玉勝間 / 一の巻 古書どもの事
古きふみどもの、世にたえてつたはらぬは、萬よりもくち惜しく歎かはしきわざなり。釋日本紀、仙覺が萬葉の抄などを見るに、そのほどまでは、國國の風土記も大かたそなはりて、傳はれりと見えたり。釋に引たる上宮記と云ふ物は、いささかばかりなれど、そのさま古事記よりも、今一きはふるく見えたるは、まことに上宮わたりの物にや有けむ。又風土記は、いとたふとき物なるに、今は唯だ出雲一國ののみ、またくては殘りて、ほかはみな絕ぬるは、かへすがへすもくち惜し。さるは應仁よりこなた、打ち續きたるみやこの亂れに、ふるき書どもも、みな燒けうせ、或るは散りぼひ失せぬるなるべし。そも今の世のごと、國國にも學問するともがら多く、書どもえうじ持たる者おほからましかば、むげに絕えはつる事はあらじを、そのかみはいまだゐなかには、學問するともがらもいといと稀れにして、京ならでは、をさをさ書どもも、無かりしが故なめり。されどから國のふるき書どもはしも、これかれとゐなかにも殘れるが有るは、むねとからを好むよのならひなるが故なり。
新字:古きふみどもの、世にたえてつたはらぬは、万よりもくち惜しく嘆かはしきわざなり。釈日本紀、仙覚が万葉の抄などを見るに、そのほどまでは、国国の風土記も大かたそなはりて、伝はれりと見えたり。釈に引たる上宮記と云ふ物は、いささかばかりなれど、そのさま古事記よりも、今一きはふるく見えたるは、まことに上宮わたりの物にや有けむ。又風土記は、いとたふとき物なるに、今は唯だ出雲一国ののみ、またくては残りて、ほかはみな絶ぬるは、かへすがへすもくち惜し。さるは応仁よりこなた、打ち続きたるみやこの乱れに、ふるき書どもも、みな焼けうせ、或るは散りぼひ失せぬるなるべし。そも今の世のごと、国国にも学問するともがら多く、書どもえうじ持たる者おほからましかば、むげに絶えはつる事はあらじを、そのかみはいまだゐなかには、学問するともがらもいといと稀れにして、京ならでは、をさをさ書どもも、無かりしが故なめり。されどから国のふるき書どもはしも、これかれとゐなかにも残れるが有るは、むねとからを好むよのならひなるが故なり。
書き下し
古きふみどもの、世にたえてつたわらぬは、万よりもくち惜しく歎かわしきわざなり。釈日本紀、仙覚が万葉の抄などを見るに、そのほどまでは、国々の風土記も大かたそなわりて、伝われりと見えたり。釈に引きたる上宮記と云う物は、いささかばかりなれど、そのさま古事記よりも、今一きわふるく見えたるは、まことに上宮わたりの物にや有りけむ。また風土記は、いとたふとき物なるに、今はただ出雲一国ののみ、またくては残りて、ほかはみな絶えぬるは、かえすがえすもくち惜し。さるは応仁よりこなた、打ち続きたるみやこの乱れに、ふるき書どもも、みな焼けうせ、あるいは散りぼい失せぬるなるべし。そも今の世のごと、国々にも学問するともがら多く、書どもようじ持たる者おおからましかば、むげに絶えはつる事はあらじを、そのかみはいまだいなかには、学問するともがらもいといと稀れにして、京ならでは、おさおさ書どもも、無かりしが故なめり。されどから国のふるき書どもはしも、これかれといなかにも残れるが有るは、むねとからを好むよのならいなるが故なり。
現代語訳
古い書物が世に絶えて伝わらないのは、何よりも残念で嘆かわしいことである。『釈日本紀』や仙覚の万葉集の注釈などを見ると、その頃までは諸国の風土記もおおかた揃って伝わっていたと見える。『釈日本紀』に引いている『上宮記』というものは、ほんの少しばかりだが、その様子が古事記よりもさらに一段古く見えるのは、本当に上宮(聖徳太子)あたりの書物だったのだろうか。また風土記はたいへん尊いものなのに、今はただ出雲一国のものだけが完全に残って、ほかはみな絶えてしまったのは、かえすがえすも残念である。それは応仁以来うち続いた都の乱れで、古い書物もみな焼け失せ、あるいは散り散りになって失われたのであろう。そもそも今の世のように、諸国にも学問をする人が多く、書物を大切に持っている者が多かったならば、すっかり絶え果てることはなかっただろうに、その当時はまだ田舎には学問をする人もごくまれで、京でなければ書物もほとんどなかったからであろう。けれども中国の古い書物は、あれこれと田舎にも残っているものがあるのは、もっぱら中国を好む世の習いのためである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 古書どもの事かくて風土記も、今の世にもかれこれと有るは、はじめの奈良の御代のには有らず、やや後の物にて、そのさま古きとはいたくかわりて、大かたおかしからぬものなり。その中に、豊後国のは、奈良のなれど、ただいささかのこりて、全からず。そもそも斯くはじめの善きは絶えて、後の悪ろきがのこれるは、いかなるゆえにかと思うに、これはた世人の心、おしなべてからざまにのみなれるから、古くてからめかぬをば好まず、後のいささかもからざまに近きをよろこべる故なるべし。神代の巻も、日本紀のをのみたふとみて、古事記のをば、ようぜぬをもてなずらえ知るべし。さて然かもとの風土記はみな絶えぬる中に、国はしも多かるに、出雲ののこれる事は、まがことの中のいみしきさきわいなり。また日本紀はもとより絶ゆまじきことわりなるを、古事記・万葉集のたまたまに絶えで残れるは、殊にいみしき後の世のさきわいなり。大かた今の世にして、古のすがたを知る事は、もはらこの二ふみのみたまになむ有りける。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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うひ山ぶみ・注[ル]御世々々の宣命にはすべて宣命にはかぎらず、何事にもせよ、からめきたるすぢをはなれて、皇国の上代めきたるすぢの事や詞は、いづれの書にあるをも、殊に心をとどめて見るべし、古ヘをしる助ケとなること也、釈日本紀、此書は後の物にて、説もすべてをさなけれども、今の世には伝はらぬ古書どもを、これかれと引出たる中に、いとめづらかに、たふときことどもの有也、諸国の風土記なども、みな今は伝はらざるに、此書と仙覚が万葉の抄とに、引出たる所々のみぞ、世にのこれる、これ殊に古学の用なり、又むかしの私記どもも、皆亡ぬるを、此釈には、多く其説をあげたり、私記の説も、すべてをさなけれども、古き故に、さすがに取ルべき事もまゝある也、さて六国史をはじめて、こゝに挙たる書共いづれも、板本も写本も、誤字脱文等多ければ、古本を得て、校正すべし、されど古本は、たやすく得がたきものなれば、まづ人の校正したる本を、求め借りてなりとも、つぎつぎ直すべき也、さて又ついでにいはむ、今の世は、古ヘをたふとみ好む人おほくなりぬるにつきては、
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『玉勝間』一の巻 また書紀の今の本は、もじの誤りもところどころ有り。また訓も、古言ながら、多くは今の京になりての云いざまにて、音便の詞などいと多きに、中にはまたいと古くめづらかにたふとき事もまじれるを、その訓おおくは全からず。あるいはなかば欠け、あるいはもじあやまりなど、すべてうるわしからず、しどけなきは、いといとくち惜しきわざなり。板本一つならでは世に無く、古き写し本はたいと稀なれば、これかれをくらべ見て、直すべき便りも無く、すべて今これをきよらにうるわしく、改め直さむ事は、いといとかたきわざなり。今の世の物知り人、おのれ古のこころ詞をうまらに明らめ得たりと思いがおなるも、なおひがことのみ多かれば、これ改めたらむには、中々の物ぞこないぞ多かるべき。されば今これをえり改めむとならば、文字の誤りをのみただして、訓をば、暫らくもとのままにて有らむかたぞ、まさりぬべき。
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『玉勝間』七の巻 神わざのおとろへのなげかはしき事よろずよりも、世の中に願わしきは、いかでもろもろの神の社の衰えを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ。今の世の神の社・神事のさまは、おおかた中頃の乱れ世に、いたく衰えすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古よりかかるものとぞ思いたんめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、その心もて、万ずをさだして、皇国の古き書どもをば、おさおさ読む人も無ければ、古の御世には、神社・神事を、むねと重くし給いし事をば知らず。また稀れには知れる人も有れども、なお今の世のならいにまぎれては、古を思いくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事ふるき神の社の、今は絶えたる、また絶えざれども、定かならず成りぬるなど、いずくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天の下のよろずの事も、古の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ずにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古えにも稀なるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろずに古をたずねて、絶えたるを起こし、おとろえたるを直し給う御世にし有れば、神の社どもは、殊に古に立ちかえりて、栄ゆべき時なりけり。しか有るにつけては、絶えたるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、また今も有りながら、さだかならず、疑わしきをば、よく考え尋ねて、確かにそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神の社ならぬも、古えに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、かかるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
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