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李衛公問対 / 卷下

然而田單為燕所圍,單命一人為神,拜而祠之,神言:『燕可破。』,單於是以火牛出擊燕,大破之。此是兵家詭道,天官、時日亦猶此也。」太宗曰:「田單託神怪而破燕,太公焚蓍龜而滅紂。二事相反,何也?」靖曰:「其機一也,或逆而取之,或順而行之是也。昔太公佐武王,至牧野,遇雷雨,旗鼓毀折,散宜生欲卜吉而後行,此則因軍中疑懼,必假卜以問神焉。太公以為腐草枯骨無足問。且以臣伐君,豈可再乎?然觀散宜生發機於前,太公成機於後,逆順雖異,其理致則同。臣前所謂術數不可廢者,蓋存其機於未萌也。及其成功,在人事而已矣。」太宗曰:「當今將帥,唯李勣、道宗、薛萬徹。除道宗以親屬外,孰堪大用?」靖曰:「陛下嘗言勣、道宗用兵,不大勝亦不大敗;萬徹若不大勝即須大敗。臣愚思聖言,不求大勝亦不大敗者,節制之兵也;或大勝或大敗者,幸而成功者也。故孫武云:

新字:然而田単為燕所囲,単命一人為神,拝而祠之,神言:『燕可破。』,単於是以火牛出撃燕,大破之。此是兵家詭道,天官、時日亦猶此也。」太宗曰:「田単託神怪而破燕,太公焚蓍亀而滅紂。二事相反,何也?」靖曰:「其機一也,或逆而取之,或順而行之是也。昔太公佐武王,至牧野,遇雷雨,旗鼓毀折,散宜生欲卜吉而後行,此則因軍中疑懼,必仮卜以問神焉。太公以為腐草枯骨無足問。且以臣伐君,豈可再乎?然観散宜生発機於前,太公成機於後,逆順雖異,其理致則同。臣前所謂術数不可廃者,蓋存其機於未萌也。及其成功,在人事而已矣。」太宗曰:「当今将帥,唯李勣、道宗、薛万徹。除道宗以親属外,孰堪大用?」靖曰:「陛下嘗言勣、道宗用兵,不大勝亦不大敗;万徹若不大勝即須大敗。臣愚思聖言,不求大勝亦不大敗者,節制之兵也;或大勝或大敗者,幸而成功者也。故孫武云:

書き下し

然り而して田単燕の囲む所と為る。単一人に命じて神と為し、拝して之を祠る。神言ふ、『燕破るべし』と。単是に於いて火牛を以て出でて燕を撃ち、大いに之を破る。此れ是れ兵家の詭道なり。天官・時日も亦猶ほ此のごとし。」太宗曰く、「田単は神怪に託して燕を破り、太公は蓍亀を焚きて紂を滅ぼす。二事相反す、何ぞや。」靖曰く、「其の機は一なり。或いは逆らひて之を取り、或いは順ひて之を行ふ是れなり。昔太公武王を佐け、牧野に至り、雷雨に遇ひ、旗鼓毀折す。散宜生卜して吉にして後に行かんと欲す。此れ則ち軍中の疑懼に因りて、必ず卜を仮りて以て神に問ふなり。太公以為(おもへ)らく腐草枯骨問ふに足る無しと。且つ臣を以て君を伐つ、豈に再びすべけんや。然れども散宜生の機を前に発し、太公の機を後に成すを観るに、逆順異なると雖も、其の理致は則ち同じ。臣前に所謂術数廃すべからずとは、蓋し其の機を未だ萌さざるに存するなり。其の成功に及んでは、人事に在るのみ。」太宗曰く、「当今の将帥は、唯だ李勣・道宗・薛万徹のみ。道宗の親属を以てするを除くの外、孰か大用に堪へん。」靖曰く、「陛下嘗て言ふ、勣・道宗の兵を用ふるは、大いに勝たず亦大いに敗れず、万徹は若し大いに勝たずんば即ち須(すべから)く大いに敗るべしと。臣愚かにも聖言を思ふに、大勝を求めず亦大敗せざる者は、節制の兵なり。或いは大いに勝ち或いは大いに敗るる者は、幸ひにして功を成す者なり。故に孫武云ふ、

現代語訳

(李靖が続けた。)しかしながら、田単(戦国時代の斉の将軍)が燕に包囲されたとき、田単は一人の男に神の役をさせ、拝んで祀った。神は『燕は破ることができる』と言った。田単はそこで火を付けた牛を放って出撃し、燕を大いに破った。これが兵家の詭道である。天の星の配置や時日の吉凶もまた、これと同じである。」太宗は言った。「田単は神怪にかこつけて燕を破り、太公(太公望呂尚)は占いの蓍(めどぎ)や亀甲を焼き捨てて紂を滅ぼした。二つの事は相反するが、なぜか。」李靖は言った。「その機は一つである。あるいは逆らって取り、あるいは従って行う、というだけである。昔、太公が武王(周の武王)を補佐して牧野に至ったとき、雷雨に遭い、旗や太鼓が壊れ折れた。散宜生(周の重臣)は占って吉と出てから進もうとした。これは軍中の疑いや恐れに対して、必ず占いを借りて神に問おうとしたのである。太公は、腐った草や枯れた骨に問うまでもないと考えた。しかも臣下の身で君主を討つのに、どうして二度も試みられようか。しかし散宜生が前で機を発し、太公が後で機を成したのを見れば、逆らうと従うとの違いはあっても、その道理は同じである。臣が先に術数は廃してはならないと言ったのは、思うに機をまだ兆さないうちに備えておくということである。その成功に至っては、人の事にかかっているだけである。」太宗は言った。「今の将帥は、ただ李勣・李道宗(唐の宗室の将)・薛万徹(唐の猛将)だけである。李道宗は親族なので除くとして、他に誰が大任に堪えるか。」李靖は言った。「陛下はかつて、李勣と李道宗の用兵は大勝もしないが大敗もしない、薛万徹は大勝しなければ必ず大敗する、と言われた。臣が愚かながら陛下のお言葉を考えるに、大勝を求めず大敗もしないのは、節制のある兵である。大勝したり大敗したりするのは、幸運によって功を成す者である。だから孫武(孫子)はこう言う。

解説

李靖は、陰陽術数は吉凶として信ずるに足らないが、田単が神託を演出して火牛の計で燕を破ったように、兵を奮い立たせる詭道としては使えると言う。太宗が、太公は占いの道具を焼き捨てて紂を討ったではないかと問うと、李靖は、占いに頼る散宜生と退ける太公は逆の方向から同じ機、すなわち兵の心を動かしたと答える。術数を残すのは機の芽を備えておくためで、成否は結局人事にあるという結論である。後半は将帥の評に移り、大勝も大敗もしない節制の兵を、大勝か大敗かの者より上に置く。安定して負けない仕事ぶりを評価する視点は、今日の人事評価でも見落とされがちである。

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