駿台雑話 / 兵は詭道二
是を節制の兵といふ、嬴秦の兵は、たゞ賞罰を嚴にし、首級を尙ぶ、嘗て兵に節制あることをしらず、然ども士卒を淬勵して勇敢を唱ふが故に、敵に赴て戰死する事をたのしむ、其强き事魏齊の兵に比するに甚優れり、魏の兵は勇力の卒を募り、齊の兵は技擊の材を選び、一朝かりあつめて敵と鬪しむ、其兵たゞ利を要して、あへて死敵の念なし、是によりていふに、秦の銳士より以下は、やゝ優劣ありといへど、一切に武力をもて取勝のみ、すべて兵法ある事をきかず、兵法は節制の兵より以上にあるべし、仁義の兵といへども、僅に兵といへば形勢智謀をすてぬ事にて候、是を捨てはいかで敵を料り、勝ことを制し候べき、もとより仁義の兵に、後世の兵のごとく詐僞を尙び反間を用るやうのむつかしく巧なる事はあるまじく候へども、たゞ敵と對したる正面におゐて、或は敵の銳氣を挫き、或は敵の惰氣をうち、或は不意にいで、或は險阻に逼る、とかくに敵を制して敵に制せられず、敵をいたして敵にいたされざるやうに謀るは兵の法なり、昔趙宋の時、いづれの戰にか、ある一將城守して敵に聞れしに、炎天の事にて有けり、敵しきりに戰をいどみしかども、堅く城を閉て兵を出さず、一人に冑をきさせて庭中にたゝせ置けるが、時を移して冑火のごとくなりて、其人堪がたかりける時に、敵もさこそ困まんと量りて、急にきりて出ければ、敵一こらへもこらへずして敗軍しけりとなり、
新字:是を節制の兵といふ、嬴秦の兵は、たゞ賞罰を厳にし、首級を尚ぶ、嘗て兵に節制あることをしらず、然ども士卒を淬励して勇敢を唱ふが故に、敵に赴て戦死する事をたのしむ、其強き事魏斉の兵に比するに甚優れり、魏の兵は勇力の卒を募り、斉の兵は技撃の材を選び、一朝かりあつめて敵と闘しむ、其兵たゞ利を要して、あへて死敵の念なし、是によりていふに、秦の鋭士より以下は、やゝ優劣ありといへど、一切に武力をもて取勝のみ、すべて兵法ある事をきかず、兵法は節制の兵より以上にあるべし、仁義の兵といへども、僅に兵といへば形勢智謀をすてぬ事にて候、是を捨てはいかで敵を料り、勝ことを制し候べき、もとより仁義の兵に、後世の兵のごとく詐偽を尚び反間を用るやうのむつかしく巧なる事はあるまじく候へども、たゞ敵と対したる正面におゐて、或は敵の鋭気を挫き、或は敵の惰気をうち、或は不意にいで、或は険阻に逼る、とかくに敵を制して敵に制せられず、敵をいたして敵にいたされざるやうに謀るは兵の法なり、昔趙宋の時、いづれの戦にか、ある一将城守して敵に聞れしに、炎天の事にて有けり、敵しきりに戦をいどみしかども、堅く城を閉て兵を出さず、一人に冑をきさせて庭中にたゝせ置けるが、時を移して冑火のごとくなりて、其人堪がたかりける時に、敵もさこそ困まんと量りて、急にきりて出ければ、敵一こらへもこらへずして敗軍しけりとなり、
書き下し
是を節制の兵といふ、嬴秦の兵は、たゞ賞罰を嚴にし、首級を尙ぶ、嘗て兵に節制あることをしらず、然ども士卒を淬勵して勇敢を唱ふが故に、敵に赴て戰死する事をたのしむ、其强き事魏齊の兵に比するに甚優れり、魏の兵は勇力の卒を募り、齊の兵は技擊の材を選び、一朝かりあつめて敵と鬪しむ、其兵たゞ利を要して、あへて死敵の念なし、是によりていふに、秦の銳士より以下は、やゝ優劣ありといへど、一切に武力をもて取勝のみ、すべて兵法ある事をきかず、兵法は節制の兵より以上にあるべし、仁義の兵といへども、僅に兵といへば形勢智謀をすてぬ事にて候、是を捨てはいかで敵を料り、勝ことを制し候べき、もとより仁義の兵に、後世の兵のごとく詐僞を尙び反間を用るやうのむつかしく巧なる事はあるまじく候へども、たゞ敵と對したる正面におゐて、或は敵の銳氣を挫き、或は敵の惰氣をうち、或は不意にいで、或は險阻に逼る、とかくに敵を制して敵に制せられず、敵をいたして敵にいたされざるやうに謀るは兵の法なり、昔趙宋の時、いづれの戰にか、ある一將城守して敵に聞れしに、炎天の事にて有けり、敵しきりに戰をいどみしかども、堅く城を閉て兵を出さず、一人に冑をきさせて庭中にたゝせ置けるが、時を移して冑火のごとくなりて、其人堪がたかりける時に、敵もさこそ困まんと量りて、急にきりて出ければ、敵一こらへもこらへずして敗軍しけりとなり、
現代語訳
これを節制の兵といいます。秦の兵は、ただ賞罰を厳しくし、首級を尊びました。兵に節制があることを知りませんでしたが、士卒を鍛え励まして勇敢を唱えたので、敵に赴いて戦死することを楽しみました。その強さは魏・斉の兵に比べてはるかに優れています。魏の兵は勇力の卒を募り、斉の兵は技撃の才を選び、一朝かき集めて敵と戦わせます。その兵はただ利を求め、決死の思いはありません。このことから言えば、秦の鋭士より以下はいくらか優劣がありますが、いずれも武力で勝ちを取るだけで、兵法があるとは聞きません。兵法は節制の兵より上にあるでしょう。仁義の兵でも、兵という以上は形勢智謀を捨てないものです。これを捨てては、どうして敵をはかり勝ちを制することができましょうか。もとより仁義の兵には、後世の兵のように詐偽を尊び反間を用いるような、込み入った巧みなことはないでしょうが、ただ敵と相対した正面において、あるいは敵の鋭気を挫き、あるいは怠け心を打ち、あるいは不意に出で、あるいは険しい地に迫るなど、とにかく敵を制して敵に制せられず、敵を思うままに動かして敵に動かされないよう謀るのが、兵の法です。昔、趙宋の時、どの戦いかは忘れましたが、ある一将が城を守っていて敵に攻められました。炎天のことでした。敵はしきりに戦いを挑みましたが、堅く城を閉ざして兵を出しません。一人に冑を着せて庭の中に立たせておき、時が経って冑が火のように熱くなり、その人が耐えがたくなったとき、敵もさぞ困っているだろうと見はからって、急に打って出たところ、敵はひとこらえもできずに敗軍したということです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『駿台雑話』兵は詭道(一)他日繼て諸客來會せしが、前日兵家形勢の說くはしく承り感服し侍る、世に兵法を傳る人も一ならず候得共、大かた上杉武田家の流にて、兵の故實器數には精しく候得共、中〱形勢などの沙汰には及ばず、是にて敵を料り勝ことを制するは、なりがたかるべきやうにかねて思ひ侍りしに、翁の論を承り、いよ〱世に傳るは皆兵の末事にて、兵法とするにたらずとこそ思ひ侍る、但形勢を審にし、智謀をもちゐ候事、仁義の兵にもあるべきにや、聖賢の道にはすこしたがひたるやうに覺へ侍るはいかどといふに、翁きゝて、それはよき不審にて候、兵は聖人の常道にあらず、いはゞ權道ともいふべし、身づから義を制する權道なくしてはにはかに用ひ難き道にて候、とかく兵は別段のことにて、常には用ひざる道と意得給ふべし、さらば古今兵の異同あることを語り侍るべし、戰國以來料敵制勝の術を兵と申候得共、元來甲冑の士を兵といへば、兵は士卒の事にて候、むかし荀況古今の兵を論じて五とす、湯武の仁義、桓文の節制、秦の銳士、魏の勇卒、齊の技擊是なり、王者の兵は、道德に本づき、仁義を崇ぶ故に、三軍心を同うし力を戮せて、君上の難に赴く事、子弟の父兄を衞り、手臂の頭目を捍ぐがごとし、是を仁義の兵といふ、桓文の兵は、信義を守り、律令にしたがふ故に、三軍畏威て一人も節義を踰る事なし、
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『駿台雑話』兵は詭道(三)此事を朱子兵を論ずるとていひ出で、兵はかくあるべき事なりと仰られし、語類に見えしと覺へ侍る、されば孔子も三軍を行はゞ、臨事而懼好謀而成者にくみせんとの給へり、異國の事は遠ければ姑くさし置、我朝武家の世になりしより、天下攻伐をつとめて、戰爭やむ事なかりし、建武以來宮方武家がたとて、諸國にたて分れて、日夜合戰に及しかども、いづれも諸國假合の卒をあつめて、衆の多寡をくらべ兵の强弱を爭ひ、なにの成策もなく、兩軍よせ合せて相撲角力の塲のごとく、一時に勝負を決する外はなし、或は勝時もあり或は負る時もあり、勝も負も一旦の事にて、むなしく士卒を多くころしてやみぬ、なにの兵法か論ずべき、いはゆる齊の技擊魏の勇卒ともいふべし、足利氏の季世に至て、英雄蠭起し、四方に割據して、兵を磨士を養ひ、日ごろ附循して用ひしかば、其兵勇銳にして百戰して挫けず、秦の銳士ともいふべきにや、中にも武田上杉などの兵は號令脩り、約束明かに、師出るに律をもてすれば、桓文の節制にも近かるべし、されば本朝の兵は、こゝに至て始て兵法をも論ずべかめり、然れども當代兵家者流と號する人、多くはかの兵律を傳るのみにて、兵法のもとは、敵を料り勝ことを制するの謀にありといふ事をしらず、其中ことに理にくらき人は、兵に荷擔して、國家を治るの道も是に外ならずといふめる、
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『駿台雑話』孫臏韓信が兵法(二)これ趙を救ひながら、趙を救ふとは見せずして、魏を攻る形をもてしめし、虛に乘ずる急迫の勢をもて逼りしかば、魏師などか趙をすてヽ、歸らざる事を得べき、これによりて見れば、前にいひしごとく形にはめきをひにのすれば、わが士卒のみにもあらず、敵を制する事も掌握にあるがごとし、孫臏が魏を伐て趙の國をとくにて、その形勢に熟するをしるべし、さればこそ孫臏も形格勢禁ずれば、をのづから解ることをすといへり、形にはむれば、敵必形にさヽへられ、勢にのすれば、敵必勢にせかれて自由を得ぬ程に、をのづから我計中に墮るぞかし、後十五年ありて、魏より韓を攻し時、韓告急於齊しかば、田忌又將兵として、前に趙を救しごとくすぐに大梁に赴きけり、魏將龐涓是を聞て韓を捨て歸る程に、齊師とくに行過て先にあり、孫臏田忌にいふやう、三晉の兵素より勇悍にして齊を怯とす、善戰者は敵の勢によりて、その勢のまヽに態と利導して、己が思ふ圖に引付るぞかし、兵法に百里而趣利者蹶上將といへり、さらばいよいよ魏を驕らしめて、百里にして利に趣かしめんとて、齊の師魏の境に入て、始て一舍する日は十萬竈をなし、
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『駿台雑話』兵法の大事(四)安流する水の水先き弱きは石をたゞよはすことをきかず、鷹飛て鳥の翅をとりひしぐに至るは、禽にせまる折めのきびしければ也、ながのしする鷹の羽づかひゆるきが毀折する事をきかず、よりて善戰者は其勢必險しく其節必短し、一足も所向をしりぞけざる、一毫も軍法を敗ればきる、かく險しからねば其勢弛ぶものなり、日を刻して急にすヽみて兵を駐めず、戰勝ては早く引て長追せず、かく短からぬは其節のぶるもの也、其勢弛び其節延れば、士卒倦怠て、必勝利を失ふべし、されば勢は如彍弩とは、必はりつめて少しも手をゆるさず、節如發機とは、忽急にはなちてしばしもゆとりせず、この故に良將の下に怯卒なし、愚將の下に强兵なし、孫子に是を論じて、善戰者求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其用人也如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行、故善戰人之勢、如轉圓石於千仭之山者勢也、孫武が此語、一字一句も兵の肯綮にあたらざるはなし、孫武は誠に兵家の祖なるかな、
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荀子・議兵篇故に斉の技撃は、以て魏氏の武卒に遇うべからず。魏氏の武卒は、以て秦の鋭士に遇うべからず。秦の鋭士は、以て桓文の節制に当たるべからず。桓文の節制は、以て湯武の仁義に敵すべからず。之に遇う者有らば、焦熬を以て石に投ずるが若し。是の数国を兼ぬる者は、皆な賞を干め利を蹈むの兵なり、傭徒鬻売の道なり、未だ上を貴び制に安んじ節を綦むるの理有らざるなり。諸侯に能く之を微妙にするに節を以てする者有らば、則ち作ちて之を兼殆せんのみ。故に近きを招き選を募り、埶詐を隆くし、功利を尚ぶは、是れ之を漸すなり。礼義教化は、是れ之を斉しくするなり。故に詐を以て詐に遇わば、猶お巧拙有り。詐を以て斉に遇わば、之を辟うれば猶お錐刀を以て太山を堕とすがごとし。天下の愚人に非ざれば敢えて試みる莫し。故に王者の兵は試みられず。湯武の桀紂を誅するや、拱挹指麾して、強暴の国も趨り使われざる莫し。桀紂を誅すること独夫を誅するが若し。故に泰誓に曰く、独夫紂、と。此れ之を謂うなり。故に兵大いに斉しければ則ち天下を制し、小しく斉しければ則ち鄰敵を治む。若し夫れ近きを招き選を募り、埶詐を隆くし、功利を尚ぶの兵は、則ち勝つと勝たざると常無く、代わる代わる翕まり代わる代わる張り、代わる代わる存し代わる代わる亡び、相い雌雄を為すのみ。夫れ是れを之れ盗兵と謂う。君子は由らざるなり。
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『駿台雑話』孫臏韓信が兵法(六)萬全不敗の形也、敵之可勝は敵にあり、必勝不失の勢なり、其機を形にこめ其戰を勢に決す、其機を形にこむるに當ては、淵のごとくふかく、龍のごとく潛まる、いはゆる藏於九地之下もの也、其戰を勢に決するに當ては、飈のごとくをこり、雷のごとく擊、いはゆる動於九天之上もの也、忽かくれ忽あらはれ、奇正相生じ、虛實相形る、環の無端がごとし、兵術の妙、こヽに至てもはや加ふべき事なし、但其簡要をいはゞ、兵は神速なるにあり、もし神速ならねば、其計策多くは敵にはかられ、又は長陣すれば、將軍も退屈する程に、軍形兵勢もいづれの處にか用べき、孫子にも兵聞拙速未觀巧之久也といへり、善將兵者は、たヾ形勢に明かにして、其餘勝敗の數にあづからぬ事は多くは不調なれども、反て是をもて勝利を得る事速也、是を拙而速也といふ、兵家の貴ぶ所也、若勝敗の數に暗くして、たヾ屯營を周備にし、號令を煩瀆にして、すぎて持久の計をすれば、軍法調熟して、すきまもなく見ゆれども、兵久しければ變生ずる程に、はては敗軍に及ぶぞかし、是を巧而久しといふ、兵家の忌所也、況や兵久してやまねば、其間多く財を糜し人を殺し、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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