退食閑話 / 学問と事業は一致する
問、學問事業不殊其效との義、誠に如此なるべき事に候へども、今世學問なくして事業をなし得るもの少からず、學問事業といふべけれども、學問いたし候ものは却て迂濶にて事業に施すことあたはず、何故に候ぞや、曰、古は治敎一致にして、國家を治るも道びくに德を以てし、齊くするに禮を以てし、其上にて政刑を以て其善惡を賞罰せしは、藥劑に君臣あるが如く、政刑を以て德禮を佐け、德禮政刑一合にして、治敎を施す、仁は一身よりしてそれを天下に施し、四海の民を安ぜんとするは、天下の大道なれば、學問といふも、脩身治人の道を學び、德禮政刑の實事を脩行する故、學問と事業と皆一致なり、故に人を敎るにも文行忠信の四を以てし、忠信を主として德を脩め、禮樂政刑の文を學び、德をも脩め、禮樂政刑の文をば學び、德をも文をも是を實行に施す事を敎る故、學問は事業を學び、事業は學ぶ所を行ふ、即ち經語にも學而優則仕とて、學ぶ所を實事に施して其用をなし、學問と事業と二つにならざるなり、後世治と敎と別物になりて國家を治めるには、德禮を高閣に束ね、
新字:問、学問事業不殊其効との義、誠に如此なるべき事に候へども、今世学問なくして事業をなし得るもの少からず、学問事業といふべけれども、学問いたし候ものは却て迂濶にて事業に施すことあたはず、何故に候ぞや、曰、古は治教一致にして、国家を治るも道びくに徳を以てし、斉くするに礼を以てし、其上にて政刑を以て其善悪を賞罰せしは、薬剤に君臣あるが如く、政刑を以て徳礼を佐け、徳礼政刑一合にして、治教を施す、仁は一身よりしてそれを天下に施し、四海の民を安ぜんとするは、天下の大道なれば、学問といふも、脩身治人の道を学び、徳礼政刑の実事を脩行する故、学問と事業と皆一致なり、故に人を教るにも文行忠信の四を以てし、忠信を主として徳を脩め、礼楽政刑の文を学び、徳をも脩め、礼楽政刑の文をば学び、徳をも文をも是を実行に施す事を教る故、学問は事業を学び、事業は学ぶ所を行ふ、即ち経語にも学而優則仕とて、学ぶ所を実事に施して其用をなし、学問と事業と二つにならざるなり、後世治と教と別物になりて国家を治めるには、徳礼を高閣に束ね、
書き下し
問、學問事業、其の效を殊にせずとの義、誠に如此なるべき事に候へども、今世學問なくして事業をなし得るもの少からず、學問事業といふべけれども、學問いたし候ものは却て迂濶にて事業に施すことあたはず、何故に候ぞや、曰、古は治敎一致にして、國家を治るも道びくに德を以てし、齊くするに禮を以てし、其上にて政刑を以て其善惡を賞罰せしは、藥劑に君臣あるが如く、政刑を以て德禮を佐け、德禮政刑一合にして、治敎を施す、仁は一身よりしてそれを天下に施し、四海の民を安ぜんとするは、天下の大道なれば、學問といふも、脩身治人の道を學び、德禮政刑の實事を脩行する故、學問と事業と皆一致なり、故に人を敎るにも文行忠信の四を以てし、忠信を主として德を脩め、禮樂政刑の文を學び、德をも脩め、禮樂政刑の文をば學び、德をも文をも是を實行に施す事を敎る故、學問は事業を學び、事業は學ぶ所を行ふ、即ち經語にも學びて優なれば則ち仕ふとて、學ぶ所を實事に施して其用をなし、學問と事業と二つにならざるなり、後世治と敎と別物になりて國家を治めるには、德禮を高閣に束ね、
現代語訳
問い。「学問と事業とその効を殊にせず」という意味は、まことにそうあるべきことですが、今の世は学問がなくて事業をなし得る者が少なくありません。学問と事業は一致するといえるでしょうが、学問をした者はかえって迂闊で、事業に施すことができません。なぜですか。答え。古は治と教が一致しており、国家を治めるにも、道びくに徳をもってし、斉うるに礼をもってし、その上で政刑によってその善悪を賞罰したのは、薬の処方に君臣があるように、政刑で徳礼を助け、徳礼政刑が一つに合わさって治教を施したのです。仁は一身から始めてそれを天下に施し、四海の民を安んじようとするのは天下の大道ですから、学問といっても、修身治人の道を学び、徳礼政刑の実事を修め行うので、学問と事業は皆一致します。そのため人を教えるにも文・行・忠・信の四つをもってし、忠信を主として徳を修め、礼楽政刑の文を学び、徳をも文をも実行に施すことを教えたので、学問は事業を学び、事業は学んだところを行う。すなわち経典にも「学びて優なれば則ち仕ふ」とあり、学んだところを実際の事に施してその用をなし、学問と事業は二つにならないのです。後世は治と教が別物になって、国家を治めるには徳礼を高閣に束ね、
解説
この章句が説くこと
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