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政談 / 官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事

地かたには吟味役と云ふものありて將のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も盡く內與力と云ふものを家來に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家來はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家來を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家來を召しつかふて用ひ定る樣なれとも、公儀の御用に家來をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇樣のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、學ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆祿の相應有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の學問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の爲め宜かるへきなり、

新字:地かたには吟味役と云ふものありて将のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も尽く内与力と云ふものを家来に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家来はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家来を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家来を召しつかふて用ひ定る様なれとも、公儀の御用に家来をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇様のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、学ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆禄の相応有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の学問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の為め宜かるへきなり、

書き下し

地かたには吟味役と云ふものありて将のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も尽く内与力と云ふものを家来に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家来はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家来を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家来を召しつかふて用ひ定る様なれとも、公儀の御用に家来をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇様のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、学ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆禄の相応有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の学問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の為め宜かるへきなり、

現代語訳

地方には吟味役というものがあって、允(判官)のような者であるが、助(次官)がない。頭が大勢である。町奉行は助も允もことごとく内与力というものを家来にこしらえて取り捌かせていることはよくないことである。寺社奉行は全く家来ばかりを使うので、役が替われば皆新規になって物事に慣れない。御奏者は家来を殿中へ呼んで押し合いなどというようなことをさせる類いはよくないことである。御老中には若老中が助のようなもので、祐筆の組頭なども目(主典)にあたるであろうけれども、允(判官)のようなものがなくて事足りない。若老中にも、また御旗本の支配をするところは勤めが格別である。御老中・若老中・寺社奉行などは大名で、家来を召し使って用いが定まっているようであるが、公儀の御用に家来を慣れさせることは甲斐がない。惜しい御旗本をこのようなことに召し使われないので、御旗本の者どもに才智がつかない。ことに大名は物事に下の情に疎いものである。学んでも平人のようには会得しないものである。けれどもこれらの御役は皆禄の相応があって仰せ付けられることなので、平人には仰せ付けにくい。いずれも御旗本の学問もあり才智もある者をその下役にして使い立てれば、それから外の役に仰せ付けられるにも慣れていて事もなり、また才智のほども知れてよいであろう。とにかく、どの役にも頭役・添役・下役・留役というものをこしらえておけば、諸事のためによいであろう。

解説

現実の幕府の役所を四等官の目で点検する。地方の吟味役には次官がなく、町奉行や寺社奉行は実務を自分の家来に任せるため、奉行が替わると全てが新規になる。老中らも大名で家来を使うが、公務に私の家来を慣れさせても公儀の財産にならない。その結果、旗本が実務経験を積めず才智が育たないと徂徠は嘆く。旗本の学問ある者を下役に登用すれば、育成にも人物の見極めにもなるという。現代でいえば、業務を外部委託や個人の部下に囲い込み、組織に知識と人材が蓄積しない問題である。

この章句が説くこと

人材育成登用組織知識旗本政談

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