春秋左氏伝 / 襄公三十年 王子必ず免れず
裨灶指之曰。猶可以終歲。歲不及此次也已。及其亡也。歲在娵訾之口。其明年。乃及降婁。僕展從伯有。與之皆死。羽頡出奔晉。為任大夫。雞澤之會。鄭樂成奔楚。遂適晉。羽頡因之。與之比而事趙文子。言伐鄭之說焉。以宋之盟故。不可。子皮以公孫鉏為馬師。楚公子圍殺大司馬蒍掩而取其室。申無宇曰。王子必不免。善人。國之主也。王子相楚國。將善是封。殖而虐之。是禍國也。且司馬令尹之偏。而王之四體也。絕民之主。去身之偏。艾王之體。以禍其國。無不祥大焉。何以得免。為宋災故。諸侯之大夫會。以謀歸宋財。
新字:裨灶指之曰。猶可以終歳。歳不及此次也已。及其亡也。歳在娵訾之口。其明年。乃及降婁。僕展従伯有。与之皆死。羽頡出奔晋。為任大夫。鶏沢之会。鄭楽成奔楚。遂適晋。羽頡因之。与之比而事趙文子。言伐鄭之説焉。以宋之盟故。不可。子皮以公孫鉏為馬師。楚公子囲殺大司馬蒍掩而取其室。申無宇曰。王子必不免。善人。国之主也。王子相楚国。将善是封。殖而虐之。是禍国也。且司馬令尹之偏。而王之四体也。絶民之主。去身之偏。艾王之体。以禍其国。無不祥大焉。何以得免。為宋災故。諸侯之大夫会。以謀帰宋財。
書き下し
裨灶之を指して曰く、「猶ほ以て歲を終ふべし。歲此の次に及ばざるのみ」と。其の亡ぶるに及びてや、歲は娵訾の口に在り。其の明年、乃ち降婁に及ぶ。僕展伯有に從ひ、之と皆死す。羽頡出でて晉に奔り、任の大夫と為る。雞澤の會に、鄭の樂成楚に奔り、遂に晉に適く。羽頡之に因り、之と比して趙文子に事へ、鄭を伐つの說を言ふ。宋の盟の故を以て、可かず。子皮公孫鉏を以て馬師と為す。楚の公子圍大司馬蒍掩を殺して其の室を取る。申無宇曰く、「王子必ず免れざらん。善人は國の主なり。王子楚國に相として、將に善を是れ封(つちか)ふべし。殖して之を虐ぐるは、是れ國に禍するなり。且つ司馬は令尹の偏にして、王の四體なり。民の主を絕ち、身の偏を去り、王の體を艾りて、以て其の國に禍す。不祥焉より大なるは無し。何を以てか免るるを得ん」と。宋の災の為の故に、諸侯の大夫會し、以て宋の財を歸さんことを謀る。
現代語訳
裨灶は雑草を指さして言った。「まだ一年の終わりまでは持つだろう。だが歳星がもう一度この宿次に巡ってくるまでは持たないだろう」。伯有が滅んだときは、歳星は娵訾の口(降婁の一つ手前の宿次)にあり、その翌年になってようやく降婁に至った(裨灶の予言どおり、歳星が一巡りする前に伯有の家は滅んだのである)。伯有の家臣の僕展は伯有に従い、ともに死んだ。羽頡は晋に亡命し、任の邑の大夫となった。かつて雞沢の会の折に、鄭の楽成が楚に亡命し、のちに晋に移っていた。羽頡はこの楽成を頼り、彼と組んで趙文子(趙武、晋の執政)に仕え、鄭を討つべきだと説いた。しかし宋での弭兵の盟約があったので、聞き入れられなかった。子皮は公孫鉏を馬師(羽頡の後任)とした。楚の公子囲(令尹)が大司馬の蔿掩を殺し、その家財を奪った。申無宇は言った。「王子は必ず禍を免れないだろう。善人は国の柱である。王子は楚国の宰相として、善人をこそ育てるべきである。それなのに、善人が育ったところでこれを虐げるのは、国に禍をもたらすことだ。しかも司馬は令尹の補佐であり、王の手足である。民の柱を断ち、自分の補佐を除き、王の手足を刈り取って、国に禍をもたらした。これほど不吉なことはない。どうして禍を免れようか」。宋の火災のために、諸侯の大夫たちが会合し、宋が失った財物を補うことを協議した。
解説
この章句が説くこと
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孟子・離婁章句下逄蒙、射を羿に學ぶ。羿の道を盡くし、思えらく、天下惟だ羿のみ己に愈れりと為すと。是に於て羿を殺せり。孟子曰く、「是れ亦た羿も罪有り。」公明儀曰く、「宜ど罪無きが若し。」曰く、「薄しと云うのみ。惡んぞ罪無きを得ん。鄭人、子濯孺子をして衛を侵さしむ。衛、庾公之斯をして之を追わしむ。子濯孺子曰く、『今日、我が疾作り、以て弓を執る可からず。吾死なんかな。』其の僕に問いて曰く、『我を追う者は誰ぞや。』其の僕曰く、『庾公之斯なり。』曰く、『吾れ生きん。』其の僕曰く、『庾公之斯は、衛の射を善くする者なり。夫子曰く、吾れ生きんと。何の謂ぞや。』曰く、『庾公之斯は射を尹公之他に學ぶ。尹公之他は射を我に學ぶ。夫れ尹公之他は、端人なり。其の友を取ること必ず端ならん。』庾公之斯至りて曰く、『夫子何為れぞ弓を執らざる。』曰く、『今日、我疾作り、以て弓を執る可からず。』曰く、『小人は射を尹公之他に學び、尹公之他は射を夫子に學ぶ。我、夫子の道を以て、反って夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は、君の事なり。我敢て廢せず。』矢を抽き輪に叩き,其の金を去り、乘矢を發して而る後に反れり。」
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