめ置かるるのみにて、見る人も無く、ひろまらざれば、世のためには何のやく無く、有るかいも無し。もしまことに古書をめで給う心ざし有らば、斯かるめでたき御世のしるしに、大名たちなどは、その道の人に仰せて、あだし本どもをも読み合わせ、善きをえらばせて、板にえらせて、世にひろめ給わむは、よろづよりもめでたく、末の代までのいみしき功なるべし。
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
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うひ山ぶみ・注[ヌ]六国史といふいかにしたるにか、亡て伝はらず、今それとて廿巻あるは、全き物にあらず、然るに近き世、鴨ノ祐之といひし人、類聚国史をむねと取リ、かたはら他の正しき古書共をもとり加ハへて、日本逸史といふ物四十巻を撰定せる、後紀のかはりは、此書にてたれり、類聚国史は、六国史に記されたる諸の事を、部類を分ケ聚めて、菅原ノ大臣の撰玉へる書也、さて三代実録の後は、正しき国史は無し、されば宇多ノ天皇よりこなたの御世々々の事は、たゞこれかれかたはらの書共を見てしること也、其書ども、国史のたぐひなるも、あまた有、近世水戸の大日本史は、神武天皇より、後小松ノ天皇の、後亀山ノ天皇の御禅を受させ給へる御事までしるされて、めでたき書也、御世々々の宣命には云々、書紀に挙られたる、御世々々の詔勅は、みな漢文なるのみなるを、続紀よりこなたの史共には、皇朝詞の詔をも、載せられたる、これを分て宣命といふ也、続紀なるは、世あがりたれば、殊に古語多し、その次次の史どもなる、やうやうに古き語はすくなくなりゆきて、漢詞おほくまじれり、
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