退食閑話 / 戎狄の卒服と邪教の害
皇太神を祭りし祝詞に、遠國は八十綱打かけて引寄るがごとくとあるが如し、素盞烏尊新羅に渡り給ひ、 崇神天皇の御宇、任那の人歸化し、また神功皇后三韓を征伐し給ひてより西蕃服從し、景行天皇日本武尊をして蝦夷を征伐せられてより、 桓武平城嵯峨の御時に至りては、坂上田村麿文室綿麿等の名將を得て、終に蝦夷を海外に逐退けて、東地靜寧なり、中にも 成明天皇の御宇には肅愼までも征伐して、威を遐方に震ひ給へり、其後女眞蒙古等の冠亂ありしも、深患をなす事あたはず、豐太閤は朝鮮を伐て威を海外にふるはれたり、さて又夷狄の道を以て、 神明の敎を害する事も、天竺の道神州に行はれてより民心始て純一ならず、又西土奢麗の風、 神明の邦に移りて堂塔を作り、田園を寄附し、これが爲に天下正稅の半を絶すと、古人もいひしが如く、終に四海困窮せり、延暦興福園城寺等の僧徒强【訴/詐】して、やゝもすれば 天闕を犯し、
新字:皇太神を祭りし祝詞に、遠国は八十綱打かけて引寄るがごとくとあるが如し、素盞烏尊新羅に渡り給ひ、 崇神天皇の御宇、任那の人帰化し、また神功皇后三韓を征伐し給ひてより西蕃服従し、景行天皇日本武尊をして蝦夷を征伐せられてより、 桓武平城嵯峨の御時に至りては、坂上田村麿文室綿麿等の名将を得て、終に蝦夷を海外に逐退けて、東地静寧なり、中にも 成明天皇の御宇には粛慎までも征伐して、威を遐方に震ひ給へり、其後女真蒙古等の冠乱ありしも、深患をなす事あたはず、豊太閤は朝鮮を伐て威を海外にふるはれたり、さて又夷狄の道を以て、 神明の教を害する事も、天竺の道神州に行はれてより民心始て純一ならず、又西土奢麗の風、 神明の邦に移りて堂塔を作り、田園を寄附し、これが為に天下正税の半を絶すと、古人もいひしが如く、終に四海困窮せり、延暦興福園城寺等の僧徒強【訴/詐】して、やゝもすれば 天闕を犯し、
書き下し
皇太神を祭りし祝詞に、遠國は八十綱打かけて引寄るがごとくとあるが如し、素盞烏尊新羅に渡り給ひ、 崇神天皇の御宇、任那の人歸化し、また神功皇后三韓を征伐し給ひてより西蕃服從し、景行天皇日本武尊をして蝦夷を征伐せられてより、 桓武平城嵯峨の御時に至りては、坂上田村麿文室綿麿等の名將を得て、終に蝦夷を海外に逐退けて、東地靜寧なり、中にも 成明天皇の御宇には肅愼までも征伐して、威を遐方に震ひ給へり、其後女眞蒙古等の冠亂ありしも、深患をなす事あたはず、豐太閤は朝鮮を伐て威を海外にふるはれたり、さて又夷狄の道を以て、 神明の敎を害する事も、天竺の道神州に行はれてより民心始て純一ならず、又西土奢麗の風、 神明の邦に移りて堂塔を作り、田園を寄附し、これが爲に天下正稅の半を絶すと、古人もいひしが如く、終に四海困窮せり、延暦興福園城寺等の僧徒强訴して、やゝもすれば 天闕を犯し、
現代語訳
皇太神を祭る祝詞に「遠い国は八十綱を打ちかけて引き寄せるように」とあるとおりです。素戔嗚尊が新羅に渡られ、崇神天皇の御代に任那の人が帰化し、また神功皇后が三韓を征伐されてから西の蕃国が服従し、景行天皇が日本武尊に蝦夷を征伐させられてから、桓武・平城・嵯峨の御代には坂上田村麻呂・文室綿麻呂などの名将を得て、ついに蝦夷を海外に追い払い、東の地は静かになりました。中でも成明天皇の御代には粛慎までも征伐して、威を遠方に震われました。その後、女真・蒙古などの来襲がありましたが、深刻な害にはなりませんでした。豊太閤は朝鮮を討って海外に威を振るわれました。また、夷狄の道によって神明の教えを害したこととしては、天竺の道が神州に行われてから民心がはじめて純一でなくなり、また西土の奢侈華美の風が神明の邦に移って、堂塔を造り、田園を寄付し、そのために天下の正税の半ばが絶えると古人も言ったとおり、ついに四海が困窮しました。延暦寺・興福寺・園城寺などの僧徒は強訴して、ともすれば宮門を犯し、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弘道館記述義』・蠻夷戎狄以之率服・海外への威徳と遠征をめぐる論蛮夷戎狄、之を以て率服す。臣彪謹んで案ずるに、素戔嗚尊の罪を天祖に獲るや、其の子五十猛命と海外に降臨す。(書紀に云ふ、新羅国に到る、と。又た一に云ふ、韓地、と。蓋し追称の辞なり。)少名彦命も亦た常世国に適く。(案ずるに古に常世と称するは、其の義一ならず。而して常世国と云ふは、多く海外絶遠の地を指す。)則ち鴻荒の時、明神の威霊、蓋し既に異邦に被る。然れども載籍簡古にして、其の詳らかなること言ふを得ず。(近時古学者の流、之が説を為して曰く、外国諸蕃は蓋し皆少名彦神の経営する所なり、と。又た其の説を広むる者有り、曰く、西土草昧の世に大乙・少昊有り。大乙は即ち大巳貴神にして、少昊は即ち少名彦神なり、と。其の意蓋し皆皇朝を尊大にせんと欲して、自ら其の言の怪誕に渉るを知らざるなり。好古の士、鑒みざるべけんや。)崇神帝、神祇を崇重し天業を経綸す。是に於て任那国、蘇那喝叱知を遣はして朝貢す。外夷の化に向かふこと史に見ゆる者、蓋し是れを始めと為す。垂仁・景行二帝相踵ぎて不服を撻伐し、其の威武を奮ふ。仲哀帝は親ら熊襲を征し、中道にして崩ず。神功皇后は神祇の教へに因り帝の遺意を奉じ、(案ずるに書紀の仲哀帝西征の条に、神、皇后に憑りて曰く、新羅を征すれば則ち熊襲も亦た自ら服せん、と有り。帝疑ひて、便ち嶽に登り遙かに望みて曰く、海有りて国無し、神何ぞ我を誘ふ、と。此に拠れば則ち帝は曾て遠征を欲せざるのみならず、併せて海外に国有ることを信ぜざるなり。然れども是より先、外夷の朝貢及び投化する者、一にして足らず。帝豈に海外に国有るを知らざるの理有らんや。況んや眼界を以て有無を論ずるは真に児童の見なり。帝の明を以てして、豈に斯の語有るべけんや。且つ丁卯歳、百済使を遣はし新羅の使と朝貢す。皇太后、太子に曰く、先帝の欲せし所の国人、今来朝す。痛ましきかな、見るに及ばざりしこと、と。群臣皆為に涕を掩ふ。此に拠れば則ち征韓の役は帝の遺志に出づること明らかなり。蓋し書紀の載する所、前後矛盾す。前説は頗る荒誕に渉り、後説は著実にして情に近し。而して後世皆前説に拠りて、徴を後説に求むるを知らず。可ならんや。此れ実に大義の関係する所なり。故に敢へて弁ず。)決意して遠征す。
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『実武一家言抄録』・外寇なき実拠と倭寇(二)右に說たる如く、海外の□□皆我日本の豐饒なるを羨みて併呑せんと欲る者多し、然共是迄數百年來絶て外寇といふ者無りし事は何の故ぞと考るに大に實據の有事なり、其實據とは古し神功皇后親く兵を將ひて大海を渡り、高麗新羅百濟任那等を征伐し玉ひて、悉く其酋を降し、日本の屬國と爲し、威名一時西土を震動す、其後四五百年の間、朝鮮は皇國の屬地にして、時々叛く者有每に兵を出して是を討ち、三韓の間に勇戰せし事幾度といふ事を知らず、其後後宇多天皇の弘安年中に、蒙古の世祖忽必烈既に南宋を滅して支那を一統し、連勝の勢に乘じて皇國をも取らん事を欲して、十餘萬の精兵を以て西海道に寇せしが、九州の武士に打破られて全軍悉く沒し、死せずして逃歸る者僅に三人也き、其後伊豫國の住人久留島野島因島の鄕士等、各其一族を集め徒黨を相結び年々船を海外に出し、外國を劫妨して財物賃品を奪取、以て各自の家を富し、是を以て産業として海賊を働きし事多年の事也、
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『退食閑話』・邪教の禁と実の事他國には一向專念の徒横行して、加越歴世の邦君も是が爲に滅亡す、長島石山等の一揆には、織田殿の英明なるすら大に手を摧き、土呂針崎の亂には、參河武士の忠義の名を天下に得るすら、君父に對して弓矢を執り、西洋の邪徒來りしに及むてば、詭術を以て民心を迷し、 神明の邦を變じて狄夷の屬とせんことを謀る、然るに、織田殿山門以下諸國の惡僧を討ち平げ、西洋の姦謀を覺り、邪徒をも卻げんとす、豐臣家邪徒を海外に逐ひ退け、 東照宮に至りては邪徒の禁いよ〱嚴にして、其後寛永の時に至りて盡く是を殄滅して、遂に其根柢を絶給ふ、此段外夷も傳聞て曰、日本人は三眼有りとて、震ひ恐れしとなり、是又神明の敎正しく、人倫の道は天地の間に廢すべからざる自然の大道なるによりて、再び正しき道に反り、夷狄も卒服すべき道理にあらずや、然れば、 寳祚の無窮、國體の尊嚴、蒼生の安寧、戎狄の卒服、何れも空言にあらず、其實事これありしなり、
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『日本国風抄録』・義戦・辺境の守りと、国を乱す者への征討異國より吾國を先だつて侵す、それより文永弘安まで此國を襲ふと十三度に及べりと云、諸神豫此隣敵の畏れを鑑みまし〱、神功皇后に誨て新羅を征し神策武威を示し、新羅のみならず、外國悉怖畏して永世此國を侵さゞらんことを思ひ給ふの神意なるも知るべからず、朝野群載筥崎記曰、筥崎宮在西海道筑前國那珂郡、盖八幡大菩薩之別宮也云々、北臨巨海、西向絶域、爲防異國之來寇垂跡此地、これ又神意の隣敵守禦に在ことを觀つべし、况又日本武尊東西の夷を討給ひ、崇神天皇の時武埴安彦謀反に依て大彦と彦國營とを遣してこれを征、聖武天皇の御宇太宰少貳藤原廣嗣肥前國遠珂郡に城を建て王命不從反逆を企つ、依て大將軍大野東人、副將軍紀飯麻呂、佐伯常久、阿陪中麻呂を添て征伐せしむ、又朱雀院の御宇に平將門東に叛し藤原純友西に叛きて天位を侵さんとす、軍將を遣して速に征す、(此後貞任宗任武衡家衡反逆の征伐有、)夫此國は皇孫の國也、然るに天位を奪はんとす、速に軍將を遺し其罪を聲して征伐す、豈義戰に非や、
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『新論』國體中爾後百余年、世道漸く汚ると雖も、桓武・嵯峨の朝に迨び、遂に陸奥の賊を平げ、蝦夷跡を海外に屏く。則ち猶未だ以て衰弱と為さざるなり。夫れ寇賊を攘除し、土宇を開拓するは、天祖の孫謀を貽したまふ所以にして、天孫の天祖を継述したまふ所以なり。故に皇太神を祭る祝詞に称する有り、「神明の照臨したまふ所、天を窮め地を極め、狭き者は広からしめ、険しき者は平らかならしめ、遠き者は八十綱を以て之を牽くが如し」と。是れ皇化の日に四表に被らんことを禱る所以にして、天朝建国尚武の意も亦見るべきなり。
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『退食閑話』・武備を忘れぬ攘夷東照宮に至つては益朝廷を尊び、永世にても大禮行はれ、其後義公の撰述せられし禮義類典を進獻ありしより、禮義全備して 幕府よりも其料を調進ありしかば、曠代の廢典全く再興して、御代ごとに行はるゝ事とはなりしよし承る、是等の事皆尊 王の義と申奉るべきなり、又治世に亂を忘れ給はず、常に子弟に訓戒し給ふにも、日本太平にして武道怠る時は、異國より日本を伺ふ故、異國亂るゝと聞ば、武道の達人を撰むて是を押へさせよ、日本の中の軍は勝負ともに其一家計りの盛衰なり、外國の爭は負たる時は、日本國の恥辱なりと、深く戒め給ふに依りて、西洋の邪徒、 神州を伺ふ事も深く察し給ひしうへ、其禁を甚嚴になし給ふ、 台德大猷二公も御志を繼せられ、寛永の年までに盡く誅戮ありて、永世の禍根を絶給ふて、 國家の武威の外國に震ひしは、是皆攘夷の義と稱し奉るべきなり、

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