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駿台雑話 / 孫臏韓信が兵法四

是は小人の戒とすべし、ながく世に、たてじとてこそ、あしきらめ、足はたヾねど、首はとりけり、是は翁がたはごとなり、足のかはりに首を得たれば、孫臏はかへとくしたりといふべし、しかるに竈を減じてみせ、樹をしらけて見せける、ひとつとして敵を形にはめざるはなし、竈を減じて見すれば、敵必道を信じてゆき、樹をしらけて見すれば敵必火を擧て見る、火を擧れば萬弩倶に發す、萬弩倶に發すれば敵自刎て死す、一として敵の勢にのせざるはなし、よく敵を料りて兵の形勢に熟せずんば、いかでかくあるべき、孫武が後一人といふべし、炎漢の初に至て、高祖の諸將の中に、韓信こそは兵術に精しく、合戰の上手にてありし、其趙王歇を攻し時、背水の陳にて勝しは、今にあまねく世に稱する事なり、兵法に右倍山陵前左水澤といへるは軍形の常なり、然れども兵に常勢なし、敵に因て變化すれば、軍にも常形なかるべし、此時趙兵二十萬と號す、漢兵數萬にたらず、其上皆あつまり勢にて決戰の心なし、韓信これによりて水にそむきて陳せしめたり、水に背きて陳するは死地なり、

新字:是は小人の戒とすべし、ながく世に、たてじとてこそ、あしきらめ、足はたヾねど、首はとりけり、是は翁がたはごとなり、足のかはりに首を得たれば、孫臏はかへとくしたりといふべし、しかるに竈を減じてみせ、樹をしらけて見せける、ひとつとして敵を形にはめざるはなし、竈を減じて見すれば、敵必道を信じてゆき、樹をしらけて見すれば敵必火を挙て見る、火を挙れば万弩倶に発す、万弩倶に発すれば敵自刎て死す、一として敵の勢にのせざるはなし、よく敵を料りて兵の形勢に熟せずんば、いかでかくあるべき、孫武が後一人といふべし、炎漢の初に至て、高祖の諸将の中に、韓信こそは兵術に精しく、合戦の上手にてありし、其趙王歇を攻し時、背水の陳にて勝しは、今にあまねく世に称する事なり、兵法に右倍山陵前左水沢といへるは軍形の常なり、然れども兵に常勢なし、敵に因て変化すれば、軍にも常形なかるべし、此時趙兵二十万と号す、漢兵数万にたらず、其上皆あつまり勢にて決戦の心なし、韓信これによりて水にそむきて陳せしめたり、水に背きて陳するは死地なり、

書き下し

是は小人の戒とすべし、ながく世に、たてじとてこそ、あしきらめ、足はたヾねど、首はとりけり、是は翁がたはごとなり、足のかはりに首を得たれば、孫臏はかへとくしたりといふべし、しかるに竈を減じてみせ、樹をしらけて見せける、ひとつとして敵を形にはめざるはなし、竈を減じて見すれば、敵必道を信じてゆき、樹をしらけて見すれば敵必火を擧て見る、火を擧れば萬弩倶に發す、萬弩倶に發すれば敵自刎て死す、一として敵の勢にのせざるはなし、よく敵を料りて兵の形勢に熟せずんば、いかでかくあるべき、孫武が後一人といふべし、炎漢の初に至て、高祖の諸將の中に、韓信こそは兵術に精しく、合戰の上手にてありし、其趙王歇を攻し時、背水の陳にて勝しは、今にあまねく世に稱する事なり、兵法に右倍山陵前左水澤といへるは軍形の常なり、然れども兵に常勢なし、敵に因て變化すれば、軍にも常形なかるべし、此時趙兵二十萬と號す、漢兵數萬にたらず、其上皆あつまり勢にて決戰の心なし、韓信これによりて水にそむきて陳せしめたり、水に背きて陳するは死地なり、

現代語訳

これは小人への戒めとすべきです。「ながく世に、たてじとてこそ、あしきらめ、足はたたねど、首はとりけり」と、これは翁のたわむれです。足の代わりに首を得たのですから、孫臏は得をしたというべきでしょう。それにしても、竈を減らして見せ、木を白く削って見せたのは、一つとして敵を形にはめないものはありません。竈を減らして見せれば、敵は必ず道を信じて進み、木を白く削って見せれば、敵は必ず火を挙げて見る。火を挙げれば万の弩が一斉に発し、万の弩が一斉に発すれば敵は自ら首をはねて死ぬ。一つとして敵の勢いに乗せないものはありません。よく敵をはかって兵の形勢に熟していなければ、どうしてこのようにできましょう。孫武の後の一人というべきです。漢の初めに至って、高祖の諸将の中で、韓信は兵術に詳しく、合戦の上手でした。その趙王歇を攻めた時、背水の陣で勝ったのは、今も広く世に称されることです。兵法に「右に山陵を背にし、前と左に水沢を置く」というのは軍形の常です。しかし兵に常の勢いはなく、敵によって変化すれば、軍にも常の形はないはずです。この時、趙の兵は二十万と号し、漢の兵は数万にも足りませんでした。そのうえ寄せ集めの軍勢で決戦の心もありません。韓信はこれによって、水を背にして陣を張らせました。水に背して陣を張るのは死地です。

解説

この段で翁は、龐涓の最期を小人の戒めとしながら、「足のかわりに首を得た」と戯れの狂歌まで添えます。軽い調子で語りつつ、孫臏の策が一つ残らず敵を形にはめ、勢いに乗せたと総括します。続いて話は韓信に移り、背水の陣が登場します。翁は「兵に常勢なし、敵に因て変化すれば軍にも常形なかるべし」と述べ、定石を知りながら定石に縛られない柔軟さを強調します。趙軍が二十万、漢軍が数万に満たず、しかも寄せ集めの軍勢だったことが、本文で語られる状況です。現代でも、型を知ったうえで状況に応じて破る判断が管理職には求められます。この段は文の途中で終わっており、背水の陣の説明は次の段に続きます。

この章句が説くこと

背水の陣韓信常形定石柔軟駿台雑話

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