駿台雑話 / 兵は詭道一
他日繼て諸客來會せしが、前日兵家形勢の說くはしく承り感服し侍る、世に兵法を傳る人も一ならず候得共、大かた上杉武田家の流にて、兵の故實器數には精しく候得共、中〱形勢などの沙汰には及ばず、是にて敵を料り勝ことを制するは、なりがたかるべきやうにかねて思ひ侍りしに、翁の論を承り、いよ〱世に傳るは皆兵の末事にて、兵法とするにたらずとこそ思ひ侍る、但形勢を審にし、智謀をもちゐ候事、仁義の兵にもあるべきにや、聖賢の道にはすこしたがひたるやうに覺へ侍るはいかどといふに、翁きゝて、それはよき不審にて候、兵は聖人の常道にあらず、いはゞ權道ともいふべし、身づから義を制する權道なくしてはにはかに用ひ難き道にて候、とかく兵は別段のことにて、常には用ひざる道と意得給ふべし、さらば古今兵の異同あることを語り侍るべし、戰國以來料敵制勝の術を兵と申候得共、元來甲冑の士を兵といへば、兵は士卒の事にて候、むかし荀況古今の兵を論じて五とす、湯武の仁義、桓文の節制、秦の銳士、魏の勇卒、齊の技擊是なり、王者の兵は、道德に本づき、仁義を崇ぶ故に、三軍心を同うし力を戮せて、君上の難に赴く事、子弟の父兄を衞り、手臂の頭目を捍ぐがごとし、是を仁義の兵といふ、桓文の兵は、信義を守り、律令にしたがふ故に、三軍畏威て一人も節義を踰る事なし、
新字:他日継て諸客来会せしが、前日兵家形勢の説くはしく承り感服し侍る、世に兵法を伝る人も一ならず候得共、大かた上杉武田家の流にて、兵の故実器数には精しく候得共、中〱形勢などの沙汰には及ばず、是にて敵を料り勝ことを制するは、なりがたかるべきやうにかねて思ひ侍りしに、翁の論を承り、いよ〱世に伝るは皆兵の末事にて、兵法とするにたらずとこそ思ひ侍る、但形勢を審にし、智謀をもちゐ候事、仁義の兵にもあるべきにや、聖賢の道にはすこしたがひたるやうに覚へ侍るはいかどといふに、翁きゝて、それはよき不審にて候、兵は聖人の常道にあらず、いはゞ権道ともいふべし、身づから義を制する権道なくしてはにはかに用ひ難き道にて候、とかく兵は別段のことにて、常には用ひざる道と意得給ふべし、さらば古今兵の異同あることを語り侍るべし、戦国以来料敵制勝の術を兵と申候得共、元来甲冑の士を兵といへば、兵は士卒の事にて候、むかし荀況古今の兵を論じて五とす、湯武の仁義、桓文の節制、秦の鋭士、魏の勇卒、斉の技撃是なり、王者の兵は、道徳に本づき、仁義を崇ぶ故に、三軍心を同うし力を戮せて、君上の難に赴く事、子弟の父兄を衛り、手臂の頭目を捍ぐがごとし、是を仁義の兵といふ、桓文の兵は、信義を守り、律令にしたがふ故に、三軍畏威て一人も節義を踰る事なし、
書き下し
他日繼て諸客來會せしが、前日兵家形勢の說くはしく承り感服し侍る、世に兵法を傳る人も一ならず候得共、大かた上杉武田家の流にて、兵の故實器數には精しく候得共、中〱形勢などの沙汰には及ばず、是にて敵を料り勝ことを制するは、なりがたかるべきやうにかねて思ひ侍りしに、翁の論を承り、いよ〱世に傳るは皆兵の末事にて、兵法とするにたらずとこそ思ひ侍る、但形勢を審にし、智謀をもちゐ候事、仁義の兵にもあるべきにや、聖賢の道にはすこしたがひたるやうに覺へ侍るはいかどといふに、翁きゝて、それはよき不審にて候、兵は聖人の常道にあらず、いはゞ權道ともいふべし、身づから義を制する權道なくしてはにはかに用ひ難き道にて候、とかく兵は別段のことにて、常には用ひざる道と意得給ふべし、さらば古今兵の異同あることを語り侍るべし、戰國以來料敵制勝の術を兵と申候得共、元來甲冑の士を兵といへば、兵は士卒の事にて候、むかし荀況古今の兵を論じて五とす、湯武の仁義、桓文の節制、秦の銳士、魏の勇卒、齊の技擊是なり、王者の兵は、道德に本づき、仁義を崇ぶ故に、三軍心を同うし力を戮せて、君上の難に赴く事、子弟の父兄を衞り、手臂の頭目を捍ぐがごとし、是を仁義の兵といふ、桓文の兵は、信義を守り、律令にしたがふ故に、三軍畏威て一人も節義を踰る事なし、
現代語訳
後日、続いて諸客が集まり、こう言いました。「先日、兵家の形勢について詳しくうかがい、感服しました。世に兵法を伝える人も一人ではありませんが、おおかたは上杉・武田家の流れで、兵の故実や器数には詳しくても、形勢などの論には及びません。これで敵をはかり勝ちを制することはできまいと、かねて思っておりましたところ、翁の論をうかがい、いよいよ世に伝わるのはみな兵の末事で、兵法とするに足りないと思います。ただ、形勢を詳しく見極め智謀を用いることは、仁義の兵にもあるものでしょうか。聖賢の道とは少し違うように思いますが、いかがでしょう」。翁は聞いて、こう答えました。それはよい疑問です。兵は聖人の常道ではなく、いわば権道というべきものです。みずから義を制する権道がなければ、にわかには用いがたい道です。とかく兵は別段のことで、常には用いない道と心得なさい。それでは古今の兵の異同を語りましょう。戦国以来、敵をはかり勝ちを制する術を兵と申しますが、もともと甲冑の士を兵と言うのですから、兵は士卒のことです。昔、荀況は古今の兵を論じて五つとしました。湯武の仁義、桓文の節制、秦の鋭士、魏の勇卒、斉の技撃です。王者の兵は道徳に基づき仁義を尊ぶので、三軍は心を一つにし力を合わせて君上の難に赴くこと、子弟が父兄を守り、手や腕が頭や目を防ぐようです。これを仁義の兵といいます。桓公・文公の兵は、信義を守り律令に従うので、三軍は威を畏れ、一人も節義を越える者がありません。
解説
この章句が説くこと
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李衛公問対・卷下然り而して田単燕の囲む所と為る。単一人に命じて神と為し、拝して之を祠る。神言ふ、『燕破るべし』と。単是に於いて火牛を以て出でて燕を撃ち、大いに之を破る。此れ是れ兵家の詭道なり。天官・時日も亦猶ほ此のごとし。」太宗曰く、「田単は神怪に託して燕を破り、太公は蓍亀を焚きて紂を滅ぼす。二事相反す、何ぞや。」靖曰く、「其の機は一なり。或いは逆らひて之を取り、或いは順ひて之を行ふ是れなり。昔太公武王を佐け、牧野に至り、雷雨に遇ひ、旗鼓毀折す。散宜生卜して吉にして後に行かんと欲す。此れ則ち軍中の疑懼に因りて、必ず卜を仮りて以て神に問ふなり。太公以為(おもへ)らく腐草枯骨問ふに足る無しと。且つ臣を以て君を伐つ、豈に再びすべけんや。然れども散宜生の機を前に発し、太公の機を後に成すを観るに、逆順異なると雖も、其の理致は則ち同じ。臣前に所謂術数廃すべからずとは、蓋し其の機を未だ萌さざるに存するなり。其の成功に及んでは、人事に在るのみ。」太宗曰く、「当今の将帥は、唯だ李勣・道宗・薛万徹のみ。道宗の親属を以てするを除くの外、孰か大用に堪へん。」靖曰く、「陛下嘗て言ふ、勣・道宗の兵を用ふるは、大いに勝たず亦大いに敗れず、万徹は若し大いに勝たずんば即ち須(すべから)く大いに敗るべしと。臣愚かにも聖言を思ふに、大勝を求めず亦大敗せざる者は、節制の兵なり。或いは大いに勝ち或いは大いに敗るる者は、幸ひにして功を成す者なり。故に孫武云ふ、
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