退食閑話 / 大道に本づく小道
是以君子不爲也。といへども、農圃醫卜のみを指せるにもあらずして、かくのごとく大道に本づかずして偏見私說をなすものは皆小道なれば、遠をいたせば必ず泥む、是既に道ならざれば、異端邪說俗儒曲學の流弊の害の頗る多きによりて、義公の御詞にも一偏に固執するものを、儒中の異端なりと仰せられしなり、然れば、今度公の世の惑をひらき、大道に本づきて、識見既に開けて其本既に立、其敎を誤らざらんには、前に擧る所の曲學の徒のする業なりとも、其好むに任せて是を學び、各其長ずる所の材を成就し、國家の用を成すに至りては、何の害あらむや、小道といふも大道中の小道なれば、其本を失ふ事かならむに、大小道並び行はれて、相もとらざるべきなり、本文に中世以降には 東照宮撥亂反正の跡前を指す、されば文のやうなれども、前に擧られたる國家の大害となるべき條にて、廣く論ぜられたることにて、前後の文に泥むべきにあらず、今の世にいたるまで、曲學邪說の大概を擧て、吾子の問に答るなり、
新字:是以君子不為也。といへども、農圃医卜のみを指せるにもあらずして、かくのごとく大道に本づかずして偏見私説をなすものは皆小道なれば、遠をいたせば必ず泥む、是既に道ならざれば、異端邪説俗儒曲学の流弊の害の頗る多きによりて、義公の御詞にも一偏に固執するものを、儒中の異端なりと仰せられしなり、然れば、今度公の世の惑をひらき、大道に本づきて、識見既に開けて其本既に立、其教を誤らざらんには、前に挙る所の曲学の徒のする業なりとも、其好むに任せて是を学び、各其長ずる所の材を成就し、国家の用を成すに至りては、何の害あらむや、小道といふも大道中の小道なれば、其本を失ふ事かならむに、大小道並び行はれて、相もとらざるべきなり、本文に中世以降には 東照宮撥乱反正の跡前を指す、されば文のやうなれども、前に挙られたる国家の大害となるべき条にて、広く論ぜられたることにて、前後の文に泥むべきにあらず、今の世にいたるまで、曲学邪説の大概を挙て、吾子の問に答るなり、
書き下し
是を以て君子は爲さざるなり。といへども、農圃醫卜のみを指せるにもあらずして、かくのごとく大道に本づかずして偏見私說をなすものは皆小道なれば、遠をいたせば必ず泥む、是既に道ならざれば、異端邪說俗儒曲學の流弊の害の頗る多きによりて、義公の御詞にも一偏に固執するものを、儒中の異端なりと仰せられしなり、然れば、今度公の世の惑をひらき、大道に本づきて、識見既に開けて其本既に立、其敎を誤らざらんには、前に擧る所の曲學の徒のする業なりとも、其好むに任せて是を學び、各其長ずる所の材を成就し、國家の用を成すに至りては、何の害あらむや、小道といふも大道中の小道なれば、其本を失ふ事かならむに、大小道並び行はれて、相もとらざるべきなり、本文に中世以降には 東照宮撥亂反正の跡前を指す、されば文のやうなれども、前に擧られたる國家の大害となるべき條にて、廣く論ぜられたることにて、前後の文に泥むべきにあらず、今の世にいたるまで、曲學邪說の大概を擧て、吾子の問に答るなり、
現代語訳
これを以て君子は為さざるなり」とありますが、これは農・園芸・医・卜だけを指すのでもなく、このように大道に基づかずに偏見や私説をなすものはみな小道であって、遠くへ行こうとすれば必ず行き詰まります。これはすでに道ではないので、異端邪説・俗儒曲学の流弊の害がきわめて多いことから、義公のお言葉にも、一方に固執するものを儒者の中の異端であると仰せられたのです。そうであれば、このたび公が世の惑いを開き、大道に基づいて、見識がすでに開けて根本がすでに立ち、その教えを誤らないならば、先に挙げた曲学の徒のする業であっても、その好むに任せて学び、それぞれ長所の才を成し遂げ、国家の用を成すに至っては、何の害がありましょう。小道というのも大道の中の小道なので、その本を失うことがなければ、大道と小道が並び行われて、互いにもとることはないでしょう。本文に「中世以降」とあるのは、東照宮が乱を治めて正に返された時より前を指しますので、文のようには見えても、先に挙げた国家の大害となるべき条々を広く論じられたのであって、前後の文にこだわるべきではありません。今の世に至るまでの曲学邪説の大概を挙げて、あなたの問いに答えたのです。
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・道は大路のごとし後世は學問も士庶にくだりて、道を論ずるにも、一身の上のみに目をつけて、己が心性を治むるばかりを道とおもへども、古の道は記中にも載給へる如く、道は天地の大經にして、天地あれば自然に人倫備り、人倫あれば自然に五典の道備れり、故に父子あれば親あり、君臣あれば義あり、是皆天下の大道正路にして、一人の私言にあらず、聖賢上にあれば政敎を施して道を天下に行ひ、下にあれば言を立て材を育して道を後世に傳ふ、道は大路の如し、衆人の往來する所は自然に道路をなす、道を弘むるとは自然の道路に隨て旗亭をたて、廬舍を設け、擔夫駄馬を置、四海の隈までも往反滯る事なからしむるごとくに、ひろく天下の人をして人倫の大道に由らしむるをいふ、是皆人力のなす所なれば、聖人も人能く道を弘むとは仰せられたるなり、今弘道館をば設け給ふにも、天地自然に備りたる大道明らかにして、衆人の往反滯る事なく、多岐に迷ふ事なからしめむと志し給ふは、即ち人能く道を弘むの義なるべし、大道既に明らかにして、士民皆むかふ所を知り、曲學不經に迷はざる時は、人人自から己が性を盡さむ事も、各才德の長短によりて、其人の長ずる所を成就する事を得べきかと存じ候なり、
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『退食閑話』・結び・公の深意其人の好む所に任すべきなり、但其本とする所は神を敬し聖を崇び、神道は即ち聖道なり、聖道は即ち神道なりと心得て、大道の本意を失はず、文武の道を學びて熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を盡して國恩に報ひ、神聖の靈も降臨ましますに至らん事を片時も忘るべからず、されども、人材を實事に用ゆべきよふに養ひ成さんは容易の事にあらず、我濟淺陋の學にして其任に堪ゆべきにあらず、且又、敎と治と並び行れて輕重なく、二つのものゝ本を執り、天下を卒ひ申さんは臣下の專にすべきにあらず、其治敎は御名を記させられしなり、是即ち義公の士臣を喩し給ひしにも、聖賢の道をば學びし者は、我も亦儒者なりとのたまひし遺意ならんかとおしはかり奉る、されば、記文の深意は、國君の自からさとし給ふ所なれば、結語にも斯の舘を設け其の治敎を統ぶる者は誰ぞとありて、我輩の口舌を以て論說せんは憚かるべき事なれども、默して答へざらむも職分を疏畧するに近ければ、聊か吾子が問に答ゆるなり、無稽の臆說も多からん、恐懼の念少からず、吾子また更に明識の人に就て正されんことを希がふなり、
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『退食閑話』・異端邪説と俗儒の弊問、中世以降。 異端邪說、民を誣ひ世を惑はす。俗儒曲學、此を舍てて彼に從ふとあるは、いかなる事に候や、曰、天竺西洋などの邪敎の害の如きは、前に論ずるがごとく世又知る所なり、民を誣ひ世を惑はすとの事は、人民は、人倫の道を盡すの外のなき事なるを、眼前の人倫に父祖と己と子孫との三つは、即既往當今將來なる事を知らず、三世の說を設るにより、君父をも假令といひなし、自然に恩義うすくなりゆき、忠孝の道も輕くなり、又本地垂跡の說おこりて、赫々たる 神明を胡鬼の分支餘裔のごとくに說なし、民をして 神明を瞻仰するの心を他に移さしむ、天に二日無く、土に二王無しと申ごとく、至て尊き物は二つなき道理なるに、巧辯を以て國中に萬乘の君より尊く、太初の 神明よりも尊き物ありと說なして、萬民の心を蠱惑す、是民を誣ひ世を惑はすの甚しきにあらずや、俗儒曲學、此を舍てて彼に從ふとの義も、戰爭の世に讀書するは、五山の僧などばかりなり、元より僧徒は外國の異端を學びしゆへ、 國體をもしらず、漢土天竺のみを貴き國なりとおもふ事もあやしむに足ず、近世にいたりて、
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『退食閑話』・文芸・経済・考証の弊神聖の大道を高閣に束ねて、浮弄の虛文をば翫び、風流に身を委ね、世を嘲り、自からゆるして逸樂に任せて身を終るの流に至り、又は莊周等の流におちいり、自からほしひまゝにするの徒にして、仁人君子の道にあらず、又經濟學と稱するもの、國家の事功に益ありといへども、其末流は近効小利に趨りて、一己の私智を恃みて、聖賢の大道に本づかざれば、利を先にして義を後にするの害なきにあらず、又自己の脩身のみ說て、報國愛人の義もなく、民人社稷を餘處にする類も、身に本づくるの意は善なれども、楊朱の道に近く、庶人の行にして、士太夫の道にあらず、其弊に至りては、乳臭の兒も高妙精微の論をなして、實用に遠く、事業に施す事を知らず、又考證の學といふもの、古を稽て後世の惑を辯ず、古訓に據りて經義を說きて學者に益あれども、其弊をいふときは務て新奇纖巧を競ひ、聖人の大業盛德をば論ぜずして、無用の辨に歲月をついやし、歸する處は堅白異同の說にひとしくして、實事に益なし、
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『退食閑話』・無用の長物を養わず刑政のみにて治める故に、世は胥吏の世となりて聖賢の道を學びしは、少く才智さへあれば濟む事になり、學問は儒者の私言になり、其身も老儒先生となるに止る、訓詁を學びし者は文字句讀に終身の力を盡して、心性を說く者は詩書執禮の活用を講究せず、近世太平久しきにより風俗の渝薄に、いよ〱名を釣り才を鬪せしむるのみになりて、講釋詩歌文章書畫の類を學ぶ者の能事と心得、宗祉の安危は胡越の相關からざるが如く、一心を治れば國も治るなどゝ、先儒の口眞似をして高く標持するのみにて、事業に施すべき事をも學ばず、人情世態を察せず、民間の利害をも知らず、事業とは全く懸隔にして用をなさず、學館を設て人材を敎育し給はんに、かくの如く無用の長物を養ひ給ふべきにあらず、學士ならんものは事業に施すべき實用を講究し、孔門弟子德行言語政事文學等、各其才の長ずる所にしたがふて、國家の用をなすべき事を學びしが如く、才德成就して國家の恩を報ひたてまつらんと志し、文學を好むものは餘力を以て詩歌文章をも學び、意思を述べ、性情を吟味するが如きも、
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『士道要論』・士道・聖人の道を欠く武辺の偏りと学問の功たが定めしといふことはしらねども、おのづから道にかなへることもあれど、私心偏見をまぬかれざることも多し、そのひとつふたつをいはんに、追ひはらきるをもて忠とし、亡命の人をはごくむをもて義とするの類、みな孟子のいへる不義の義といふものなり、もつともいたくそむけたることは、さりとり强盜は武士のならひといへることさへあるにいたれり、士たる□、つよきをもてむねとすといへど、聖人の道によらざれば、おちいりて賊となることもあり、また氣節を立て死をかろんずるとも、勇をやぶり義をやぶる事もあれば、聖人の道をあきらめて、義の至當をもとむるこそ、眞の士道とはいふべけれ、東照宮天下をしろしめさらるはじめ、室町家このかた、人の心あら〱しく、臣として君を弑し、子として父を弑することさへ多かりしを、うきことに思ひたまひて、人々の道をしらんがために儒をまねき、學をすゝめ、經史の類おほく板にちりばめ、ひろく世に行ひたまひければ、宗室大臣をはじめ、外は侯伯の人々までも、學に名ある人多く出來て、遂に今の至治をなせり、室町家など文にくらき代にくらべては、

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