酔古堂剣掃 / 集素・麈尾の閒談は畫餅の如し
身外有身,捉麈尾矢口閒談,真如畫餅;竅中有竅,向蒲團回心究竟,方是力田。
新字:身外有身,捉麈尾矢口閒談,真如画餅;竅中有竅,向蒲団回心究竟,方是力田。
書き下し
身外に身有り、麈尾を捉りて口を矢ひて閒談するは、真に畫餅の如し。 竅中に竅有り、蒲團に向かひて心を回らし究竟するは、方に是れ力田なり。
現代語訳
身の外にもう一つの身があるなどと、払子を手に口から出まかせに無駄話をするのは、まるで絵に描いた餅のようなものです。穴の中にさらに穴があるように、奥の奥まで、座布団に向かって心を内に向け究め尽くすことこそ、畑を耕すような本当の努力です。
解説
口先の議論と、実際の修行とを対比した一則です。麈尾は大鹿の尾の毛で作った払子で、魏晋の清談家が手にして議論したことで知られます。矢口は口にまかせて言うことです。画餅は絵に描いた餅で、『三国志』魏書の盧毓伝に、名声は地に描いた餅のようで食べられないとあります。竅は穴で、奥深いところを指します。蒲団は座禅に用いる丸い座布団、力田は畑仕事に励むことです。理屈をいくら語っても身につかず、黙々と自分の内側に向き合う実践こそが実りをもたらすという教えは、学びや仕事のあらゆる場面に当てはまります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
実践修身禅学問言行
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