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駿台雑話 / 不忘向君三

惣じて君の御前に伺候し御後に供奉し候時は、假にも脇へ目をやらず、初中終君に目をはなさずしてをるを簡要の法といたし候、左候へば君の動靜針程の事も見つけずといふ事なし、よりて不慮の事ある時も、我しらず手にあふこと速なる物にて候、此某が一言を必忘れ給ふべからずといひしとなり、是は武の心懸より覺悟したる事にてあるべけれども、聖賢の心にもかなひ侍るべし、翁日比論語鄕黨篇を讀に君在ときは與々如たりとあるを、朱子の註に威儀中適之貌といふて、又張子の説を引て與々不忘向君也とも釋しけり、威儀中適にてよく聞へたる上に張子の説を引るゝは、不忘向君といふに一種の義理もあるにや、いかやうの意味にあらんと思ひしが、其後此事をきゝて、橫渠の説緊要なる事をさとりぬ、かの監物が始終君に目をはなさぬといふは、是則不忘向君に非ずや、君に屬從し君に侍坐する時の第一の意得たるべき事也、監物もとより横渠與々の説を見て其にて心付たるにてもなけれど、其意おのづから相叶へり、奇特なる事といふべし、

新字:惣じて君の御前に伺候し御後に供奉し候時は、仮にも脇へ目をやらず、初中終君に目をはなさずしてをるを簡要の法といたし候、左候へば君の動静針程の事も見つけずといふ事なし、よりて不慮の事ある時も、我しらず手にあふこと速なる物にて候、此某が一言を必忘れ給ふべからずといひしとなり、是は武の心懸より覚悟したる事にてあるべけれども、聖賢の心にもかなひ侍るべし、翁日比論語郷党篇を読に君在ときは与々如たりとあるを、朱子の註に威儀中適之貌といふて、又張子の説を引て与々不忘向君也とも釈しけり、威儀中適にてよく聞へたる上に張子の説を引るゝは、不忘向君といふに一種の義理もあるにや、いかやうの意味にあらんと思ひしが、其後此事をきゝて、横渠の説緊要なる事をさとりぬ、かの監物が始終君に目をはなさぬといふは、是則不忘向君に非ずや、君に属従し君に侍坐する時の第一の意得たるべき事也、監物もとより横渠与々の説を見て其にて心付たるにてもなけれど、其意おのづから相叶へり、奇特なる事といふべし、

書き下し

惣じて君の御前に伺候し御後に供奉し候時は、假にも脇へ目をやらず、初中終君に目をはなさずしてをるを簡要の法といたし候、左候へば君の動靜針程の事も見つけずといふ事なし、よりて不慮の事ある時も、我しらず手にあふこと速なる物にて候、此某が一言を必忘れ給ふべからずといひしとなり、是は武の心懸より覺悟したる事にてあるべけれども、聖賢の心にもかなひ侍るべし、翁日比論語鄕黨篇を讀に君在ときは與々如たりとあるを、朱子の註に威儀中適之貌といふて、又張子の説を引て與々不忘向君也とも釋しけり、威儀中適にてよく聞へたる上に張子の説を引るゝは、不忘向君といふに一種の義理もあるにや、いかやうの意味にあらんと思ひしが、其後此事をきゝて、橫渠の説緊要なる事をさとりぬ、かの監物が始終君に目をはなさぬといふは、是則不忘向君に非ずや、君に屬從し君に侍坐する時の第一の意得たるべき事也、監物もとより横渠與々の説を見て其にて心付たるにてもなけれど、其意おのづから相叶へり、奇特なる事といふべし、

現代語訳

そもそも君の御前に伺候し、御後に供奉するときは、仮にも脇へ目をやらず、始めから終わりまで君から目を離さずにいるのを、簡要の法としています。そうすれば、君の動静は針ほどのことも見逃さないということがありません。そのため、不慮のことがあるときも、我知らず手が出るのが速いものです。この私のひと言を、必ずお忘れなさるな、と言ったということです。これは武の心がけから会得したことでしょうが、聖賢の心にも適っています。翁は日ごろ論語郷党篇を読んで、「君在せば與々如たり」とあるのに、朱子の注が「威儀中適の貌」と言い、さらに張子の説を引いて「與々は君に向かうことを忘れないこと」とも解釈しているのを見て、威儀中適でよく通じるのに張子の説を引かれるのは、不忘向君という言葉に一種の義理があるからだろうか、どのような意味だろうかと思っていました。その後この話を聞いて、横渠の説が肝要であることを悟りました。あの監物が始終君から目を離さないというのは、まさに不忘向君ではありませんか。君に付き従い、君に侍坐するとき、第一に心得るべきことです。監物はもとより横渠の與々の説を見て、それで気づいたわけではありませんが、その意はおのずから叶っています。不思議なことというべきです。

解説

監物が伝授した覚悟は、君の前や後ろに仕えるとき、脇へ目をやらず、始めから終わりまで君から目を離さないことでした。そうすれば、君の動きを針ほどのことも見逃さず、不慮のときにも思わず手が出ると語ります。翁はこれを、論語郷党篇「君在せば與々如たり」の朱子注が引く張子の説、「與々は君に向かうことを忘れないこと」に重ねます。監物は張子の説を知らなくても、その意に自然と適っていたと、不思議がります。「不忘向君」の題は、ここに由来します。現代の組織でも、上司や顧客の状況を常に気にかけ、変化に先んじて動ける人は信頼されます。目の前の相手に注意を向け続けるという基本を、問いかける段です。

この章句が説くこと

不忘向君与々如簡要論語張横渠駿台雑話

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