退食閑話 / 異端邪説と俗儒の弊
問、中世以降。 異端邪說誣民惑世。俗儒曲學舍此從彼とあるは、いかなる事に候や、曰、天竺西洋などの邪敎の害の如きは、前に論ずるがごとく世又知る所なり、誣民惑世との事は、人民は、人倫の道を盡すの外のなき事なるを、眼前の人倫に父祖と己と子孫との三つは、即既往當今將來なる事を知らず、三世の說を設るにより、君父をも假令といひなし、自然に恩義うすくなりゆき、忠孝の道も輕くなり、又本地垂跡の說おこりて、赫々たる 神明を胡鬼の分支餘裔のごとくに說なし、民をして 神明を瞻仰するの心を他に移さしむ、天無二日、土無二王と申ごとく、至て尊き物は二つなき道理なるに、巧辯を以て國中に萬乘の君より尊く、太初の 神明よりも尊き物ありと說なして、萬民の心を蠱惑す、是誣民惑世の甚しきにあらずや、俗儒曲學舍此從彼との義も、戰爭の世に讀書するは、五山の僧などばかりなり、元より僧徒は外國の異端を學びしゆへ、 國體をもしらず、漢土天竺のみを貴き國なりとおもふ事もあやしむに足ず、近世にいたりて、
新字:問、中世以降。 異端邪説誣民惑世。俗儒曲学舎此従彼とあるは、いかなる事に候や、曰、天竺西洋などの邪教の害の如きは、前に論ずるがごとく世又知る所なり、誣民惑世との事は、人民は、人倫の道を尽すの外のなき事なるを、眼前の人倫に父祖と己と子孫との三つは、即既往当今将来なる事を知らず、三世の説を設るにより、君父をも仮令といひなし、自然に恩義うすくなりゆき、忠孝の道も軽くなり、又本地垂跡の説おこりて、赫々たる 神明を胡鬼の分支余裔のごとくに説なし、民をして 神明を瞻仰するの心を他に移さしむ、天無二日、土無二王と申ごとく、至て尊き物は二つなき道理なるに、巧弁を以て国中に万乗の君より尊く、太初の 神明よりも尊き物ありと説なして、万民の心を蠱惑す、是誣民惑世の甚しきにあらずや、俗儒曲学舎此従彼との義も、戦争の世に読書するは、五山の僧などばかりなり、元より僧徒は外国の異端を学びしゆへ、 国体をもしらず、漢土天竺のみを貴き国なりとおもふ事もあやしむに足ず、近世にいたりて、
書き下し
問、中世以降。 異端邪說、民を誣ひ世を惑はす。俗儒曲學、此を舍てて彼に從ふとあるは、いかなる事に候や、曰、天竺西洋などの邪敎の害の如きは、前に論ずるがごとく世又知る所なり、民を誣ひ世を惑はすとの事は、人民は、人倫の道を盡すの外のなき事なるを、眼前の人倫に父祖と己と子孫との三つは、即既往當今將來なる事を知らず、三世の說を設るにより、君父をも假令といひなし、自然に恩義うすくなりゆき、忠孝の道も輕くなり、又本地垂跡の說おこりて、赫々たる 神明を胡鬼の分支餘裔のごとくに說なし、民をして 神明を瞻仰するの心を他に移さしむ、天に二日無く、土に二王無しと申ごとく、至て尊き物は二つなき道理なるに、巧辯を以て國中に萬乘の君より尊く、太初の 神明よりも尊き物ありと說なして、萬民の心を蠱惑す、是民を誣ひ世を惑はすの甚しきにあらずや、俗儒曲學、此を舍てて彼に從ふとの義も、戰爭の世に讀書するは、五山の僧などばかりなり、元より僧徒は外國の異端を學びしゆへ、 國體をもしらず、漢土天竺のみを貴き國なりとおもふ事もあやしむに足ず、近世にいたりて、
現代語訳
問い。「中世以降、異端邪説は民を欺き世を惑わし、俗儒・曲学はこれを捨てて彼に従う」とあるのは、どういうことですか。答え。天竺や西洋などの邪教の害は、先に論じたとおり世間も知るところです。「民を欺き世を惑わす」というのは、人民は人倫の道を尽くすほかにないのに、目の前の人倫において、父祖と自分と子孫の三つはすなわち過去・現在・未来であることを知らず、三世の説を設けたため、君父をも仮の存在と言いなし、自然に恩義が薄くなって、忠孝の道も軽くなったことをいいます。また本地垂迹の説が起こって、赫々たる神明を胡(西域)の鬼神の分かれや末裔のように説き、民に神明を仰ぎ見る心を他へ移させました。「天に二日なく、土に二王なし」というとおり、至って尊いものは二つとない道理なのに、巧みな弁舌で国中に万乗の君より尊く、太初の神明よりも尊いものがあると説いて、万民の心を惑わしました。これは民を欺き世を惑わすことの甚だしいものではありませんか。「俗儒・曲学、此を捨てて彼に従ふ」の意味も、戦乱の世に読書をしたのは五山の僧などばかりでした。もともと僧は外国の異端を学んだので、国体も知らず、漢土・天竺だけを貴い国と思っても不思議はありません。近世に至って、
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・大道に本づく小道是を以て君子は爲さざるなり。といへども、農圃醫卜のみを指せるにもあらずして、かくのごとく大道に本づかずして偏見私說をなすものは皆小道なれば、遠をいたせば必ず泥む、是既に道ならざれば、異端邪說俗儒曲學の流弊の害の頗る多きによりて、義公の御詞にも一偏に固執するものを、儒中の異端なりと仰せられしなり、然れば、今度公の世の惑をひらき、大道に本づきて、識見既に開けて其本既に立、其敎を誤らざらんには、前に擧る所の曲學の徒のする業なりとも、其好むに任せて是を學び、各其長ずる所の材を成就し、國家の用を成すに至りては、何の害あらむや、小道といふも大道中の小道なれば、其本を失ふ事かならむに、大小道並び行はれて、相もとらざるべきなり、本文に中世以降には 東照宮撥亂反正の跡前を指す、されば文のやうなれども、前に擧られたる國家の大害となるべき條にて、廣く論ぜられたることにて、前後の文に泥むべきにあらず、今の世にいたるまで、曲學邪說の大概を擧て、吾子の問に答るなり、
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『弘道館記述義』・中世以降・異端を排する道と、遣唐の弊害資りて之を用ふ。之を排する者は未だ必ずしも其の道を得ず、之を用ふる者は或いは能く其の私を成す。仏法の熾んなる職として是に由る。何をか信じて奉ずと謂ふ。富貴なる者は死後の貧賤を恐れ、患難なる者は身後の安楽を倖ひ、其の善を為す者は彼岸に到らんと欲し、悪を為す者は呵責を免れんと祈る。是れ亦信じて之を奉ずるに非ずや。何をか利して之を使ふと謂ふ。衆皆仏を信ず、我独り之に違ふは不智なり。且つ其の流は妄なりと雖も、以て愚俗を勧懲するに足る。苟くも我が治に補ひ有らば、何ぞ夷狄の法を嫌はん、と。是れ亦利して之を使ふに非ずや。異端の民を害するは、猶ほ疾病の人におけるがごとし。善く疾病を治する者は先づ其の元気を養ひ、善く異端を排する者は先づ其の大道を脩む。若し徒らに攻撃駆除して、快を一時に取らば、則ち禍変の激する所、将に救ふに勝ふべからざる者有らんとす。是れ亦之を排する者は未だ必ずしも其の道を得ざるに非ずや。愚俗の仏を信ずるは皆其の欲に狥ふなり。今我仏を奉じて以て之を卒ふれば、則ち衆の我を尊ぶこと猶ほ仏を尊ぶがごとし。夫れ然る後に彼は寧ろ其の君父に背くとも、仏と我とには背かず。我が大欲是に於て逞しうすべし。是れ亦之を用ふる者は或いは能く其の私を成すに非ずや。嗚呼天下の広き、愚冥の民は十に七八に居り、智巧の士は又其の一二に居る。則ち其の仏を奉ずる者は滔滔として日に滋し。純明剛毅の人に至りては、僅かに千百に十一を存し、而も又或いは禍敗を免れず。則ち其の大道を明らかにし元気を養ひ、斯の民を仁寿の域に躋らしむる所以の者は、寥寥として甚だ少なし。万一姦詐狡猾の賊、胡教に資りて以て民心を結び、滔滔として日に滋すの衆を鼓し、寥寥として甚だ少なき人を殲し、以て其の大欲を逞しうせば、則ち茫茫たる宇宙、幾何ぞ其の相率ゐて西戎と為らざらん。当路の人、豈に深謀遠慮して、不虞の変に異日に応ずる所以を思はざるべけんや。俗儒曲学、此を舎てて彼に従ふ。臣彪謹んで案ずるに、神聖の基を建つるや、仁厚威武、固より既に宇内に冠絶す。其の文物の盛んなるが若きは、頗る李唐に倣ふ。是に於て遣唐留学の史絶筆せず、博物詞藻、世に人に乏しからず。然れども利の在る所、弊も亦随ふ。俗儒曲学其の好む所に阿り、此を舎てて彼に従ひ、而して先聖の人に取りて善を為すの美意荒れたり。世の古を談ずる者、博物には必ず吉備真備を称し、詞藻には必ず安倍仲麻呂を称す。臣を以て之を観れば、俗儒曲学の此を舎てて彼に従ふは、未だ必ずしも二人の者の倡を為さずんばあらず。則ち其の才学多しと雖も亦奚ぞ以て為さん。夫れ儒教の斯の道を培養する所以は、
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『弘道館記述義』・中世以降・異端が入る前に道が廃れる中世以降。異端邪説、民を誣ひ世を惑はす。臣彪謹んで案ずるに、異端邪説の民を誣ひ世を惑はす者は、其の流一に非ず。而して西戎浮屠の教、尤も甚だしと為す。西北洋夷の教は、其の害又仏に浮ゆ。(而して祖宗明断して一切駆除す。故に復た論ぜず。)夫れ物は先づ腐りて然る後に虫生ず。道は先づ廃れて然る後に異端入る。西土三代の治衰へて、老荘楊墨の説起こる。壊乱の極み、嬴政帝を称し、書を焚き儒を坑にす。儒教の厄も亦已に甚だし。劉邦布衣より起こり、九州を定む。其の治甚だ純ならずと雖も、寛厚にして人を愛し、子孫相承けて、亦頗る儒術を崇ぶ。是の時に当たりて、休屠の金人猶ほ未だ其の伎倆を逞しうするを獲ざるなり。(漢書に云ふ、霍去病隴西を出でて焉支山を過ぎ、休屠王の天を祭る金人を得たりと。顔師古の註に云ふ、今の仏像は是れ其の遺法なりと。)王莽篡立し、漢祚幾んど絶ゆ。劉秀崛起して旧業を恢復す。功も亦偉なり。然れども深く讖緯を崇信し、当時の学者皆其の意に迎合するを務め、苟くも然らざる者は往往にして擯斥せらる。儒も亦窮すと謂ふべし。其の子荘に至りて、遂に始めて仏を天竺に迎ふ。(或いは謂ふ、西漢の元寿中に既に仏法有りと。其の説は魏略の西戎伝に本づく。然れども後漢書に云ふ、明帝金人を夢む。長丈余、頭に光明有り。以て群臣に問ふ。或いは曰く、西方に神有り、名づけて仏と曰ふ。其の形は丈六尺にして黄金色なりと。此に拠れば則ち是より先は未だ仏有らざるなり。故に韓愈・朱熹等皆以為へらく、仏は後漢の明帝の時に始まると。明帝は即ち劉荘なり。)華夷内外は天下の大閑にして、詩書の載する所、周孔の言ふ所、丁寧反覆して一にして足らず。今荘は身漢家の正統を承けながら、反りて胡鬼を異域に迎ふるに及び、群臣唯唯諾諾として、一言半辞の其の非を匡救するを聞かず。蓋し其の学者と曰ふものは、徒だ章句訓詁を是れ守り、周孔の本意を闡明すること能はずして、識緯符命の説も亦以て其の心術識見を蠱する有るが故なり。然れども漢魏の間、仏法猶ほ未だ世に遍からず。東晋の末、清談熾んに行はれ、五胡内に侵して仏法も亦漸く蔓延す。(晋書に云ふ、姚興、浮屠を永貴里に立て、般若台を中宮に立つ。州郡之に化して仏に事ふる者十室にして九なりと。)宋・斉・梁・陳・元魏の間、仏を奉じ僧に供するに唯だ時に後れんことを恐る。隋氏南北を并せ、而して民間の仏書は、
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『退食閑話』・近世の学の偏り物徂徠の徒のごとく、唐土をば中華中國などゝ稱し、自分は日本東夷など稱する類あり、是 神州の臣民敢ていふべき所にあらず、新井氏など關東を王と稱せしより、 天朝を宿公の如く申奉んも、西土の名號になづみて、 東照宮の 皇朝を尊崇し給へる深意にたがふなり、物新二氏いづれも豪傑の士にして、其あらはせる所の書も世に益あるもの多しといへども、此を舍てて彼に從ふの病は遁るべからず、又皇國學と稱して、 神州の尊き事を稱揚し奉るは、卓識ともいふべき處ありて、大に人心世道のために益となるべき事も少からず、此を舍てて彼に從ふにはあらずして、其功の大なる事もあれど、多くは治敎の大體を知らずして、神聖經綸の道に闇く、人倫の天敍を外にして、私を以て一種の說を設け、人道を牛馬に同じく、老莊墨翟などの意に近き自己の偏見を執りて、堯舜をも譏議し、大人に狎れ、聖人の言を侮りて、天朝にても資として 皇猷を贊け給ひし深遠の意を容ざる事あるに至ては、又此を舍てて彼に從ふの徒に近かるべし、又文墨の藝の如きも、道を尊び敎を施す筋ともなるべき事なれども、
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、何ぞ人倫を舎つべき。又天地に散々と決定するにもあらず。然れども、地獄極楽へ往べきとも思はず、三世のことは、定めて無者にてあらんと思へり。これは我ばかりにも非ず、世間にも、決せぬ人もあるやらん。或所に儒者を専一に致し、仏法を議り、且神社仏閣へ、友に誘れ参りても、曽て拝などもせずして居られしが、時節来て病気づき、最早九死一生と相見へし時に、日頃縁類ゆへ、来り因む僧ありければ、臥ながら手を合涙を流し、後世のこと、返々頼入ると申されけり。自身にも最期に望では、何とやら気味あしく、日頃の血気に任て云時とは、替るものにや。又我も実はさつばりとはせねども、仏者に聞も口惜く、其上仏者にも、
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『近思録』巻13 弁異端其の説中国に熾伝してより、儒者未だ聖学の門牆を窺うを容れざるに、已に引取せらる。其の間に淪胥(りんしょ)して、指して大道と為す。乃ち其の俗之を天下に達し、善悪・知愚を致す。男女・臧獲(ぞうかく)まで、人人著信す。英才間気をして、生まれては則ち耳目恬習の事に溺れ、長じては則ち世儒崇尚の言を師とせしむ。遂に冥然として駆らる。因りて聖人は修めずして至るべく、大道は学ばずして知るべしと謂う。故に未だ聖人の心を識らずして、已に必ずしも其の迹を求めずと謂う。未だ君子の志を見ずして、已に必ずしも其の文を事とせずと謂う。此れ人倫の察らかならざる所以、庶物の明らかならざる所以、治の忽(ゆるが)せにせらるる所以、徳の乱るる所以なり。異言耳に満つ。上は礼以て其の偽りを防ぐ無く、下は学以て其の弊を稽(かんが)うる無し。古より詖淫邪遁(ひいんじゃとん)の辞、翕然として並び興る。一に仏氏の門に出づる者、千五百年。向(さき)に独立して懼れず、精一自ら信じ、大いに人に過ぐるの才有るに非ずんば、何を以てか其の間に正しく立ち、之と是非を較べ得失を計らんや。

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