駿台雑話 / 孫臏韓信が兵法五
一足跡へひけば水に逐はめられて死する故に、おのづから樣樣にかせぎて殊死して戰はざる事を得ず、趙軍漢の軍の死地に陷るを見ては、必なにの用意もなく輕々しくすヽみたヽかふべし、我死戰の衆をもて輕進の兵を擊なば、必一戰に勝利を得べしとはかりしが、はたしてその謀はづれざりけり、然れども水に背て陳せしは、當時諸將も口には諾せしかども心には服せず、敵もこれを望見て大に笑しぞかし、これ敵もみかたも形にはめられ勢にのせられて、みづからおぼへず、戰勝ても其勝ける故をしらざりけらし、その外伴りて旗鼓を捨て走て、敵をして空壁逐利しめ、趙旗を拔て漢の赤幟をたてヽ、趙軍の氣を奪ひしなど、いづれも敵を形におとして、自然の勢をもて騙しかば、みかたはいよ〱勇戰し、敵はみづから死を救ふにいとまあらざりけり、孫臏が後、兵の形勢に熟し合戰に長じたるは韓信ならし、むべ自から將兵の能を論じて、多ければ多くして益善とはいひけり、げにさもと覺べし、然るに孫臏韓信が兵法をもて孫武が書に考るに、符節を合せたるがごとし、こヽをもて兵法はいよ〱形勢にある事をしるべし、孫子にいへらずや、先爲不可勝以待敵之可勝とは、先不可勝は我にあり、
新字:一足跡へひけば水に逐はめられて死する故に、おのづから様様にかせぎて殊死して戦はざる事を得ず、趙軍漢の軍の死地に陥るを見ては、必なにの用意もなく軽々しくすヽみたヽかふべし、我死戦の衆をもて軽進の兵を撃なば、必一戦に勝利を得べしとはかりしが、はたしてその謀はづれざりけり、然れども水に背て陳せしは、当時諸将も口には諾せしかども心には服せず、敵もこれを望見て大に笑しぞかし、これ敵もみかたも形にはめられ勢にのせられて、みづからおぼへず、戦勝ても其勝ける故をしらざりけらし、その外伴りて旗鼓を捨て走て、敵をして空壁逐利しめ、趙旗を抜て漢の赤幟をたてヽ、趙軍の気を奪ひしなど、いづれも敵を形におとして、自然の勢をもて騙しかば、みかたはいよ〱勇戦し、敵はみづから死を救ふにいとまあらざりけり、孫臏が後、兵の形勢に熟し合戦に長じたるは韓信ならし、むべ自から将兵の能を論じて、多ければ多くして益善とはいひけり、げにさもと覚べし、然るに孫臏韓信が兵法をもて孫武が書に考るに、符節を合せたるがごとし、こヽをもて兵法はいよ〱形勢にある事をしるべし、孫子にいへらずや、先為不可勝以待敵之可勝とは、先不可勝は我にあり、
書き下し
一足跡へひけば水に逐はめられて死する故に、おのづから樣樣にかせぎて殊死して戰はざる事を得ず、趙軍漢の軍の死地に陷るを見ては、必なにの用意もなく輕々しくすヽみたヽかふべし、我死戰の衆をもて輕進の兵を擊なば、必一戰に勝利を得べしとはかりしが、はたしてその謀はづれざりけり、然れども水に背て陳せしは、當時諸將も口には諾せしかども心には服せず、敵もこれを望見て大に笑しぞかし、これ敵もみかたも形にはめられ勢にのせられて、みづからおぼへず、戰勝ても其勝ける故をしらざりけらし、その外伴りて旗鼓を捨て走て、敵をして空壁逐利しめ、趙旗を拔て漢の赤幟をたてヽ、趙軍の氣を奪ひしなど、いづれも敵を形におとして、自然の勢をもて騙しかば、みかたはいよ〱勇戰し、敵はみづから死を救ふにいとまあらざりけり、孫臏が後、兵の形勢に熟し合戰に長じたるは韓信ならし、むべ自から將兵の能を論じて、多ければ多くして益善とはいひけり、げにさもと覺べし、然るに孫臏韓信が兵法をもて孫武が書に考るに、符節を合せたるがごとし、こヽをもて兵法はいよ〱形勢にある事をしるべし、孫子にいへらずや、先爲不可勝以待敵之可勝とは、先不可勝は我にあり、
現代語訳
一足でも後ろに引けば水に追いつめられて死ぬので、自然とさまざまに励んで、必死に戦わざるを得ません。趙軍は漢の軍が死地に陥ったのを見て、必ずなんの用意もなく軽々しく進んで戦うだろう、こちらの必死の兵で軽々しく進む兵を撃てば、必ず一戦で勝利を得られるだろう、と韓信ははかったのですが、はたしてその謀は外れませんでした。しかし水を背に陣を張ることは、その当時、諸将も口では承知したものの心では納得せず、敵もこれを望み見て大いに笑ったのでした。これは敵も味方も形にはめられ勢いに乗せられて、自分では気づかず、戦いに勝ってもその勝った理由を知らなかったのでしょう。そのほか、偽って旗や鼓を捨てて逃げ、敵に陣営を空にして利を追わせ、趙の旗を抜いて漢の赤い旗を立て、趙軍の気を奪ったなど、いずれも敵を形に落とし、自然の勢いで欺いたので、味方はいよいよ勇んで戦い、敵は自分の死を救うひまさえなかったのです。孫臏の後、兵の形勢に熟し、合戦に長じたのは韓信でしょう。なるほど自ら将兵の才を論じて、多ければ多いほど益々よいといったのも、もっともだと思われます。ところで孫臏と韓信の兵法を孫武の書に照らして考えると、割符を合わせたようにぴったりと合います。これで、兵法はいよいよ形勢にあることが分かります。孫子にいうではありませんか。「まず勝つべからざることを為して、もって敵の勝つべきを待つ」と。まず勝つべからざることは、我にあり、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・九地篇疾く戦えば則ち存し、疾く戦わざれば則ち亡ぶ者を、死地と為す。
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孫子・地形篇故に戦道必ず勝たば、主戦う無かれと曰うとも、必ず戦うも可なり。戦道勝たずんば、主必ず戦えと曰うとも、戦う無きも可なり。是の故に進みて名を求めず、退きて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて、而して利の主に合うは、国の宝なり。
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老子・第50章生に出でて死に入る。生の徒は十に三有り、死の徒は十に三有り、人の生きて之を死地に動かすも亦た十に三有り。夫れ何の故ぞ。其の生を生とすることの厚きを以てなり。蓋し聞く、善く生を摂する者は、陸行して兕虎に遇わず、軍に入りて甲兵を被らず。兕は其の角を投ずる所無く、虎は其の爪を措く所無く、兵は其の刃を容るる所無し。夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。
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『長短経』地形疾く戦えば則ち存し、疾からざれば則ち亡ぶ者を、死地と為す〔前に高山有り、後ろに大水有り。進めば則ち得ず、退けば復た碍有り、又た糧乏絶す。故に死地と為す。死地に在る者は、当に士卒の尚お飽き、強志殊死なるに及ぶべし。故に以て俱に死すべし。故に経に曰く、死地は、吾将に之に示すに活きざるを以てせんとす、と〕。
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『長短経』利害此れ利害の変なり。故に曰く「之を死地に陥れて而る後に生き、害に雑えて患い解くべし」と。此の謂いなり。
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『長短経』利害諸将、首虜を殺し、留まりて賀し、因りて信に問いて曰く「兵法に『山陵を右背にし、水沢を前左にす』と。今者、将軍は臣等をして反りて背水の陣をなさしめ、曰く『趙を破りて会食せん』と。時に臣等服せず。然れども竟に以て勝つ。此れ何の術ぞや」と。信曰く「此れ兵法の中に在り、顧だ諸君察せざるのみ。兵法に曰わずや『之を死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に置きて而る後に存す』と〔夫れ死地に処るは、力均しく勢い敵するを謂う。死地を以て勝ちを取るは可なり。若し至弱を以て至強に当たり、弱兵を死地に投ずれば、自ら陥ることを貽すなり。故に孫子曰く「兵恐るれば、救うべからず」と。又た経に曰く「大衆害に陥りて、然る後に能く勝敗を為す」と。是に知る、死地の機は、必ず大衆を用うるなり〕。且つ信は能く素より士大夫を撫循するに非ず。所謂市人を駆りて戦わしむるなり。其の勢い之を死地に置きて、人人をして自ら戦いを為さしむるに非ずんば、今之に生地を与えば、皆走らん。寧んぞ尚お得て之を用うべけんや」と。諸将曰く「善し。及ぶ所に非ざるなり」と。
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