退食閑話 / 結び・公の深意
其人の好む所に任すべきなり、但其本とする所は神を敬し聖を崇び、神道は即ち聖道なり、聖道は即ち神道なりと心得て、大道の本意を失はず、文武の道を學びて熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を盡して國恩に報ひ、神聖の靈も降臨ましますに至らん事を片時も忘るべからず、されども、人材を實事に用ゆべきよふに養ひ成さんは容易の事にあらず、我濟淺陋の學にして其任に堪ゆべきにあらず、且又、敎と治と並び行れて輕重なく、二つのものゝ本を執り、天下を卒ひ申さんは臣下の專にすべきにあらず、其治敎は御名を記させられしなり、是即ち義公の士臣を喩し給ひしにも、聖賢の道をば學びし者は、我も亦儒者なりとのたまひし遺意ならんかとおしはかり奉る、されば、記文の深意は、國君の自からさとし給ふ所なれば、結語にも設斯舘統其治敎者誰とありて、我輩の口舌を以て論說せんは憚かるべき事なれども、默して答へざらむも職分を疏畧するに近ければ、聊か吾子が問に答ゆるなり、無稽の臆說も多からん、恐懼の念少からず、吾子また更に明識の人に就て正されんことを希がふなり、
新字:其人の好む所に任すべきなり、但其本とする所は神を敬し聖を崇び、神道は即ち聖道なり、聖道は即ち神道なりと心得て、大道の本意を失はず、文武の道を学びて熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を尽して国恩に報ひ、神聖の霊も降臨ましますに至らん事を片時も忘るべからず、されども、人材を実事に用ゆべきよふに養ひ成さんは容易の事にあらず、我済浅陋の学にして其任に堪ゆべきにあらず、且又、教と治と並び行れて軽重なく、二つのものゝ本を執り、天下を卒ひ申さんは臣下の専にすべきにあらず、其治教は御名を記させられしなり、是即ち義公の士臣を喩し給ひしにも、聖賢の道をば学びし者は、我も亦儒者なりとのたまひし遺意ならんかとおしはかり奉る、されば、記文の深意は、国君の自からさとし給ふ所なれば、結語にも設斯舘統其治教者誰とありて、我輩の口舌を以て論説せんは憚かるべき事なれども、黙して答へざらむも職分を疏略するに近ければ、聊か吾子が問に答ゆるなり、無稽の臆説も多からん、恐懼の念少からず、吾子また更に明識の人に就て正されんことを希がふなり、
書き下し
其人の好む所に任すべきなり、但其本とする所は神を敬し聖を崇び、神道は即ち聖道なり、聖道は即ち神道なりと心得て、大道の本意を失はず、文武の道を學びて熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を盡して國恩に報ひ、神聖の靈も降臨ましますに至らん事を片時も忘るべからず、されども、人材を實事に用ゆべきよふに養ひ成さんは容易の事にあらず、我濟淺陋の學にして其任に堪ゆべきにあらず、且又、敎と治と並び行れて輕重なく、二つのものゝ本を執り、天下を卒ひ申さんは臣下の專にすべきにあらず、其治敎は御名を記させられしなり、是即ち義公の士臣を喩し給ひしにも、聖賢の道をば學びし者は、我も亦儒者なりとのたまひし遺意ならんかとおしはかり奉る、されば、記文の深意は、國君の自からさとし給ふ所なれば、結語にも斯の舘を設け其の治敎を統ぶる者は誰ぞとありて、我輩の口舌を以て論說せんは憚かるべき事なれども、默して答へざらむも職分を疏畧するに近ければ、聊か吾子が問に答ゆるなり、無稽の臆說も多からん、恐懼の念少からず、吾子また更に明識の人に就て正されんことを希がふなり、
現代語訳
その人の好むところに任せるべきです。ただしその本とするところは、神を敬い聖を崇び、神道はすなわち聖道であり、聖道はすなわち神道であると心得て、大道の本意を失わず、文武の道を学んで熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を尽くして国恩に報い、神聖の霊も降臨されるに至ることを、片時も忘れてはなりません。しかし人材を実事に用いられるように養い育てることは容易なことではありません。私の浅陋の学ではその任に堪えられるものではありません。かつまた、教と治が並び行われて軽重なく、二つの本を執り、天下を率いることは臣下が専らにすべきことではありません。その治教は御名を記させられたのです。これはすなわち義公が士臣を諭されたときにも、聖賢の道を学んだ者は、私もまた儒者であるとおっしゃった遺意であろうかと推し量ります。ですから記文の深意は、国君が自ら諭される所ですから、結語にも「斯の舘を設け、其の治教を統ぶる者は誰ぞ」とあって、我々の口舌で論説するのは憚るべきことですが、黙して答えないのも職分を疎略にするに近いので、いささかあなたの問いに答えたのです。根拠のない臆説も多いでしょう。恐れ入る気持ちは少なくありません。あなたもさらに明識の人に就いて正されることを願います。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一礼は謙遜をたつとぶ。謙はへりくだる也。ほこると裏表なり。ほこるは我が才力権位功名にほこるの類なり。謙は自満せざるを云ふ。我が身に才徳権位功業あれどもほこらず。是天下の美徳なり。遜はゆづるなり。善事を君父にゆづり、人にゆづりて、自ら居らざるを云ふ。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒執政大臣ノ楽ハ。上一人ヲ輔ケテ自ラ専ニセヌ。中百官ヲ率テ心常ニ謙遜ス。下万民ヲ保ンシテ共ニ太平ヲ楽ム。此位ハ人臣ノ極リ。此威勢ハ大君ニ等シ。一タヒ回顧スレハ万国色ヲ変ス。一タヒ言ヘハ率土奉行スル。徳海内ニ加ツテ自ラ其功ニ居ラス。恩禽獣ニ及ンテ其能ニホコラス。余ハ大君ノ楽ニ同スルシヤ。其楽糸竹管絃ノ及フ所ナラス。マシテ狂言綺語酒宴遊興ニ比スヘキコトテハナキシヤ。総シテ上ニ命ヲ受ル所アルヲ一ノ楽トス。天命ニ順スルシヤ。下ニ恵ム民有ヲ一ノ楽トス。人道行ハルルシヤ。天命ニ順スル故家門永ク其福ヲ受ク。人道ヲ行フ故子孫常ニ賢才徳者ヲ得ト云コトシヤ。
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『夜船閑話』本文少焉、幽眼を開いて熟々視て、徐々として告げて曰く、我は是山中半死の陳人、櫨栗を拾ひ食ひ、麋鹿に伴つて睡る。此外更に何をか知らんや。自ら愧づ、遠く上人の来望を労することを、予即ち転々咨叩して休まず。
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『呻吟語』内篇・修身・謙も禮に中らざれば損する所亦た多し或るひと問ふ、「傲は凶德と為らば、則ち謙は吉德なるか」と。曰く、「謙は真に是れ吉なり。然れども謙も禮に中らざれば、損する所亦た多し」と。上に在る者非禮の謙を為さば、則ち名份を亂し紀網を紊し、久しければ法令行はれず。下に在る者非禮の謙を為さば、則ち賤辱を取り氣節を喪ひ、久しければ廉恥地を掃ふ。君子の人に接するは未だ嘗て謹飭ならずんばあらず、身を持するは未だ嘗て正大ならずんばあらず。孔子曰く、「恭にして禮無ければ則ち勞す」と。又た曰く、「巧言令色足恭は、某も亦た之を恥づ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・損ずるは甚の體ぞ今人苦だ謙るを肯んぜず。只だ架子を拿へ得て定まり、以て體を存すと為す。夫子子張に政に從ふを告ぐるに、小大と無く眾寡と無く敢へて慢る無きを以て驕らずと為す。而して周公相と為りて、吐握して白屋に下ること甚だし。父師有道の君、知らず甚の體をか損ぜしや。若し名分の在る所ならば、自ら是れ貶損し得ず。

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