退食閑話 / 安寧と大乱の歴史
かゝるめでたきためしも、其本は天地の始よりして、君臣父子の大倫正しくして、人情風氣厚きによりて、かくのごとく萬國に勝れたるなれば、國體も是によりて尊さに非ずや、且蒼生の安寧なるも、古は異端邪說といふ事もなし、古言に、唯神とは前にいへるが如く、神明の敎のまゝにして、君臣父子の大倫亂れざりしかば、異域に、五胡十六國などいへるが如き大亂は曾てなかりしなり、されども、一治一亂は天下の常なれば、太平久しくして縉紳宴安に溺れ、神聖の敎衰へて君臣父子の道正しからず、保元平治の亂ありて、 朝威衰へ、壽永、承久、元弘、建武等の亂ありて、四海鼎沸す、是によりて戰鬪暫くも止ず、 東照宮禍亂を平げ給ひしより民始て干戈を免れ、其父母妻子を養ひ、安穩に身を終る事を得たり、 神明の敎正しく、君臣父子の大倫斷滅せざるによりて、天下の亂も遂に正しきになりて、蒼生も安寧なるに非ずや、夷狄の卒服する事も、
新字:かゝるめでたきためしも、其本は天地の始よりして、君臣父子の大倫正しくして、人情風気厚きによりて、かくのごとく万国に勝れたるなれば、国体も是によりて尊さに非ずや、且蒼生の安寧なるも、古は異端邪説といふ事もなし、古言に、唯神とは前にいへるが如く、神明の教のまゝにして、君臣父子の大倫乱れざりしかば、異域に、五胡十六国などいへるが如き大乱は曽てなかりしなり、されども、一治一乱は天下の常なれば、太平久しくして縉紳宴安に溺れ、神聖の教衰へて君臣父子の道正しからず、保元平治の乱ありて、 朝威衰へ、寿永、承久、元弘、建武等の乱ありて、四海鼎沸す、是によりて戦闘暫くも止ず、 東照宮禍乱を平げ給ひしより民始て干戈を免れ、其父母妻子を養ひ、安穏に身を終る事を得たり、 神明の教正しく、君臣父子の大倫断滅せざるによりて、天下の乱も遂に正しきになりて、蒼生も安寧なるに非ずや、夷狄の卒服する事も、
書き下し
かゝるめでたきためしも、其本は天地の始よりして、君臣父子の大倫正しくして、人情風氣厚きによりて、かくのごとく萬國に勝れたるなれば、國體も是によりて尊さに非ずや、且蒼生の安寧なるも、古は異端邪說といふ事もなし、古言に、唯神とは前にいへるが如く、神明の敎のまゝにして、君臣父子の大倫亂れざりしかば、異域に、五胡十六國などいへるが如き大亂は曾てなかりしなり、されども、一治一亂は天下の常なれば、太平久しくして縉紳宴安に溺れ、神聖の敎衰へて君臣父子の道正しからず、保元平治の亂ありて、 朝威衰へ、壽永、承久、元弘、建武等の亂ありて、四海鼎沸す、是によりて戰鬪暫くも止ず、 東照宮禍亂を平げ給ひしより民始て干戈を免れ、其父母妻子を養ひ、安穩に身を終る事を得たり、 神明の敎正しく、君臣父子の大倫斷滅せざるによりて、天下の亂も遂に正しきになりて、蒼生も安寧なるに非ずや、夷狄の卒服する事も、
現代語訳
こうした目出度い例も、その根本は天地の始めから、君臣父子の大倫が正しく、人情風気が厚いことにありますから、国体もこれによって尊いのではありませんか。また蒼生の安寧についても、古は異端邪説ということもなく、古言に「ただ神」とあるように、先に述べた神明の教えのままで君臣父子の大倫が乱れなかったため、異国の五胡十六国のような大乱はかつてありませんでした。しかし、一治一乱は天下の常ですから、太平が久しくなると公家は安楽に溺れ、神聖の教えが衰えて君臣父子の道が正しくなくなり、保元・平治の乱があって朝廷の威勢が衰え、寿永・承久・元弘・建武などの乱があって四海が沸き立つようになりました。そのため戦いは少しも止まず、東照宮が禍乱を平らげられてから、民ははじめて戦から免れ、父母妻子を養い、安穏に生涯を終えられるようになりました。神明の教えが正しく、君臣父子の大倫が断絶しなかったからこそ、天下の乱もついには正しきに返り、蒼生も安寧になったのではありませんか。夷狄が従うことも、
解説
この章句が説くこと
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『新論』國體上然れども一乱一治は、天下の常勢なり。故に天既に喪乱を厭ひ、英傑並び作り、豊臣氏匹夫より起りて、禍乱を平定し、関白を以て天下に号令し、土地人民を一に統べ、以て帝室を翼戴す。東照宮踵いで興り、専ら忠孝を以て基を立て、遂に二百年太平の業を成す。孫謀既に貽りて、遵守して墜さず、時を以て天下の国主・城主を帥ゐて京師に朝せしめ、天皇褒賞して、官を授け爵を賜ふ。此の時に当りてや、天下の土地人民、其の治一に帰し、海内一塗、皆天朝の仁を仰ぎて、幕府の義に服す。天下の勢、治まれりと謂ふべし。然れども昇平已に久しければ、則ち倦怠随ひて生ず。天下の有土の君、生れながらにして則ち逸し、凶荒に備無くして、之を恤ふる莫く、姦民横行して、之を禁ずる莫く、戎狄辺を伺ひて、之を虞る莫し。土地人民を棄つるなり。天下の士民、唯利のみ是れ計り、肯へて忠を尽し慮を竭して以て国家を謀らず、怠傲放肆、以て乃の祖を忝しむ。君親を遺るるなり。上下交々遺棄すれば、土地人民、何を以てか統一せん。而して国体其れ何を以てか維持せんや。
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『弘道館記述義』・東照宮・東照宮が乱を治めた至誠と義勇我が東照宮、乱を撥めて正に反す。臣彪謹んで案ずるに、建武の中興終らずして、天下の権竟に足利に帰す。当時身を以て芳野に徇ふ者は、皆忠義の士なり。覥然たる面目にて足利の鼻息を仰ぐ者は、皆貪婪無恥の徒なり。既に忠義の士を殲して以て皇家を孤にし、又貪婪無恥の徒を聚めて以て其の私を成す。甚しきかな。足利の無道なること、而して天の不仁に与するも其れ亦此に至るか。足利既に不仁を以て之を得、親戚之に倣ひ、陪臣之に倣ひ、天下靡然として唯だ利を是れ求め、復た忠孝仁義の何物たるかを知らず。終に将軍管領は有名無実となり、群雄并び起こりて争ひて州郡に跨がり、西滅び東起こりて互ひに呑噬す。生民の禍も亦惨なり。昔者源平二氏は、派別れて天潢より出づ。然れども降りて人臣と為り、久しく武士に混ずれば、則ち公卿視ること奴隷の如し。足利の衰ふるに至りては、則ち織田は陪臣より起こり、而して豊臣は又織田の臣より起こる。三台の座は則ち之を官に闕き、一蹴超遷すること地の芥を拾ふが如し。天下の変も亦甚だし。然れども織田の権数智謀は、固より当時の群雄の比に非ず。豊臣の雄才大略は、又海内外を圧倒す。乃ち其の一世を鞭撻し、八洲を盪滌する所以は則ち可なり。扶桑の根抵を培養し、天下を富嶽の安きに措く所以に至りては、則ち未だ可ならざるなり。我が東照宮は則ち然らず。蓋し彼は詐術を以てし、我は至誠を以てす。彼は威強を以てし、我は義勇を以てす。彼は土地財利を以て人心を籠絡し、我は礼義廉恥を以て士気を磨礪す。彼の功を奏すること甚だ速やかなるも、其の敗るるや土崩瓦解す。我が基を搆ふること迂なるが若きも、其の成るや牢固として抜けず。凡そ其の言行は必ず忠孝仁義に本づき、其の政教施設は暗に聖賢の道に合す。以て神州の元気を養ふに足る者、往往にして有り。此れ其の覇業の隆んなること前人に卓越する所以にして、所謂撥乱反正とは、其れ然らずや。古人言へる有り、曰く、人衆ければ天に勝つ、天定まれば亦能く人に勝つと。足利既に貪婪無恥を以て一世を風靡す。貪婪無恥の俗極まりて、室町の業忽ち諸む。既に忠義の士を殲すも、忠義の種は滅泯すべからず。維れ天、新田の族を陰隲し、流離間関して幾んど絶えて僅かに存す。累世の徳を積み、東照宮に至りて大いに其の光を発す。而して池田・井伊・奥平・大久保・鳥居・天野・栗生の諸氏は、蓋し亦皆忠義の遺孽を以て、芳野の餘馨を伝へ、風雲に際会して禍乱を裁定し、以て今日の盛を致す。則ち天の終に不仁に勝つや、亦明らかなり。嗚呼亦畏るべきかな。
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『尚武論』・太平に慣れて武を忘れる危うさ天下の命をして、独り一人に制せしむ。諸を祖宗の世に致すも、亦猶ほ姓を更め物を改むるがごときなり、云云。吁、封建の政、郡県と為り、国体変ぜり。古は聖王の世、民は戎政に藉り、柄は常に上に在り。故に四方に事有れば、則ち天子親征す。中世に迨び、文辞を弄ぶに至れば、則ち干戈を観ること敵属のごとく、一に之を武臣に委ね、自ら視ること尊大、武臣を卑しみて奴隷と為す。上下隔遠し、文武日に離離たり。武国の実安くに在らんや。是を以て朝廷自づから衰へて武臣興り、国勢も亦変ず。我が邦は武の在る所、則ち勢の存する所なり。武有る者は盛んに、武無き者は衰ふ。帝大友は文なり、竟に天武の武に克つこと能はず。平家は文なり、終に源氏の武に勝つ能はず。南朝は文なり、卒に足利の武に克つ能はず。夫れ新田・楠は武臣なり。躬ら南朝に属すれば、則ち志を得ること克はざるは、勢の自然のみ。或ひと曰く、尊氏の西奔するや、義貞追ひて之を撃たず、殆ど事機を誤れり。楠、奏言して報いられず、憤激して早く歿す。南朝の振はざる所以なり、と。余謂へらく、義貞・正成、知勇有りと雖も、悪くんぞ天の助くる所に勝たんや。天の助くる所は、智も測る能はず、勇も奪ふ能はざるのみ。天の助くる所は、即ち武に在り。神代、諾冊の二神、瓊矛もて天下を定むるも、歴世の久しきに、天下復た乱る。神武天皇、一旦にして之を戡定す。所謂一治一乱是れなり。爾後も亦朝廷文弱、足利氏の季に臻りて、衰乱極まれり。神君龍興するに迨び、其の用ふる所熊羆の士に非ざる莫く、遂に天下を克服して、天下一に帰し、海内安寧、以て今日に至る。亦盛んならずや。是れ則ち天地神明の祐くる所なり。神武天皇の後、亘ること数千載、皇統繁衍し、継続して絶えず。乃ち我が神君の如きも、亦其の種胤にして、奕葉蔓衍して天下に充つ。武徳の盛んなること、実に前古に度越す。神明の祐くる所、以て知るべし。乃ち知る、武威は皇統と並び立つこと幾百万歳、天地と悠久なること、固より占卜を俟たざるなり。唯だ恐る、大平の久しきに、人逸楽に就き、驕奢に流れ、義を忘れ利を求め、実を去りて虚を務め、誠を喪ひて詐を懐き、懋を離れて便に随ひ、其の極み武徳を失ふに至らんことを。今、世上の俗を察するに、僧徒極めて衆くして武士少なく、商賈常に盛んにして農民減じ、游民自づから多くして工職耗す。国自づから貧乏を取る。
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『退食閑話』・武備を忘れぬ攘夷東照宮に至つては益朝廷を尊び、永世にても大禮行はれ、其後義公の撰述せられし禮義類典を進獻ありしより、禮義全備して 幕府よりも其料を調進ありしかば、曠代の廢典全く再興して、御代ごとに行はるゝ事とはなりしよし承る、是等の事皆尊 王の義と申奉るべきなり、又治世に亂を忘れ給はず、常に子弟に訓戒し給ふにも、日本太平にして武道怠る時は、異國より日本を伺ふ故、異國亂るゝと聞ば、武道の達人を撰むて是を押へさせよ、日本の中の軍は勝負ともに其一家計りの盛衰なり、外國の爭は負たる時は、日本國の恥辱なりと、深く戒め給ふに依りて、西洋の邪徒、 神州を伺ふ事も深く察し給ひしうへ、其禁を甚嚴になし給ふ、 台德大猷二公も御志を繼せられ、寛永の年までに盡く誅戮ありて、永世の禍根を絶給ふて、 國家の武威の外國に震ひしは、是皆攘夷の義と稱し奉るべきなり、
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『退食閑話』・尊王攘夷の実際問、 東照宮亂を撥し正しきに反し給ふことは、兒童走卒の知る所なれば、論ずるに及ばず、尊王攘夷とは何れの事をば指し給へることぞや、曰、 東照宮恭儉の德まし〱て、富四海の內を保ち給へども勢を恃給はず、屢京師に朝して君臣の義を正しうし給ふ、兵亂の世にして、 至尊より公卿太夫に至るまで萬事匱乏に困しみ給ひしに、禁城の狹隘なりしをも、增擴ありて脩理し給ひしより、供御の田を增れて供給闕るとなく、秘籍寶器の亡失せるを御座に返し納め、伶官の職を失ひしも先職に復せしめ、 朝廷の法制を撰述せられ、伊勢皇太神宮二十年改定の期、古法をうしなひしも永制を立給ひ、又亂世には 朝廷財用とぼしく、御即位大嘗會等の禮も行はれず、僅に大內氏毛利氏などの其料を調進せし事ありしのみなり、織田氏豐臣公の時にいたりて、其料かくる事なくなりしかども、
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『退食閑話』・五倫と国恩素盞烏尊、を生給ひし時、天照太神は高天原を治すべし、月夜見尊は夜の食國を治すべし、素盞烏尊は滄海原を治すべしと任じ給ひしは、兄弟の序なり、思兼手力雄、兒屋、太玉、建雷、猿田彦等の諸神、心を同して天神を輔翼し奉り、友を以て仁を輔けしは、朋友の信を申なり、かくのごとく五倫の敎は天地の始より立て、今日に至るまで、人たるもの君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の道を離れて世に居る事あたはず、されば今も仰ぎ奉る至尊は、天照太神と同體にまし〱、 大將軍は數百年の亂を平げ萬民を安んじ給ひて、 東照宮の御嗣にて、天朝の政を天下に布て、民をして兵革盜賊等の憂をまぬかれしめ給ふ邦君は 天朝の藩屏、 大將軍の分職にて、各其國を治め給ふ、今此海內に生れて臣民の數に備らんもの、誰か 天子と大將軍と邦君との恩澤を蒙らざるものあらんや、されば、人各五倫の道を盡して、國恩の萬一をも報じ奉るべしと志ん事、誰か其道を離れ得べきや、記文に神聖の斯道に由れしと載給へるは、かゝる意味にも侍らむやと存じ奉るなり、

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