玉勝間 / 一の巻 悠紀主基
大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師說ニ、次於齋忌也と云へるより、今に至るまで、人皆此意とのみ心得ためれど、ひがことなり。かの說は、天武紀に、齋忌此云踰既、次此云須岐、と有るによれるなれども、齋忌こそ此字の意なれ、次は借字にして、此字の意にはあらず。古、はすべて言だに同じければ、字は、意にはかかはらず、借って書るに、次を須岐とも云へるから、言の同じきままに、借って書ならへるを、そのままに書れたる物なり。次の意にあらずと云ふゆゑは、悠紀と主基とは、何事も二方全く同じさまにして、一事もいささかのおとりまさりあること無ければ、次と云ふべきよしさらに無し。天武紀なるは、借。字なること、疑ひ無き物をや。主基は、禊の曾岐と同言にして、濯と云ふことなり。みそきも身灌にて、そそくとすすくと同じきを、共につづめて、曾岐とも須岐とも云へるなり。されば是れも、齋忌と同じさまの名にして、濯き〓めたるよしなるぞかし。
新字:大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師説ニ、次於斎忌也と云へるより、今に至るまで、人皆此意とのみ心得ためれど、ひがことなり。かの説は、天武紀に、斎忌此云踰既、次此云須岐、と有るによれるなれども、斎忌こそ此字の意なれ、次は借字にして、此字の意にはあらず。古、はすべて言だに同じければ、字は、意にはかかはらず、借って書るに、次を須岐とも云へるから、言の同じきままに、借って書ならへるを、そのままに書れたる物なり。次の意にあらずと云ふゆゑは、悠紀と主基とは、何事も二方全く同じさまにして、一事もいささかのおとりまさりあること無ければ、次と云ふべきよしさらに無し。天武紀なるは、借。字なること、疑ひ無き物をや。主基は、禊の曽岐と同言にして、濯と云ふことなり。みそきも身灌にて、そそくとすすくと同じきを、共につづめて、曽岐とも須岐とも云へるなり。されば是れも、斎忌と同じさまの名にして、濯き〓めたるよしなるぞかし。
書き下し
大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師説に、斎忌に次ぐなりと云えるより、今に至るまで、人皆この意とのみ心得ためれど、ひがことなり。かの説は、天武紀に、斎忌、此をば踰既と云う、次、此をば須岐と云う、と有るによれるなれども、斎忌こそこの字の意なれ、次は借字にして、この字の意にはあらず。古はすべて言だに同じければ、字は、意にはかかわらず、借りて書けるに、次を須岐とも云えるから、言の同じきままに、借りて書きならえるを、そのままに書かれたる物なり。次の意にあらずと云うゆえは、悠紀と主基とは、何事も二方全く同じさまにして、一事もいささかのおとりまさりあること無ければ、次と云うべきよしさらに無し。天武紀なるは、借字なること、疑い無き物をや。主基は、禊の曾岐と同言にして、濯と云うことなり。みそぎも身灌にて、そそくとすすくと同じきを、共につづめて、曾岐とも須岐とも云えるなり。されば是れも、斎忌と同じさまの名にして、濯ぎ清めたるよしなるぞかし。
現代語訳
大嘗祭の悠紀・主基のうち主基のことについて、日本書紀の私記に「師の説では、斎忌(ゆき)に次ぐものである」と言っていることから、今に至るまで人はみなこの意味だとばかり理解しているようだが、誤りである。あの説は、天武紀に「斎忌、これを踰既(ゆき)と言う。次、これを須岐(すき)と言う」とあるのによっているのだが、斎忌はその字の意味どおりであるものの、次は借字であって、その字の意味ではない。古はすべて言葉さえ同じであれば、字は意味にかかわらず借りて書いたので、次を「すき」とも言うことから、言葉が同じであるままに借りて書き慣わしたのを、そのまま書かれたものである。次の意味でないと言う理由は、悠紀と主基とは何事も二方がまったく同じ様子で、一つとして少しの優劣もないので、「次」と言うべき理由はまったくない。天武紀のものが借字であることは疑いない。主基は禊(みそぎ)の「そぎ」と同じ言葉で、濯ぐということである。みそぎも「身そそぎ」であって、「そそく」と「すすく」は同じであるのを、ともに縮めて「そぎ」とも「すき」とも言ったのである。だからこれも斎忌と同じような名であって、濯ぎ清めたという意味なのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 大嘗ゆきすきの国大嘗の悠紀主基は、かならず京より東と西なる国を、定めらるるように見えたれども、さしもあらざるにや。神亀元年の度は、由機備前の国、須機播磨の国なり。天平神護元年の度は、由機美濃の国、須伎越前の国なりき。
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『玉勝間』十二の巻 大嘗会の斎場この書の初若菜の巻のはじめに出だせる、中臣の寿詞の中に、大嘗会の斎場とある、会の字は、宮の誤りなるべしと云いて、みやと訓めるはおのれふと心得たがえたるにて、なかなかに誤りなりき。本のままにてよろし。大嘗会の三字を、おおにえと訓むべし。斎場は、別に北野に於て、その地をト定めて、構え造らるる事にて、大嘗宮とは別なり。九月下旬、悠紀・主基二国より齎し参れる、諸の物も人も、まず斎場に詣でて、そこにてくさぐさの事有りて、十一月祭の当日に至りて、斎場より大嘗宮に運び奉る。その行列など、儀式に委しく見えたり。またはじめ二国の斎郡にも、斎場を構えて、物することなれば、ここはその国の斎場を云えるか、はた京の斎場か、いずれにても有るべし。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。これらを合わせて思うに、仕も候も誤りにて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎い清めたること、志理は、斎まわり清まわりの、まわりの如き、辞と聞こえたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、その度々撰びて定めしにや。さてその代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛の字は、衍なり。後の人、この言の意を知らず、ただ上に二つ仁毛と有るにならいて、みだりにここにも加えたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱うべし。爾閉を牟倍と唱うるは、後の世の音便にくづれたる唱えなり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云うと同じ。さてこの相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云わゆる相伴の心ばえなり。さる故にこの祭は、必ずしもその神社の尊き卑きにもよらず、必ず預かり給うべく思わるる神にも、預かり給わぬ多し。これ殊に故有りて、預かり給うは預かり給うなるべし。その神七十一座おわしまして、四時祭式に見えたり。
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『玉勝間』七の巻 御世御世の大嘗月日悠紀主基国郡宇多、仁和四十廿八御禊、十一廿二乙卯大嘗、近江播磨、醍醐、寛平九十廿五丁卯御禊、十一廿辛卯大嘗、近江丹波、御屏風野美材書く、朱雀、承平元十廿五御禊、十一十三辛卯大嘗、近江丹波、御屏風道風書く、村上、天慶九十廿八乙酉御禊、十一十六癸卯大嘗、近江備中、御屏風、道風書く、冷泉、安和元十廿六御禊、十一廿四癸卯大嘗、近江播磨、御屏風、紀時文書く、円融、天禄元十一十七乙卯大嘗、近江丹波、御屏風、藤佐理書く、花山、永観二十廿五御禊、十一廿一辛卯大嘗、近江高島郡、丹波天田郡、御屏風、佐理書く、一条、寛和二十廿三御禊、十一十五己卯大嘗、近江野洲郡、備中下道郡、御屏風、佐理書く、三条、長和元十廿七辛卯御禊、十一廿三乙卯大嘗、近江坂田郡、丹波天田郡、御屏風、行成書く、後一条、長和五十廿三甲午御禊、十一十五己卯大嘗、近江甲賀郡、備中下道郡、御屏風、行成書く、後朱雀、長元九十廿九乙酉御禊、十一十七癸卯大嘗、近江愛智郡、丹波氷上郡、御屏風、藤定頼書く、後冷泉、寛徳二十廿辛未御禊、十一十五大嘗、近江甲賀郡、備中英賀郡、御屏風、源兼行書く、後三条、治暦四十廿八丁卯御禊、十一廿二辛卯大嘗、近江愛智郡、備中英賀郡、御屏風兼行書く、白川、承保元十卅甲午御禊、十一廿一乙卯大嘗、近江坂田郡、丹波多紀郡、御屏風、兼行、堀川、
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞物部の人等、酒造児・酒波・粉走・灰焼・新採・相候・稲実公等、大嘗会の斎場に持ち斎わり参来て、今年十一月の中の卯の日に、ゆしりいつしり持ち恐み恐み、清まわり仕え奉り、月の内に日時を撰び撰び定めて献る悠紀・主基の黒木・白木の大御酒を、大倭根子天皇が天つ御膳の長御膳の遠御膳と、汁にも実にも赤丹の穂にも聞こしめして、豊の明りに明り御坐して、天つ神の寿詞を称辞定め奉る皇神等も、千秋五百秋の相嘗に相うづのい奉り、堅磐に常磐に斎い奉り、いかし御世に栄えしめ奉り、康治元年より始めて、大地・月・日と共に照らし明らし御坐す事に、本末傾けず茂し槍の中執り持ちて仕え奉る中臣祭主正四位上行神祇大副大中臣朝臣清親、寿詞を称辞定め奉らくと申す。
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
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