導師導古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

駿台雑話 / 武運の稽古一

ある時わかき人々、武藝の塲より歸るさに、翁が菴へ來て例の文談に及べり、翁いふやう、武藝は各の家業といふべければ、常に稽古あるべき事なり、但武藝と武運といづれが重き事とおもひ給へる、翁は武藝より武運は重き事とおもひ侍る、其故はいかに武藝に達したる人なりとも、武運つきなば何の詮かあるべき、長湫の合戰に、森武藏守は打物取て鬼武藏といわれけれ共、かけ出るとひとしく銃丸に中りて即時に果ぬれば、武藝も武勇も用ゆべきやうなく侍る、然れば武運ありての武藝ならずや、各武藝の稽古あらば、先武運の稽古し給へかし、さて武藝の稽古は、それ〱の師に問給はゞくはしかるべし、武運の稽古においては、藝術の師のしることにては侍らず、それは翁などこそと語りのこしけるに、座中ひとり、翁の仰事には候へども、武運の稽古と申事こそうけられ候はね、むかしより人力の及ばぬ事なればこそ、武運とは申つれ、もし稽古にて及ぶ事ならば、誰か稽古せざるべきといへば、翁かしら打振て、いや武運に稽古こそ侍れ、さらば承らむといへば、翁、各思案して見給へ、運はいづくより出ることにて侍る、天より出るにあらずや、されば世話にも運は天にありと申候、とかく運をば天に禱るより外はなかるべし、天の心に叶はんとならば、天の好める事は何事ぞ、惡める事は何事ぞと尋ぬべし、

新字:ある時わかき人々、武芸の塲より帰るさに、翁が菴へ来て例の文談に及べり、翁いふやう、武芸は各の家業といふべければ、常に稽古あるべき事なり、但武芸と武運といづれが重き事とおもひ給へる、翁は武芸より武運は重き事とおもひ侍る、其故はいかに武芸に達したる人なりとも、武運つきなば何の詮かあるべき、長湫の合戦に、森武蔵守は打物取て鬼武蔵といわれけれ共、かけ出るとひとしく銃丸に中りて即時に果ぬれば、武芸も武勇も用ゆべきやうなく侍る、然れば武運ありての武芸ならずや、各武芸の稽古あらば、先武運の稽古し給へかし、さて武芸の稽古は、それ〱の師に問給はゞくはしかるべし、武運の稽古においては、芸術の師のしることにては侍らず、それは翁などこそと語りのこしけるに、座中ひとり、翁の仰事には候へども、武運の稽古と申事こそうけられ候はね、むかしより人力の及ばぬ事なればこそ、武運とは申つれ、もし稽古にて及ぶ事ならば、誰か稽古せざるべきといへば、翁かしら打振て、いや武運に稽古こそ侍れ、さらば承らむといへば、翁、各思案して見給へ、運はいづくより出ることにて侍る、天より出るにあらずや、されば世話にも運は天にありと申候、とかく運をば天に祷るより外はなかるべし、天の心に叶はんとならば、天の好める事は何事ぞ、悪める事は何事ぞと尋ぬべし、

書き下し

ある時わかき人々、武藝の塲より歸るさに、翁が菴へ來て例の文談に及べり、翁いふやう、武藝は各の家業といふべければ、常に稽古あるべき事なり、但武藝と武運といづれが重き事とおもひ給へる、翁は武藝より武運は重き事とおもひ侍る、其故はいかに武藝に達したる人なりとも、武運つきなば何の詮かあるべき、長湫の合戰に、森武藏守は打物取て鬼武藏といわれけれ共、かけ出るとひとしく銃丸に中りて即時に果ぬれば、武藝も武勇も用ゆべきやうなく侍る、然れば武運ありての武藝ならずや、各武藝の稽古あらば、先武運の稽古し給へかし、さて武藝の稽古は、それ〱の師に問給はゞくはしかるべし、武運の稽古においては、藝術の師のしることにては侍らず、それは翁などこそと語りのこしけるに、座中ひとり、翁の仰事には候へども、武運の稽古と申事こそうけられ候はね、むかしより人力の及ばぬ事なればこそ、武運とは申つれ、もし稽古にて及ぶ事ならば、誰か稽古せざるべきといへば、翁かしら打振て、いや武運に稽古こそ侍れ、さらば承らむといへば、翁、各思案して見給へ、運はいづくより出ることにて侍る、天より出るにあらずや、されば世話にも運は天にありと申候、とかく運をば天に禱るより外はなかるべし、天の心に叶はんとならば、天の好める事は何事ぞ、惡める事は何事ぞと尋ぬべし、

現代語訳

ある時、若い人たちが武芸の場から帰る途中で私の庵に来て、いつものように文談になりました。私は言いました。武芸はそれぞれの家業というべきものですから、常に稽古があるべきことです。ただ、武芸と武運とでは、どちらが重いことと思いますか。私は、武芸よりも武運のほうが重いと思います。そのわけは、いかに武芸に達した人でも、武運が尽きたなら何の甲斐がありましょうか。長湫の合戦で、森武蔵守は打物を取って鬼武蔵と言われましたが、駆け出すとすぐに銃弾に当たってたちまち果てたので、武芸も武勇も用いようがありませんでした。そうであれば、武運があってこその武芸ではありませんか。皆さんが武芸の稽古をされるなら、まず武運の稽古をなさい。さて武芸の稽古は、それぞれの師に問えば詳しいでしょう。武運の稽古については、芸術の師の知ることではありません。それは私などこそ、と語り残したところ、座中の一人が、お言葉ではございますが、武運の稽古ということは承れません。昔から人力の及ばぬことだからこそ武運というのであって、もし稽古で及ぶことなら、誰が稽古しないでしょうか、と言いました。私は頭を振って、いや、武運にも稽古があります、と言いました。それならうかがいましょうと言うので、私は言いました。皆さん、思案してみなさい。運はどこから出ることでしょう。天から出るのではありませんか。世間でも、運は天にあると言います。ともかく運は、天に祈るほかはないでしょう。天の心にかなおうとするなら、天の好むことは何事か、憎むことは何事かと尋ねるべきです。

解説

若い人々が武芸の稽古帰りに庵を訪れ、翁が「武芸と武運のどちらが重いか」と問う場面です。翁は、森武蔵守が鬼武蔵と呼ばれた腕を持ちながら、長湫の戦で駆け出すとすぐ銃弾に倒れた例を挙げ、武運あっての武芸だと述べます。座中の一人は、人力の及ばぬものだから武運というのではと反論しますが、翁は運は天から出るのだから、天の好む事と憎む事を尋ねることが稽古になると導きます。問答の形で、反論をまず受けてから答える語り口が目を引きます。準備を尽くしても結果が個人の力を超える現代の事業や人事でも、実力だけに頼らず、何が信頼を呼ぶかを平生から問うべきだという示唆になります。

この章句が説くこと

武運武芸稽古天長湫の戦駿台雑話

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る