玉勝間 / 一の巻 水茎の岡
そはまづ上古には、人の許へ使をやるには、梓木に玉をつけたるを持せて、使のしるしとせしなり。玉梓の使とつねに云ふは此事なり。それよりうつりて、せうそこ文をも、同じく玉梓と云ひ、又かの玉つけたる梓をさして、みづみづしき木と云ふ意にて、みづぐきと云へるより、これもうつりて書をも然か云へるなり。かくて又うつりては、必ずしも人の許へやる書ならでも、手跡の事をも、水ぐきと云ふ事となれるなり。
書き下し
そはまづ上古には、人の許へ使をやるには、梓木に玉をつけたるを持たせて、使のしるしとせしなり。玉梓の使とつねに云うはこの事なり。それよりうつりて、せうそこ文をも、同じく玉梓と云い、またかの玉つけたる梓をさして、みづみづしき木と云う意にて、みづぐきと云えるより、これもうつりて書をも然か云えるなり。かくてまたうつりては、必ずしも人の許へやる書ならでも、手跡の事をも、水ぐきと云う事となれるなり。
現代語訳
それはまず、上古には人のもとへ使いをやるときには、梓の木に玉を付けたものを持たせて、使いのしるしとしたのである。「玉梓の使い」といつも言うのはこのことである。それから意味が移って、手紙をも同じく玉梓と言い、またあの玉を付けた梓を指して、みずみずしい木という意味で「みずぐき」と言ったことから、これも意味が移って手紙をもそう言うようになったのである。こうしてさらに意味が移って、必ずしも人のもとへ送る手紙でなくても、筆跡のことをも「みずぐき」と言うようになったのである。
解説
手紙や筆跡を「みずぐき」と呼ぶ理由を説いて、水茎の考証を締めくくる段である。宣長によれば、上古には使者に梓の木に玉を付けたものを持たせて身元のしるしとした。そこから使者を「玉梓の使」、手紙を「玉梓」と呼ぶようになり、同じ梓の杖を「みずみずしい木」の意で「みずぐき」とも呼んだ。それが手紙の意に移り、さらに手紙に限らず筆跡一般を指すようになった、という三段の変化である。物から言葉へ、言葉から別の意味へと、用法が少しずつずれていく筋道を丁寧にたどっている。今も私たちは意味の移った言葉を無数に使っているが、その来歴を知ると、言葉が一つの歴史を背負っていることに気づかされる。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 水茎の岡水茎の岡とつづきたる水茎は、みな岡の枕詞にして、地の名にはあらず。然るを昔より、枕詞なることを知れる人無くして、あるいは筑前、あるいは近江の地名と心得来つるは、ひがことなり。水ぐきは、みづみづしき茎と云うことにて、草木の茎なり。さてくきと云えば、すなわち木の事にも、草のことにもなれり。木の神を久久能智と云うにて心得べし。さて岡とつづくるは、稚の意なり。わとおと通う例、わななく、おののく、わかづる、おこづる、たわやめ、たおやめなど、なお多き中に、神楽の取り物の歌に、天にますとよ岡姫のと有るをとりて、源氏物語のおとめの巻の歌には、天にますとよわか姫と詠める、これ正しく岡と若と通う例なり。さればみづみづしき木の稚しと云う意にて、みづぐきの岡とは続くるなり。また万葉六に、水城と続けたるは、やがてみづみづしき茎のみづ木と、重ねたるなり。七に水茎の崗水門と詠めるは、筑前の国遠賀郡にて、風土記に塢舸水門と見えて、ただ岡と云う地名なり。この歌の外に、筑前に水ぐきの岡と云うこと、古書に見えたること無し。仲哀紀に洞の海と云う有るを思いて、洞を、水ぐきと一つかと思うも、ひがことなり。洞の海は、おかのみなととは別所なり。
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『玉勝間』九の巻 硯がめ同書石蔭の巻に、御まえの御すずりがめと有るは、俗に云う水入れなり。
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『玉勝間』六の巻 八木米を八木と云うは、古きことなり。小右記の、寛仁万寿の頃のところに、八木十石、八木三十石など見えたり。
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