墨子 / 耕柱
子夏之徒問於子墨子曰:「君子有鬬乎?」子墨子曰:「君子無鬭。」子夏之徒曰:「狗狶猶有鬬,惡有士而無鬬乎子墨子曰:「傷矣哉!言則稱於湯文,行則譬於狗狶傷矣哉!」
新字:子夏之徒問於子墨子曰:「君子有鬬乎?」子墨子曰:「君子無闘。」子夏之徒曰:「狗狶猶有鬬,悪有士而無鬬乎子墨子曰:「傷矣哉!言則称於湯文,行則譬於狗狶傷矣哉!」
書き下し
子夏の徒、子墨子に問いて曰く、「君子に鬬有りや」と。子墨子曰く、「君子に鬭無し」と。子夏の徒曰く、「狗狶すら猶お鬬有り。惡んぞ士有りて鬬無からんや」と。子墨子曰く、「傷ましいかな。言えば則ち湯・文に稱し、行えば則ち狗狶に譬う。傷ましいかな」と。
現代語訳
子夏の門人が墨子に尋ねた。「君子に争いはありますか」。墨子が言った。「君子に争いは無い」。子夏の門人が言った。「犬や豚にさえ争いがあります。どうして士でありながら争いが無いことがありましょう」。墨子が言った。「痛ましいことだ。言葉では湯王や文王を持ち出し、行いでは犬や豚にたとえる。痛ましいことだ」。
解説
言葉と行いとで、引き合いに出す相手が食い違っているという批判です。語るときは聖王を、振る舞いを弁護するときは犬や豚を持ち出す。理想は高く掲げ、実際の行いは最低の基準で正当化する。この形の言い訳はいまも珍しくなく、「傷矣哉」と二度繰り返す嘆きがよく効いています。
この章句が説くこと
言行理想弁解批判基準
関連する章句
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『墨子』貴義子墨子曰く、言、以て行いを遷すに足る者は、之を常とす。以て行いを遷すに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを遷して之を常とするは、是れ口を蕩かすなり。
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『墨子』公孟告子、子墨子に謂いて曰く、「我れ國を治め政を為さん」と。子墨子曰く、「政なる者は、口に之を言い、身に必ず之を行う。今、子は口に之を言いて、身は行わず。是れ子の身、亂るるなり。子、子の身を治むる能わず。惡んぞ能く國政を治めんや。子、姑く子の身の亂るるを防げ」と。
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『墨子』魯問魯陽文君、子墨子に語げて曰く、「楚の南に人を啖らう國なる者有り。其の國の長子生まるれば、則ち解きて之を食らう。之を宜弟と謂う。美なれば、則ち以て其の君に遺る。君、喜べば則ち其の父を賞す。豈に惡俗ならずや」と。子墨子曰く、「中國の俗と雖も、亦た猶お是のごときなり。其の父を殺して其の子を賞するは、何を以て其の子を食らいて其の父を賞する者に異ならんや。茍くも仁義を用いずんば、何を以て夷人の其の子を食らうを非とせんや」と。
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『塩鉄論』能言篇賢良曰く、能く言いて能く行わざる者は、國の寶なり。能く行いて能く言わざる者は、國の用なり。此の二者を兼ぬるは、君子なり。一つも無き者は、牧童・蓬頭なり。言は天下に滿ち、德は四海を覆う、周公是れなり。口に之を言い、躬に之を行う、豈に默然として載ち其の行いを施すのみに若かんや。則ち執事も亦た何をか患え何をか恥ずること之れ有らん。今、道舉げずして小利を務め、不急を慕いて以て群意を亂すは、君子は貧しと雖も、為す勿くして可なり。藥酒は、病の利なり、正言は、治の藥なり。公卿誠に能く自ら強め自ら忍び、文學の至言を食み、權詭を去り、利官を罷め、一に之を民に歸し、親しく周公の道を以てすれば、則ち天下治まりて頌聲作らん。儒者安んぞ治亂を得て之を患えんや。
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易経・繋辞上子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。
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『墨子』耕柱子墨子曰く、「言、以て行いを復するに足る者は、之を常とす。以て行いを舉ぐるに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを舉ぐるに足らずして之を常とするは、是れ口を蕩かすなり」と。