孔子家語 / 顏回
顏回問於孔子曰:「小人之言有同乎?君子者不可不察也。」孔子曰:「君子以行言,小人以舌言。故君子為義之上相疾也,退而相愛;小人於為亂之上相愛也,退而相惡。」
新字:顏回問於孔子曰:「小人之言有同乎?君子者不可不察也。」孔子曰:「君子以行言,小人以舌言。故君子為義之上相疾也,退而相愛;小人於為乱之上相愛也,退而相悪。」
書き下し
顏回孔子に問いて曰わく、「小人の言に同じき有りや。君子は察せざる可からざるなり。」孔子曰わく、「君子は行いを以て言い、小人は舌を以て言う。故に君子は義を為すの上に相疾みて、退きて相愛す。小人は乱を為すの上に相愛して、退きて相悪む。」
現代語訳
顔回が孔子に尋ねた。「小人の言葉にも君子と同じように見えるものがあるのでしょうか。君子はよく見極めなければなりませんね。」先生は言った。「君子は行いによって語り、小人は口先だけで語る。だから君子は、正義を行おうとする場では互いに厳しく批判し合うが、その場を退けば互いに愛し合う。小人は、乱を企てる場では互いに愛し合うふりをするが、その場を退けば互いに憎み合う。」
解説
君子と小人の言葉や関係のあり方は、一見似て見えても本質的に異なることを孔子が説いた言葉です。君子は言葉ではなく行いそのもので語り、正しい事を行おうとする場面では互いに厳しく意見し合っても、その場を離れれば信頼関係は変わりません。一方、小人は口先だけで愛想よく振る舞うため、良からぬ企みの場では仲睦まじく見えても、いったんその場を離れれば簡単に反目します。表面的な仲の良さや口当たりの良い言葉ではなく、行動の一貫性や関係の持続性にこそ人物の本質が表れるという指摘であり、人間関係の見極め方について、現代にも通じる実践的な視点を与えてくれます。
この章句が説くこと
顔回君子小人言と行人間関係見極め
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