孔子家語 / 七十二弟子解
顏回,魯人,字子淵,年二十九而髮白,三十一早死。孔子曰:「自吾有回,門人日益親。」回之德行著名,孔子稱其仁焉。
新字:顔回,魯人,字子淵,年二十九而髪白,三十一早死。孔子曰:「自吾有回,門人日益親。」回之徳行著名,孔子称其仁焉。
書き下し
顏回は、魯の人、字は子淵、年二十九にして髪白く、三十一にして早死す。孔子曰わく、「吾に回有りてより、門人日々に益々親しむ」と。回の徳行著名にして、孔子其の仁を称す。
現代語訳
顔回は魯の国の人で、字は子淵という。二十九歳で髪が白くなり、三十一歳で早くに亡くなった。孔子は「私に回がいるようになってから、門人たちは日ごとにますます親しみ合うようになった」と言った。回は徳行によって名高く、孔子はその仁徳を称賛した。
解説
顔回は孔子が最も愛した弟子として知られ、貧しい暮らしの中でも学問と徳を追求し続けた人物です。論語にもたびたび登場し、孔子から「賢なるかな回や」と称えられています。ここでは、顔回が現れてから門人たちの結束が強まったという孔子自身の言葉が伝えられており、彼の人柄が集団に与えた良い影響がうかがえます。若くして白髪となり早世したことは、孔子にとっても深い悲しみだったと伝えられます。徳行に優れた人物が周囲の空気を変えるという逸話は、現代の組織においても、能力以上に人格が信頼と一体感を生む力を持つことを示唆しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
顔回徳行仁孔子早世
関連する章句
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論語・雍也篇子曰く、『回や、その心三月仁に違わず。其の余は則ち日月至るのみ。』
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孔子家語・顏回顏回問う、「朋友の際、如何。」孔子曰わく、「君子の朋友に於けるや、心必ず非とする有れども、『吾知らず』と謂う能わず、其れ仁人なり。久しき徳を忘れず、久しき怨みを思わず。仁なるかな。」
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『洗心洞箚記』卷上・第七條顔子は屢々空し、心屢々太虚に帰す。而して猶ほ一息有り。聖人は則ち徹始徹終、一に太虚のみ。日用応酬の間、仁義礼智信、五つの者一を欠かば、則ち人言人行に非ざるなり。人言人行に非ずんば、則ち宜なるかな、人に攻められ、又人を攻むること。
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『講孟余話』離婁下 第二十九章十一月十八日。「禹・稷・顔回道を同じうす」。禹稷顔回其の行ひ同じからずと雖も、其の道は則ち同じき所深く思ふべし。顔回は己を脩むるなり、禹稷は民を救ふなり、而して皆仁の道なり。仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。己を脩むるの心あり、故に民を救ふの心あり、是れ其の道同じき所なり。大賢以上皆然り。中人以下或は其の一偏を得るも、亦是れ一種の人物にして、凡庸人の比に非ず。伊尹の任、伯夷の清の如き、其の地然らしむと雖も、抑々亦性質好尚自ら同じからざる者あり。況んや中人以下に於てをや。然るに同道の本文に泥み、進退出処の際に当りて一概に拘泥する時は、却つて安排の失あり。大氏私心だに除き去る時は、進むも亦可なり、退くも亦可なり、出づるも亦可なり、処るも亦可なり。私心未だ除かざれば、進退出処亦皆不可なり。予性狂瞽、常に郷隣の間に被髪纓冠するの過ちあり。然れども利名を謀るに非ず、陋巷の箪瓢尤も其の安んずる所なり。因りて知る、禹稷の行ひある者は顔回の心なかるべからざることを。若し労を憚り身を顧み、禹稷の行ひをなさず、顔回の跡に託する者は、又豈に真の顔回ならんや。