駿台雑話 / 天人相勝二
責て遺臭百世こそ積惡のしるしともいはん、是をもて見給へ、天の顏回に報ずること果して薄しとせんか、盜跖に報ずること果して厚しとせんか、その上顏回盜跖のごとく善惡の報おそきは稀なり、其外世俗を見るに、善惡の報端的なるもあり、又しばらくおそきもあれども、其身に及ばぬはなし、近きころ國家賊吏多くして前後罪にあたるがごとし、はやくあらはるゝもあり、おそくしるゝもあり、又幸ひにして一生のがれて死後にしるゝもあり、いかゞしてかくはあるぞといへば、郡縣の租稅金穀の出納、年を積て限りなく稠疊する故に、その交互紛糾の間、金銀の出入たがひありても、大かたはしれ難き程に、小人は利欲にさときものなれば、それをよき機會と見て、色〱智を廻しつゝ、ひそかに官財を私して、妻子をさかやかし、奢侈をきはむれども、その跡見へぬ程は、恬然として自から計を得たりとす、其内あらはれて罪に行はるゝもあれども、それは其人の才覺たらぬ故也と、反て己が智に自慢して、いさゝか懲戒むる心なし、されど才覺をもてする事の、いつかたがはぬことやある、一旦はからざるに其端見へて、糺問におよぶ時にこそ、分釐も勘定に漏ることなければ、智も計も施す事なく、その姦利忽にあらはれて、さきにしばらくのがるゝと見へしも、末の露もとの雫にて、彼も是も終には免るるはなし、
新字:責て遺臭百世こそ積悪のしるしともいはん、是をもて見給へ、天の顔回に報ずること果して薄しとせんか、盗跖に報ずること果して厚しとせんか、その上顔回盗跖のごとく善悪の報おそきは稀なり、其外世俗を見るに、善悪の報端的なるもあり、又しばらくおそきもあれども、其身に及ばぬはなし、近きころ国家賊吏多くして前後罪にあたるがごとし、はやくあらはるゝもあり、おそくしるゝもあり、又幸ひにして一生のがれて死後にしるゝもあり、いかゞしてかくはあるぞといへば、郡県の租税金穀の出納、年を積て限りなく稠畳する故に、その交互紛糾の間、金銀の出入たがひありても、大かたはしれ難き程に、小人は利欲にさときものなれば、それをよき機会と見て、色〱智を廻しつゝ、ひそかに官財を私して、妻子をさかやかし、奢侈をきはむれども、その跡見へぬ程は、恬然として自から計を得たりとす、其内あらはれて罪に行はるゝもあれども、それは其人の才覚たらぬ故也と、反て己が智に自慢して、いさゝか懲戒むる心なし、されど才覚をもてする事の、いつかたがはぬことやある、一旦はからざるに其端見へて、糺問におよぶ時にこそ、分釐も勘定に漏ることなければ、智も計も施す事なく、その姦利忽にあらはれて、さきにしばらくのがるゝと見へしも、末の露もとの雫にて、彼も是も終には免るるはなし、
書き下し
責て遺臭百世こそ積惡のしるしともいはん、是をもて見給へ、天の顏回に報ずること果して薄しとせんか、盜跖に報ずること果して厚しとせんか、その上顏回盜跖のごとく善惡の報おそきは稀なり、其外世俗を見るに、善惡の報端的なるもあり、又しばらくおそきもあれども、其身に及ばぬはなし、近きころ國家賊吏多くして前後罪にあたるがごとし、はやくあらはるゝもあり、おそくしるゝもあり、又幸ひにして一生のがれて死後にしるゝもあり、いかゞしてかくはあるぞといへば、郡縣の租稅金穀の出納、年を積て限りなく稠疊する故に、その交互紛糾の間、金銀の出入たがひありても、大かたはしれ難き程に、小人は利欲にさときものなれば、それをよき機會と見て、色〱智を廻しつゝ、ひそかに官財を私して、妻子をさかやかし、奢侈をきはむれども、その跡見へぬ程は、恬然として自から計を得たりとす、其内あらはれて罪に行はるゝもあれども、それは其人の才覺たらぬ故也と、反て己が智に自慢して、いさゝか懲戒むる心なし、されど才覺をもてする事の、いつかたがはぬことやある、一旦はからざるに其端見へて、糺問におよぶ時にこそ、分釐も勘定に漏ることなければ、智も計も施す事なく、その姦利忽にあらはれて、さきにしばらくのがるゝと見へしも、末の露もとの雫にて、彼も是も終には免るるはなし、
現代語訳
せめて悪い名を百代に遺すことこそ、悪を積んだしるしとも言うべきでしょうか。これで見てごらんなさい。天が顔回に報いることは、果たして薄いと言うべきでしょうか。盗跖に報いることは、果たして厚いと言うべきでしょうか。そのうえ、顔回や盗跖のように善悪の報いが遅いのは稀です。そのほか世間を見ると、善悪の報いがはっきり現れるものもあり、またしばらく遅いものもありますが、その身に及ばないものはありません。近ごろ、国家に賊吏が多く、前後して罪に当たったように、早く現れるものもあり、遅く知れるものもあり、また幸いに一生逃れて死後に知れるものもあります。どうしてこうなのかと言えば、郡県の租税や金穀の出納は、年を積んで限りなく重なるので、その入り組んだ間で、金銀の出入りに違いがあっても、たいていは知れがたいのです。小人は利欲に敏いものですから、それをよい機会と見て、いろいろ智を巡らし、ひそかに官の財を私して、妻子を栄えさせ、奢侈を極めますが、その跡が見えない間は、平然として、自分はうまい計をしたと思っています。そのうち現れて罪に処される者もありますが、それはその人の才覚が足りなかったためだと、かえって自分の智を自慢して、少しも懲りる心がありません。しかし、才覚でやることが、いつか食い違わないことがあるでしょうか。ひとたび思いがけなく端が見えて、糾問に及ぶときこそ、わずかな分釐も勘定に漏れることがなく、智も計も施しようがなく、その姦利がたちまち現れて、先にしばらく逃れたと見えたのも、末の露、本の雫で、あれもこれも、ついには免れることはありません。
解説
この章句が説くこと
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『駿台雑話』天人相勝(三)しかれば國家の上にて見るに、大きなる所帶はかくのごとく事の實否俄にはしれ難きぞかし、いはむや天は四海國土を偏覆し、幾億萬ともなき人を引受て、いはゞ莫大の所帶なり、およそ人のする事、善となく惡となく限もなく入亂るれば、善惡の報いかでか急に極まるべき、されば前後不同ありて、治定せぬ事のやうに見ゆる程に、小人の險を行ふて幸をもとむる事もあやしむにたらず、しかるに天にも終には勘定の極まる時あり、是を天定まるといふなり、こゝに至て天の聰明は、天下の名算の人といふとも及まじければ、善惡の報、輕重大小すこしもたがふ事あるべからず、むかしよりもろこしやまとゝもに、世の英雄豪傑、多くは己が武勇智謀に誇りて、天のいまだ定まらざるを見て、天道は人力をもて自由になるものとおもひつゝ、猛威を逞うし、詐力を恣にして、一旦は志を得るに似たりといへども、程なく天定まりぬれば、忽に天罰にあたりて、身うせ家滅ぶること、古今歷々として、そのためしすくなからず、されば人として天に勝は、禍のもとゝしるべし、小人は眼前の利を見て、淺はかにこれをよろこび、君子は未然の害を鑑て、ふかくこれを懼る、詩にいへらずや、畏天之威于時保之と、誠につねにおそれて保つべき事なり、
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『駿台雑話』天人相勝(一)翁かさねていひけるは、人衆勝天天定勝人、是は伍子胥呉王闔閭をすゝめて、楚國に攻入、父兄の仇なればとて、舊君平王の墓をあばきて、尸を鞭するを、伍子胥が舊友申包胥、平王の臣たりしがあまりの事とて、人して伍子胥にかくいはせける、古今の名言といふべし、天は必ず人にかち、邪は正に敵せず、然れども人衆くして勢盛んなれば、人力をもてしばらく天に勝事もあれど、それは天のいまだ定まらざる内の事なり、天定まりては人に勝ずといふことなし、但天は悠久にて自然なるものなれば、人間の約束などの、急に其驗しみゆるには似べからず、然るを人ちいさき眼をもて、天道を窺ふ故に、たゞ目前見る所をもて、善惡の報なき事と見過しつゝ、君子は善をしても疑ひあり、小人は惡をしても恐れず、その善惡はかはれども、いづれも天定まりて人に勝といふ事をしらねばなり、それ顏回の夭盜跖が壽は、天のいまだ定まらざるなり、其後天の定まるをみるに、顏回は一簞の食一瓢の飮、陋巷に窮居せしかども、其名今に日月と倶に垂て、千載朽ずしてあり、盜跖は聚徒千人天下に橫行せしかども、身死して肉いまだ寒ざるに名先ほろびて、誰いひ出す者もなし、
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『初学訓』巻之五一されど、又善をなしても、福なき人あり。それは、すぐれて命分うすく、福すくなく生れつきたる人なり。又、悪をなしても、禍なき者あり。それは、すぐれてあつき気をうけて、さいはひを身に生れつきたる者なり。共に、定りたる道理の常とすべからず。されども、其一代に報いざれば、必ず子孫にむくゆ。悪をなしても何の害かあらんといふことなかれ、天道は畏るべし。愚なる人は、目の前に見えざることは、福も禍もなしと思ひ、後の利害を知らず。善悪に必ず報あるは、自然の天理なり、疑ふべからず。又、生れつきたる禍福あり。これ天命なり。此二すぢの理あることを知るべし。たとへば、生れつき強き人は、酒色を、恣にし、大食し毒物を食ひて、長命なる人あり。それは、すぐれて元気あつき人なり、常とすべからず。もし其人の禍なきを見て、常の理と思ひ、酒色を恣にし、大食し毒物をくらはば、必ず病をうけて、短命なるべし。悪を行ひて禍を畏れざるは、此理に同じかるべし。
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『初学訓』巻之五惜むべし。和漢の古の事を考ふるにも、此道理たがはず。されども、遠きことを引くにも及ばず、わが日の本百年以来、このごろに至りて、まのあたりに見聞きたる、世間の諸人のなせることを考へ見て、其益あると益なきとを知るべし。凡そ俗人は、無学にして道理に暗きのみならず、利分の損得をも知らず。故に、善を行ひて天道にかなへば、必ず天喜び、人喜びて、禍なく福あり。悪を行ひて天道に背けば、必ず天怒り人恨みて、禍あり、福なきことを知らず。つねに天道を畏れずして、かへつて侮り背き、私を恣にし、ことさら、天の子としてあはれみ給へる人を恵まずして、侮り苦め、身のわざはひを求め、身の亡ぶることをなして楽とす。つひに天道神明の責をかうぶりて、亡びざれば止まず。かなしむべきかな。是れ道理に暗きのみならず、損得をも知らざるなり。
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『五常訓』巻之三・仁之下一尚書曰、天道は善にさいはひし、淫にわざはひす。又曰、善をなせばこれに百の祥をくだし、不善をなせばこれに百の殃をくだす。又老子曰く、天道は還すを好む。是皆天道の、善をこのみ悪をにくみ給ひて、善人にさいはひし、悪人にわざはひして、善悪の報をかへし給ふ理をいへり。此理、古今和漢其証多ければ、必うたがふべからず。愚者は此理を知らで、天道をおそれず、唯眼前の利をむさぼりて、後のわざはひを知らず。豈ただ義理にくらきのみならんや。我が身の禍福損得をもわきまへず。かなしむべし。不仁の至なり。
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『慎思録』巻之二善悪には必ず禍福の応有り。天道は還るを好む。其の理甚だ昭明なり。信ずべく且つ畏るべし。但だ遅速有るのみ。衆人は此の理を知らず。故に善を作し不善を弭むること能はずして、妄りに祷請し、福を鬼神に求む。然れども鬼神は聡明正直なり。理を枉げて人に福せず。斯の理も亦た甚だ昭昭たり。庸人と雖も、亦た当に其の益無きを識るべし。何ぞ陰徳を行ひて、自然に陽報有るに若かんや。
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