初学訓 / 巻之一
一凡人は天地のめぐみをうけて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の養を得て身をやしなふ。かゝる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地のわれにあたへ給へる心の德を捨てて保たず。天地の道にそむきて行はず。其上、天地の、子としてあはれみ給へる人倫と、次には鳥獸をそこなひ苦めて不仁なるは、天地の御心にそむきて、罪深し。是天地のにくみ給ふ所なり。天道は恐るべし、侮りて背くべからず。一人として、天をおそれず人をあはれまず、惡これより大なるはなし。惡を行へば天のにくみ給ふ所、天の譴のがれがたし。卽時にわざはひあると、後に禍來るとのかはりあれども、惡をなして禍なきの理なし。又天地の御心に從ひて背かざる人は、天地のめぐみありて、必ず福あり。もしは、其福早く來らざれども、後必ず福有りて禍なし。もし我が身に福なければ、必ず子孫にいたりて福あり。是必然の理なり。古の聖人の敎明らかなり。聖人の言おそるべし、信ずべし、疑ふべからず。古を引くにも及ばず、近世にも此ためし多し。
新字:一凡人は天地のめぐみをうけて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の養を得て身をやしなふ。かゝる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地のわれにあたへ給へる心の徳を捨てて保たず。天地の道にそむきて行はず。其上、天地の、子としてあはれみ給へる人倫と、次には鳥獣をそこなひ苦めて不仁なるは、天地の御心にそむきて、罪深し。是天地のにくみ給ふ所なり。天道は恐るべし、侮りて背くべからず。一人として、天をおそれず人をあはれまず、悪これより大なるはなし。悪を行へば天のにくみ給ふ所、天の譴のがれがたし。即時にわざはひあると、後に禍来るとのかはりあれども、悪をなして禍なきの理なし。又天地の御心に従ひて背かざる人は、天地のめぐみありて、必ず福あり。もしは、其福早く来らざれども、後必ず福有りて禍なし。もし我が身に福なければ、必ず子孫にいたりて福あり。是必然の理なり。古の聖人の教明らかなり。聖人の言おそるべし、信ずべし、疑ふべからず。古を引くにも及ばず、近世にも此ためし多し。
書き下し
一凡人は天地のめぐみをうけて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の養を得て身をやしなふ。かかる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地のわれにあたへ給へる心の徳を捨てて保たず。天地の道にそむきて行はず。其上、天地の、子としてあはれみ給へる人倫と、次には鳥獣をそこなひ苦めて不仁なるは、天地の御心にそむきて、罪深し。是天地のにくみ給ふ所なり。天道は恐るべし、侮りて背くべからず。一人として、天をおそれず人をあはれまず、悪これより大なるはなし。悪を行へば天のにくみ給ふ所、天の譴のがれがたし。即時にわざはひあると、後に禍来るとのかはりあれども、悪をなして禍なきの理なし。又天地の御心に従ひて背かざる人は、天地のめぐみありて、必ず福あり。もしは、其福早く来らざれども、後必ず福有りて禍なし。もし我が身に福なければ、必ず子孫にいたりて福あり。是必然の理なり。古の聖人の教明らかなり。聖人の言おそるべし、信ずべし、疑ふべからず。古を引くにも及ばず、近世にも此ためし多し。
現代語訳
およそ人は、天地の恵みを受けて生まれ、天地の心を受けて心とし、天地の養いを得て身を養っています。このような天地の大恩を受け、天地の中に住みながら、天地が自分に与えてくださった心の徳を捨てて保たず、天地の道に背いて行わない。そのうえ、天地が子として憐れまれる人々や、次には鳥獣を損ない苦しめて不仁であるのは、天地の御心に背くことで、罪が深い。これは天地が憎まれるところです。天道は恐るべきもので、侮って背いてはいけません。人として天を恐れず人を憐れまないこと、これより大きな悪はありません。悪を行えば天が憎まれ、天のとがめは逃れがたい。すぐに災いがあるか、後に禍が来るかの違いはあっても、悪をして禍がないという理はありません。また天地の御心に従って背かない人は、天地の恵みがあって必ず福があります。たとえその福が早く来なくても、後には必ず福があって禍はありません。もし自分の身に福がなければ、必ず子孫に至って福があります。これは必然の理です。昔の聖人の教えに明らかです。聖人の言葉は畏れ、信じるべきであり、疑ってはいけません。昔の例を引くまでもなく、近ごろにもこの例は多いのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『初学訓』巻之三一天道は、人の善に福し、悪に禍し給ふ。是人のしわざの善悪によりて、天より、福と禍とを報い給へる理なり。是は、天道の常理なり、疑ふべからず。又人の生質によりて、富貴、貧賤、禍福、寿夭あり。或は、時によりて不意に吉凶あり。皆是、陰陽の変化にして、人の生れつきにより、気を禀くること厚薄あり。厚き気をうけたる人は富貴にして福あり。薄き気をうけたる人は、貧賤にして禍あり。又、長き気をうけたるは寿く、短き気をうけたるは夭し。天の陰陽の気をうけて如斯なれば、すべて天命といふ。
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『翁問答』上卷之末体充問曰、つらつら人物のありさまを考へ見るに、よきものは少なく、あしきものは多し、よき者は育ちがたくあしきものは育ち易し、人間には賢人君子まれなり、たまたまあれども或は不幸短命なり、愚痴不肖は世界にみちみちて沢山なり、盗賊などをば何れの代にもさがし、求めてころせどもたらず、鳥には鳳凰はまれにて鳶鴉は雲霞の如し、獣には麒麟は世にまれにて狐狸は其かずをしらず、草木には霊草名木はすくなくして、名もなき雑木野草は山野にみてり、天道は純粋至善なりと承はりをよび候へば、よきものは多くあしきものは少なきはずにて候へ、かへつてあしき者の沢山なるは、何たる道理にて御座候や。
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『甲陽軍鑑』品第六能人の埋るゝも世のならひ、悪き者うゆるもならひ、善悪をまぜあはするは皆是天道なりと心得べし一丹波国赤井と云男、七歳にて人を伐、赤井悪右衛門と名をよばれ、五畿内におひて己が人数五百千はかりにて敵五千六千をも数度戦て悪右衛門かたずといふことなし一四国阿波の三善修理太夫殿は、
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『初学訓』巻之五惜むべし。和漢の古の事を考ふるにも、此道理たがはず。されども、遠きことを引くにも及ばず、わが日の本百年以来、このごろに至りて、まのあたりに見聞きたる、世間の諸人のなせることを考へ見て、其益あると益なきとを知るべし。凡そ俗人は、無学にして道理に暗きのみならず、利分の損得をも知らず。故に、善を行ひて天道にかなへば、必ず天喜び、人喜びて、禍なく福あり。悪を行ひて天道に背けば、必ず天怒り人恨みて、禍あり、福なきことを知らず。つねに天道を畏れずして、かへつて侮り背き、私を恣にし、ことさら、天の子としてあはれみ給へる人を恵まずして、侮り苦め、身のわざはひを求め、身の亡ぶることをなして楽とす。つひに天道神明の責をかうぶりて、亡びざれば止まず。かなしむべきかな。是れ道理に暗きのみならず、損得をも知らざるなり。
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『翁問答』下卷之末夫仁は天神地祇の人物を発育したまふ神道にして、人間慈愛の神理なり、もとより親親仁民愛物生理の時にそむきては、一草一木をも切らざるは仁者の常なれども、天道をおそれず悪逆をして生理をそこなふ科人をば殺すをもて仁とするなり、殺と不殺との事になずみて、仁不仁を論ずるは愚痴なる凡夫の心得なり、殺べき罪科ありて殺さゞれば神道の生理をそこなふによつて科なき者をころすとひとしき不仁なり、しかるに今仏氏の殺生戒は、のみしらみをも殺さゞる法なれば、まして人間をば主親をころせる悪人にても宥て不殺を本とす、これを仁に似たる不仁、善に似たる悪、是に似たる非と云なり、加様のにせものをもて正真の神理にくらべられ候はんや、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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