退食閑話 / 無用の長物を養わず
刑政のみにて治める故に、世は胥吏の世となりて聖賢の道を學びしは、少く才智さへあれば濟む事になり、學問は儒者の私言になり、其身も老儒先生となるに止る、訓詁を學びし者は文字句讀に終身の力を盡して、心性を說く者は詩書執禮の活用を講究せず、近世太平久しきにより風俗の渝薄に、いよ〱名を釣り才を鬪せしむるのみになりて、講釋詩歌文章書畫の類を學ぶ者の能事と心得、宗祉の安危は胡越の相關からざるが如く、一心を治れば國も治るなどゝ、先儒の口眞似をして高く標持するのみにて、事業に施すべき事をも學ばず、人情世態を察せず、民間の利害をも知らず、事業とは全く懸隔にして用をなさず、學館を設て人材を敎育し給はんに、かくの如く無用の長物を養ひ給ふべきにあらず、學士ならんものは事業に施すべき實用を講究し、孔門弟子德行言語政事文學等、各其才の長ずる所にしたがふて、國家の用をなすべき事を學びしが如く、才德成就して國家の恩を報ひたてまつらんと志し、文學を好むものは餘力を以て詩歌文章をも學び、意思を述べ、性情を吟味するが如きも、
新字:刑政のみにて治める故に、世は胥吏の世となりて聖賢の道を学びしは、少く才智さへあれば済む事になり、学問は儒者の私言になり、其身も老儒先生となるに止る、訓詁を学びし者は文字句読に終身の力を尽して、心性を説く者は詩書執礼の活用を講究せず、近世太平久しきにより風俗の渝薄に、いよ〱名を釣り才を闘せしむるのみになりて、講釈詩歌文章書画の類を学ぶ者の能事と心得、宗祉の安危は胡越の相関からざるが如く、一心を治れば国も治るなどゝ、先儒の口真似をして高く標持するのみにて、事業に施すべき事をも学ばず、人情世態を察せず、民間の利害をも知らず、事業とは全く懸隔にして用をなさず、学館を設て人材を教育し給はんに、かくの如く無用の長物を養ひ給ふべきにあらず、学士ならんものは事業に施すべき実用を講究し、孔門弟子徳行言語政事文学等、各其才の長ずる所にしたがふて、国家の用をなすべき事を学びしが如く、才徳成就して国家の恩を報ひたてまつらんと志し、文学を好むものは余力を以て詩歌文章をも学び、意思を述べ、性情を吟味するが如きも、
書き下し
刑政のみにて治める故に、世は胥吏の世となりて聖賢の道を學びしは、少く才智さへあれば濟む事になり、學問は儒者の私言になり、其身も老儒先生となるに止る、訓詁を學びし者は文字句讀に終身の力を盡して、心性を說く者は詩書執禮の活用を講究せず、近世太平久しきにより風俗の渝薄に、いよ〱名を釣り才を鬪せしむるのみになりて、講釋詩歌文章書畫の類を學ぶ者の能事と心得、宗祉の安危は胡越の相關からざるが如く、一心を治れば國も治るなどゝ、先儒の口眞似をして高く標持するのみにて、事業に施すべき事をも學ばず、人情世態を察せず、民間の利害をも知らず、事業とは全く懸隔にして用をなさず、學館を設て人材を敎育し給はんに、かくの如く無用の長物を養ひ給ふべきにあらず、學士ならんものは事業に施すべき實用を講究し、孔門弟子德行言語政事文學等、各其才の長ずる所にしたがふて、國家の用をなすべき事を學びしが如く、才德成就して國家の恩を報ひたてまつらんと志し、文學を好むものは餘力を以て詩歌文章をも學び、意思を述べ、性情を吟味するが如きも、
現代語訳
刑政だけで治めるので、世は胥吏の世となり、聖賢の道を学んだことは、少しでも才智さえあれば済むことになり、学問は儒者の私言となり、その身も老儒先生となるにとどまります。訓詁を学んだ者は文字句読に終身の力を尽くし、心性を説く者は詩書・執礼の活きた働きを講究しません。近世は太平が久しく、風俗が薄くなったことから、いよいよ名を釣り才を競わせるだけになり、講釈・詩歌・文章・書画の類を学ぶ者の能事と心得、宗社の安危は胡と越のように無関係であるかのようで、一心を治めれば国も治まるなどと、先儒の口真似をして高く標持するだけで、事業に施すべきことをも学ばず、人情世態を察せず、民間の利害をも知らず、事業とは全く懸隔して役に立ちません。学館を設けて人材を教育なさるのに、このような無用の長物を養われるべきではありません。学士たるものは事業に施すべき実用を講究し、孔門の弟子が徳行・言語・政事・文学など、それぞれその才の長じるところに従って、国家の用をなすべきことを学んだように、才徳を成就して国家の恩に報いようと志し、文学を好む者は余力をもって詩歌文章をも学び、意思を述べ、性情を吟味するようなことも、
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』萬章下 首章然れども是れ吾が徒小人の知行偏廃の弊を言ふのみ。其の実は知にして行を廃するは真の知に非ず、行にして知を廃するは実の行に非ず。故に知行二つにして一つ、而して先後亦相待ちて済すことあるなり。抑々伯夷・伊尹・柳下恵の力ありて巧を闕くと云ふ者は、浅近の論に非ず。孔子の巧力倶に全きを以て是に比して、初めて其の少しき闕あるを見るのみ。孔門の諸子、顔淵・閔子・冉牛の「体を具へて微なる」如き、巧にして力足らずと言ふべし。子夏・子游・子張の「一体を具ふる」如き、力ありて巧足らずと言ふべし。後の道を学ぶ者、孔子を以て宗とすれば、巧力倶に至り、知行兼ね進むべきは勿論なれども、前輩を論じ及び人材を育する如きは、妄りに是を以て衆人を律することなかれ。人各々能あり不能あり。
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『春秋左氏伝』襄公三十年 王子必ず免れず裨灶之を指して曰く、「猶ほ以て歲を終ふべし。歲此の次に及ばざるのみ」と。其の亡ぶるに及びてや、歲は娵訾の口に在り。其の明年、乃ち降婁に及ぶ。僕展伯有に從ひ、之と皆死す。羽頡出でて晉に奔り、任の大夫と為る。雞澤の會に、鄭の樂成楚に奔り、遂に晉に適く。羽頡之に因り、之と比して趙文子に事へ、鄭を伐つの說を言ふ。宋の盟の故を以て、可かず。子皮公孫鉏を以て馬師と為す。楚の公子圍大司馬蒍掩を殺して其の室を取る。申無宇曰く、「王子必ず免れざらん。善人は國の主なり。王子楚國に相として、將に善を是れ封(つちか)ふべし。殖して之を虐ぐるは、是れ國に禍するなり。且つ司馬は令尹の偏にして、王の四體なり。民の主を絕ち、身の偏を去り、王の體を艾りて、以て其の國に禍す。不祥焉より大なるは無し。何を以てか免るるを得ん」と。宋の災の為の故に、諸侯の大夫會し、以て宋の財を歸さんことを謀る。
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事地かたには吟味役と云ふものありて将のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も尽く内与力と云ふものを家来に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家来はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家来を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家来を召しつかふて用ひ定る様なれとも、公儀の御用に家来をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇様のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、学ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆禄の相応有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の学問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の為め宜かるへきなり、
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人生を、一行の式にしてみた。
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