新論 / 國體上
然而一亂一治、天下之常勢也、故天既厭喪亂、英傑並作、豐臣氏起匹夫、平定禍亂、以關白號令天下、統土地人民於一、以翼戴 帝室、 東照宮踵興、專以忠孝立基、遂成二百年太平之業、孫謀既貽、遵守不墜、以時帥天下國主城主朝于京師、天皇褒賞、授官賜爵、當此之時也、天下之土地人民其治歸於一、海内一塗、皆仰 天朝之仁、而服 幕府之義、天下之勢、可謂治矣、然昇平已久、則倦怠隨生、天下有土之君、生則逸、凶荒無備、而莫之恤、姦民横行、而莫之禁、戎狄伺邊、而莫之虞、棄土地人民也、天下士民唯利是計、不肯盡忠竭慮以謀國家、怠傲放肆、以忝乃祖、遺君親也、上下交遺棄、土地人民、何以統一焉、而國體其何以維持也、
新字:然而一乱一治、天下之常勢也、故天既厭喪乱、英傑並作、豊臣氏起匹夫、平定禍乱、以関白号令天下、統土地人民於一、以翼戴 帝室、 東照宮踵興、専以忠孝立基、遂成二百年太平之業、孫謀既貽、遵守不墜、以時帥天下国主城主朝于京師、天皇褒賞、授官賜爵、当此之時也、天下之土地人民其治帰於一、海内一塗、皆仰 天朝之仁、而服 幕府之義、天下之勢、可謂治矣、然昇平已久、則倦怠随生、天下有土之君、生則逸、凶荒無備、而莫之恤、姦民横行、而莫之禁、戎狄伺辺、而莫之虞、棄土地人民也、天下士民唯利是計、不肯尽忠竭慮以謀国家、怠傲放肆、以忝乃祖、遺君親也、上下交遺棄、土地人民、何以統一焉、而国体其何以維持也、
書き下し
然れども一乱一治は、天下の常勢なり。故に天既に喪乱を厭ひ、英傑並び作り、豊臣氏匹夫より起りて、禍乱を平定し、関白を以て天下に号令し、土地人民を一に統べ、以て帝室を翼戴す。東照宮踵いで興り、専ら忠孝を以て基を立て、遂に二百年太平の業を成す。孫謀既に貽りて、遵守して墜さず、時を以て天下の国主・城主を帥ゐて京師に朝せしめ、天皇褒賞して、官を授け爵を賜ふ。此の時に当りてや、天下の土地人民、其の治一に帰し、海内一塗、皆天朝の仁を仰ぎて、幕府の義に服す。天下の勢、治まれりと謂ふべし。然れども昇平已に久しければ、則ち倦怠随ひて生ず。天下の有土の君、生れながらにして則ち逸し、凶荒に備無くして、之を恤ふる莫く、姦民横行して、之を禁ずる莫く、戎狄辺を伺ひて、之を虞る莫し。土地人民を棄つるなり。天下の士民、唯利のみ是れ計り、肯へて忠を尽し慮を竭して以て国家を謀らず、怠傲放肆、以て乃の祖を忝しむ。君親を遺るるなり。上下交々遺棄すれば、土地人民、何を以てか統一せん。而して国体其れ何を以てか維持せんや。
現代語訳
しかし、乱れては治まり、治まっては乱れるのが天下の常の勢いである。だから天が戦乱を嫌うようになると、英傑が次々に現れ、豊臣氏は一介の庶民から身を起こして禍乱を平定し、関白として天下に号令し、土地と人民を一つに統べて帝室を支え奉った。東照宮(徳川家康)がこれに続いて興り、もっぱら忠孝によって基礎を立て、ついに二百年の太平の事業を成しとげた。子孫のための計画もすでに残され、守り従って失わず、時に応じて天下の国主・城主を率いて京都に参上させ、天皇はこれを褒め、官位を授け爵位を賜った。この時にあたって、天下の土地と人民の治めは一つに帰し、国内は一つの道に従い、みな天朝の仁を仰ぎ、幕府の義に服した。天下の勢いは治まったといってよい。しかし太平が久しく続くと、倦怠がそれに伴って生じる。天下の領地をもつ君主は、生まれながらに安逸で、凶作や飢饉に備えがなくても心配せず、悪い民がのさばっても取り締まらず、外敵が辺境をうかがっても警戒しない。これは土地と人民を捨てることである。天下の武士も民も、ただ利益だけを計り、忠を尽くし思慮をめぐらして国家のために謀ろうとせず、怠りおごってほしいままにふるまい、祖先を辱めている。これは主君と親を忘れることである。上も下もこのように互いに捨て忘れていては、土地と人民をどうして統一できようか。国体はいったい何によって維持できようか。
解説
この章句が説くこと
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『新論』序論今、天下の為に其の大計を論ずれば、天下の人、愕然として相顧み、驚怪せざるは莫し。旧聞に溺れて故見に狃るればなり。兵法に曰く、「其の来らざるを恃むこと無く、吾の以て之を待つ有るを恃め。其の攻めざるを恃むこと無く、吾の攻むべからざる所有るを恃め」と。然らば則ち吾をして治化洽浹し、風俗淳美、上下義を守り、民富み兵足り、強寇大敵と雖も之に応じて遺算無からしむれば則ち可なり。若し猶ほ未だしくんば、則ち其の自ら遑あり自ら逸する者、果して何をか恃む所ぞや。而るに論者皆謂ふ、「彼は蛮夷なり、商舶なり、漁船なり、深患大禍を為す者に非ず」と。是れ其の恃む所の者は、来らざるなり、攻めざるなり。恃む所彼に在りて我に在らず。如し吾の之を恃む所以の者と攻むべからざる所の者とを問へば、則ち茫乎として之を能く知る莫きなり。嗟夫、天地の誣罔を免るるを見んと欲すとも、将た何れの時にか之を期せんや。
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『政談』戶籍の事当時御城下に数百万の人を集め置き、諸国の米を悉く御城下へ運ひ来り食費す、当分は賑かに繁昌に見えて目出たきことなれとも、奥筋にことあれは仙台の米は入るまじ、西国にことあらは上方米は入るまし、其ときは御城下の民食にかつへて騒き立たれは何と静めても静めかたかるへし、飢に迫りて何ことをせんも測り難し、七年の疾に三年の艾と云ふことあり、そのときに至りては詮方更にあるまじきなり、諸大名の米も皆商人に売渡したれは、諸国にてもそのときは難儀甚たしかるへし、此等のことも代の末になりては必らすこれなきことにはあらす、近き憂あるは遠き慮りなき故なりと、かく戸籍を立てゝ人を土地にありつける仕方古聖人その深智なることよく味ひ知へし、本を重んし末を抑ゆると云ふこと是れ古聖人の法なり、本とは農なり、末とは工商なり、工商盛になりて農業衰ふれは、代は兎角かたのことく成りゆくこと是れ亦あきらかなるとしるへし、
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『政談』武家米を貯ふる仕方の事今時の愚か成る軍者なとは金をたむるを軍用とす、左様に乱に至りては米払底なるものなるゆゑ、何程金ありても土石を積みたるか如く何の用にも立たぬことなり、特に今時の二合半と云ふは松平伊豆守か定めたることにて、治世にて江戸はいくはいするそへのことなり、軍法に籠城の節は一人前一昼夜の食事三升とあつることなり、左様の節は精を出し働く事故、米特の外入ることなり、今も諸大名の家には一人扶持一升と定めたる家もあるなり、取ると否や売り払ふて金にして商人の手に売渡しては肝煎のときの米はいつかたへ行きたるやらん取戻されましき也、
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『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
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