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玉勝間 / 一の巻 儒者の皇国の事をば知らずとてある事

儒者に皇國の事を問ふには、知らずと云ひて、耻とせず。から國の事を問ふに、知らずと云ふをば、いたく恥と思ひて、知らぬ事をも知りがほに云ひまぎらはす。こは萬づをからめかさむとする餘りに、其身をも漢人めかして、皇國をばよその國のごともてなさむとするなるべし。されど猶から人には有らず、御國人なるに、儒者とあらむ者の、おのが國の事知らで有るべきわざかは。但し皇國の人に對ひては、さ有らむも、から人めきて善かっめれど、もし漢國人の問ひたらむには、我は、そなたの國の事はよく知れれども、わが國の事は知らずとは、さすがにえ云ひたらじをや。もしさも云ひたらむには、己が國の事をだにえ知らぬ儒者のいかでか人の國の事をば知るべきとて、手をうちて、いたくわらひつべし。

新字:儒者に皇国の事を問ふには、知らずと云ひて、耻とせず。から国の事を問ふに、知らずと云ふをば、いたく恥と思ひて、知らぬ事をも知りがほに云ひまぎらはす。こは万づをからめかさむとする余りに、其身をも漢人めかして、皇国をばよその国のごともてなさむとするなるべし。されど猶から人には有らず、御国人なるに、儒者とあらむ者の、おのが国の事知らで有るべきわざかは。但し皇国の人に対ひては、さ有らむも、から人めきて善かっめれど、もし漢国人の問ひたらむには、我は、そなたの国の事はよく知れれども、わが国の事は知らずとは、さすがにえ云ひたらじをや。もしさも云ひたらむには、己が国の事をだにえ知らぬ儒者のいかでか人の国の事をば知るべきとて、手をうちて、いたくわらひつべし。

書き下し

儒者に皇国の事を問うには、知らずと云いて、恥とせず。から国の事を問うに、知らずと云うをば、いたく恥と思いて、知らぬ事をも知りがおに云いまぎらわす。こは万づをからめかさむとする余りに、その身をも漢人めかして、皇国をばよその国のごともてなさむとするなるべし。されどなおから人には有らず、御国人なるに、儒者とあらむ者の、おのが国の事知らで有るべきわざかは。ただし皇国の人に対いては、さ有らむも、から人めきて善かんめれど、もし漢国人の問いたらむには、我は、そなたの国の事はよく知れれども、わが国の事は知らずとは、さすがにえ云いたらじをや。もしさも云いたらむには、己が国の事をだにえ知らぬ儒者のいかでか人の国の事をば知るべきとて、手をうちて、いたくわらいつべし。

現代語訳

儒者に日本のことを尋ねると、知らないと言って恥としない。中国のことを尋ねると、知らないと言うのをひどく恥と思って、知らないことまでも知っている顔で言いまぎらわす。これは何事も中国風にしようとするあまりに、自分の身まで中国人めかして、日本をよその国のように扱おうとするのであろう。しかしやはり中国人ではなく日本人であるのに、儒者ともあろう者が自分の国のことを知らないでいてよいものだろうか。もっとも日本人に向かってはそうであっても、中国人めいていて良いのだろうが、もし中国人が尋ねたとしたら、「私はあなたの国のことはよく知っているが、自分の国のことは知らない」とは、さすがに言えないだろう。もしそう言ったなら、「自分の国のことさえ知らない儒者が、どうして他人の国のことを知っていようか」と、手を打ってひどく笑うに違いない。

解説

日本のことは知らなくても平気で、中国のことを知らないのは恥とする儒者の態度を皮肉った段である。宣長の見立てでは、それは何事も中国風にしたいあまり、自分まで中国人のつもりになって、日本をよその国のように扱っているのである。とどめの一撃が効いている。もし本物の中国人に「自国のことは知らない」と言えば、自分の国さえ知らない者が人の国を分かるはずがない、と手を打って笑われるだろう、と。外来の学問を身につけるほど自国を軽んじるという倒錯は、江戸の儒者に限った話ではない。外国の事情には詳しいのに、足元の歴史や文化は説明できない。そういう姿は今もよく見かけるものである。

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