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駿台雑話 / 天人相勝三

しかれば國家の上にて見るに、大きなる所帶はかくのごとく事の實否俄にはしれ難きぞかし、いはむや天は四海國土を偏覆し、幾億萬ともなき人を引受て、いはゞ莫大の所帶なり、およそ人のする事、善となく惡となく限もなく入亂るれば、善惡の報いかでか急に極まるべき、されば前後不同ありて、治定せぬ事のやうに見ゆる程に、小人の險を行ふて幸をもとむる事もあやしむにたらず、しかるに天にも終には勘定の極まる時あり、是を天定まるといふなり、こゝに至て天の聰明は、天下の名算の人といふとも及まじければ、善惡の報、輕重大小すこしもたがふ事あるべからず、むかしよりもろこしやまとゝもに、世の英雄豪傑、多くは己が武勇智謀に誇りて、天のいまだ定まらざるを見て、天道は人力をもて自由になるものとおもひつゝ、猛威を逞うし、詐力を恣にして、一旦は志を得るに似たりといへども、程なく天定まりぬれば、忽に天罰にあたりて、身うせ家滅ぶること、古今歷々として、そのためしすくなからず、されば人として天に勝は、禍のもとゝしるべし、小人は眼前の利を見て、淺はかにこれをよろこび、君子は未然の害を鑑て、ふかくこれを懼る、詩にいへらずや、畏天之威于時保之と、誠につねにおそれて保つべき事なり、

新字:しかれば国家の上にて見るに、大きなる所帯はかくのごとく事の実否俄にはしれ難きぞかし、いはむや天は四海国土を偏覆し、幾億万ともなき人を引受て、いはゞ莫大の所帯なり、およそ人のする事、善となく悪となく限もなく入乱るれば、善悪の報いかでか急に極まるべき、されば前後不同ありて、治定せぬ事のやうに見ゆる程に、小人の険を行ふて幸をもとむる事もあやしむにたらず、しかるに天にも終には勘定の極まる時あり、是を天定まるといふなり、こゝに至て天の聰明は、天下の名算の人といふとも及まじければ、善悪の報、軽重大小すこしもたがふ事あるべからず、むかしよりもろこしやまとゝもに、世の英雄豪傑、多くは己が武勇智謀に誇りて、天のいまだ定まらざるを見て、天道は人力をもて自由になるものとおもひつゝ、猛威を逞うし、詐力を恣にして、一旦は志を得るに似たりといへども、程なく天定まりぬれば、忽に天罰にあたりて、身うせ家滅ぶること、古今歴々として、そのためしすくなからず、されば人として天に勝は、禍のもとゝしるべし、小人は眼前の利を見て、浅はかにこれをよろこび、君子は未然の害を鑑て、ふかくこれを懼る、詩にいへらずや、畏天之威于時保之と、誠につねにおそれて保つべき事なり、

書き下し

しかれば國家の上にて見るに、大きなる所帶はかくのごとく事の實否俄にはしれ難きぞかし、いはむや天は四海國土を偏覆し、幾億萬ともなき人を引受て、いはゞ莫大の所帶なり、およそ人のする事、善となく惡となく限もなく入亂るれば、善惡の報いかでか急に極まるべき、されば前後不同ありて、治定せぬ事のやうに見ゆる程に、小人の險を行ふて幸をもとむる事もあやしむにたらず、しかるに天にも終には勘定の極まる時あり、是を天定まるといふなり、こゝに至て天の聰明は、天下の名算の人といふとも及まじければ、善惡の報、輕重大小すこしもたがふ事あるべからず、むかしよりもろこしやまとゝもに、世の英雄豪傑、多くは己が武勇智謀に誇りて、天のいまだ定まらざるを見て、天道は人力をもて自由になるものとおもひつゝ、猛威を逞うし、詐力を恣にして、一旦は志を得るに似たりといへども、程なく天定まりぬれば、忽に天罰にあたりて、身うせ家滅ぶること、古今歷々として、そのためしすくなからず、されば人として天に勝は、禍のもとゝしるべし、小人は眼前の利を見て、淺はかにこれをよろこび、君子は未然の害を鑑て、ふかくこれを懼る、詩にいへらずや、畏天之威于時保之と、誠につねにおそれて保つべき事なり、

現代語訳

そうであれば、国家について見ても、大きな所帯では、このように事の実否が俄かには知れがたいものです。まして天は四海の国土をあまねく覆い、幾億万ともしれない人を引き受けている、いわば莫大な所帯です。およそ人のすることは、善となく悪となく限りなく入り乱れていますから、善悪の報いがどうして急に極まるでしょうか。ですから、前後不同があって、定まらないことのように見えるので、小人が険悪なことを行って幸いを求めることも、怪しむには足りません。ところが、天にもついには勘定の極まる時があります。これを「天が定まる」と言います。ここに至っては、天の聡明は、天下の名算の人でも及ぶことはできませんので、善悪の報いは、軽重大小、少しもたがうことがありません。昔から唐土でも日本でも、世の英雄豪傑は、多くは自分の武勇や智謀に誇って、天がまだ定まらないのを見て、天道は人力で自由になるものと思い、猛威をほしいままにし、詐力を思うがままにして、一旦は志を得たようでも、ほどなく天が定まれば、たちまち天罰に当たり、身は失せ家は滅びること、古今に歴々として、その例は少なくありません。ですから、人として天に勝つのは、禍のもとと知るべきです。小人は目の前の利を見て浅はかに喜び、君子は未然の害を鑑みて深く恐れます。詩に言うではありませんか。「天の威を畏れて、ここにこれを保つ」と。まことに、常に畏れて保つべきことです。

解説

翁は、国家の大所帯でさえ事の実否が急には分からないのだから、天という莫大な所帯ではなおさらだと続けます。人の善悪が限りなく入り乱れるので、報いが前後して見えるのは当然で、小人が悪で幸いを得ても不思議ではないと述べます。それでも天には勘定の極まる時があり、これを「天定まる」と呼びます。古今の英雄豪傑が武勇智謀に誇り、天道を人力で動かせると思って滅んだ例が多いとして、人が天に勝つことは禍の元だと結びます。末尾の詩句は、天の威を畏れることで身を保つという趣旨で引かれています。短期の勝ちに酔う経営判断を戒め、見えない将来の害を見通す姿勢を促す段です。

この章句が説くこと

天定天道英雄豪傑畏天君子駿台雑話

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