酔古堂剣掃 / 集豪・高言は嘯虎の風を成す
高言成嘯虎之風,豪舉破湧山之浪。
書き下し
高言は嘯虎の風を成し、豪舉は湧山の浪を破る。
現代語訳
気高い言葉は、虎がうそぶくときに起こる風となり、豪快な振る舞いは、山のように湧き上がる大波をも打ち破ります。
解説
志の高い言葉と大胆な行いの力を、二つの雄大なたとえで描いた対句です。虎がうそぶくと風が起こるという言い方は、古くから龍と雲、虎と風を対にして、すぐれた者の動きが周りを動かすことのたとえに使われてきました。後半の湧山の浪は、山のように盛り上がる大波のことです。言葉と行いがそろってはじめて、人を動かす力になるという読み方もできます。集豪の名のとおり、気概をかき立てる一句です。大きな言葉を口にするなら、それを裏づける行動も伴わせたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
豪気言行気概行動胆力
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