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駿台雑話 / 天人相勝一

翁かさねていひけるは、人衆勝天天定勝人、是は伍子胥呉王闔閭をすゝめて、楚國に攻入、父兄の仇なればとて、舊君平王の墓をあばきて、尸を鞭するを、伍子胥が舊友申包胥、平王の臣たりしがあまりの事とて、人して伍子胥にかくいはせける、古今の名言といふべし、天は必ず人にかち、邪は正に敵せず、然れども人衆くして勢盛んなれば、人力をもてしばらく天に勝事もあれど、それは天のいまだ定まらざる内の事なり、天定まりては人に勝ずといふことなし、但天は悠久にて自然なるものなれば、人間の約束などの、急に其驗しみゆるには似べからず、然るを人ちいさき眼をもて、天道を窺ふ故に、たゞ目前見る所をもて、善惡の報なき事と見過しつゝ、君子は善をしても疑ひあり、小人は惡をしても恐れず、その善惡はかはれども、いづれも天定まりて人に勝といふ事をしらねばなり、それ顏回の夭盜跖が壽は、天のいまだ定まらざるなり、其後天の定まるをみるに、顏回は一簞の食一瓢の飮、陋巷に窮居せしかども、其名今に日月と倶に垂て、千載朽ずしてあり、盜跖は聚徒千人天下に橫行せしかども、身死して肉いまだ寒ざるに名先ほろびて、誰いひ出す者もなし、

新字:翁かさねていひけるは、人衆勝天天定勝人、是は伍子胥呉王闔閭をすゝめて、楚国に攻入、父兄の仇なればとて、旧君平王の墓をあばきて、尸を鞭するを、伍子胥が旧友申包胥、平王の臣たりしがあまりの事とて、人して伍子胥にかくいはせける、古今の名言といふべし、天は必ず人にかち、邪は正に敵せず、然れども人衆くして勢盛んなれば、人力をもてしばらく天に勝事もあれど、それは天のいまだ定まらざる内の事なり、天定まりては人に勝ずといふことなし、但天は悠久にて自然なるものなれば、人間の約束などの、急に其験しみゆるには似べからず、然るを人ちいさき眼をもて、天道を窺ふ故に、たゞ目前見る所をもて、善悪の報なき事と見過しつゝ、君子は善をしても疑ひあり、小人は悪をしても恐れず、その善悪はかはれども、いづれも天定まりて人に勝といふ事をしらねばなり、それ顔回の夭盗跖が寿は、天のいまだ定まらざるなり、其後天の定まるをみるに、顔回は一箪の食一瓢の飲、陋巷に窮居せしかども、其名今に日月と倶に垂て、千載朽ずしてあり、盗跖は聚徒千人天下に横行せしかども、身死して肉いまだ寒ざるに名先ほろびて、誰いひ出す者もなし、

書き下し

翁かさねていひけるは、人衆勝天天定勝人、是は伍子胥呉王闔閭をすゝめて、楚國に攻入、父兄の仇なればとて、舊君平王の墓をあばきて、尸を鞭するを、伍子胥が舊友申包胥、平王の臣たりしがあまりの事とて、人して伍子胥にかくいはせける、古今の名言といふべし、天は必ず人にかち、邪は正に敵せず、然れども人衆くして勢盛んなれば、人力をもてしばらく天に勝事もあれど、それは天のいまだ定まらざる内の事なり、天定まりては人に勝ずといふことなし、但天は悠久にて自然なるものなれば、人間の約束などの、急に其驗しみゆるには似べからず、然るを人ちいさき眼をもて、天道を窺ふ故に、たゞ目前見る所をもて、善惡の報なき事と見過しつゝ、君子は善をしても疑ひあり、小人は惡をしても恐れず、その善惡はかはれども、いづれも天定まりて人に勝といふ事をしらねばなり、それ顏回の夭盜跖が壽は、天のいまだ定まらざるなり、其後天の定まるをみるに、顏回は一簞の食一瓢の飮、陋巷に窮居せしかども、其名今に日月と倶に垂て、千載朽ずしてあり、盜跖は聚徒千人天下に橫行せしかども、身死して肉いまだ寒ざるに名先ほろびて、誰いひ出す者もなし、

現代語訳

私は重ねて言いました。「人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人に勝つ」というのは、伍子胥が呉王闔閭に勧めて楚国に攻め入り、父兄の仇だからといって、旧君の平王の墓を暴いて尸を鞭打ったのを、伍子胥の旧友の申包胥が、平王の臣であったものですから、あまりのことだと、人を通じて伍子胥にこう言わせた言葉です。古今の名言と言うべきでしょう。天は必ず人に勝ち、邪は正に敵いません。けれども、人が多くて勢いが盛んなときには、人力でしばらく天に勝つこともありますが、それは天がまだ定まらない間のことです。天が定まれば、人に勝たないということはありません。ただ、天は悠久で自然なものですから、人間の約束事などのように、急に験が見えるものとは似ていません。それなのに人は、小さな眼で天道をうかがうので、ただ目の前に見えるところだけで、善悪の報いはないものと見過ごしてしまいます。君子は善をしても疑いがあり、小人は悪をしても恐れません。その善と悪は違っても、いずれも、天が定まれば人に勝つということを知らないからです。顔回が若死にし、盗跖が長生きしたのは、天がまだ定まらなかったからです。その後に天の定まるのを見ると、顔回は一箪の食、一瓢の飲で陋巷に窮して暮らしましたが、その名は今に日月とともに伝わって、千年たっても朽ちません。盗跖は徒党千人を集めて天下に横行しましたが、身が死んで肉がまだ冷えないうちに名が先に滅び、誰も口にする者がありません。

解説

天人相勝の冒頭です。「人衆勝天天定勝人」は、伍子胥が平王の墓を暴いた際、旧友の申包胥が人を介して告げた言葉だと語られます。翁はこれを古今の名言とし、人の勢いが天に勝つのは天がまだ定まらない間のことだと説きます。善人の顔回が早世し、悪人の盗跖が長寿だったのは、天がまだ定まらないからで、のちの名の残り方に天の定まりが現れる、という筋です。人は小さな眼で天道を窺うから、報いがないと見誤ります。短期の業績や評判が必ずしも実力や人柄の評価と一致しない現代でも、長い時間で見たときの信用の残り方を基準にせよという視点になります。

この章句が説くこと

天人相勝天定顔回盗跖長い目駿台雑話

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