駿台雑話 / 武運の稽古二
翁つら〱天の好惡を案じ見るに、天は仁をこのみて甚不仁を惡む、信を好みて甚不信を惡む、其いはれをいふに、天はたゞ萬物を生ずるを心とする故に、古より今に至るまで、年々人物を生じ〱てやむ事なし、秋冬蕭殺の氣行はるゝといへど、果して蕭殺するには非ず、生氣を固うして根へ歸せしめ、春を待て又發生せんとなり、易に生々之謂易といひ天地之大德曰生といへるは此事なり、天にありて物を生ずるは、人に在ては人を愛するなり、各是をもて見給はゞ、天の仁を好て不仁をにくむといふ事疑なかるべし、又信を好む事をいはゞ、日月星辰の行度、萬古を經ても一日のごとし、日月の蝕を見給へ、遙に大空の外なる事を、こゝもとにて推歩するに、分秒迄もたがはず、是に過たるたしかなる事あるべきや、天下の至信といふべし、然れば人は外の事はしばらくさしをく、たゞ仁にして信にだにあらば、おのづから天心に叶ふべし、天心にかなはゞ、などか擁護なかるべき、さりとてしばらく仁を行なひ、假に信を守りて、其驗あるべきとにはあらず、是は平生にあることとなり、常に仁を好て人をそこなはず、常に信を篤うして人を欺かず、かくしつゝ、歳月を積なば、其誠天にこたへて、はからざるに自然の冥助もありなん、されば戰塲にても、おのづから禍機に觸ず、矢石にもあたらざるべし、
新字:翁つら〱天の好悪を案じ見るに、天は仁をこのみて甚不仁を悪む、信を好みて甚不信を悪む、其いはれをいふに、天はたゞ万物を生ずるを心とする故に、古より今に至るまで、年々人物を生じ〱てやむ事なし、秋冬蕭殺の気行はるゝといへど、果して蕭殺するには非ず、生気を固うして根へ帰せしめ、春を待て又発生せんとなり、易に生々之謂易といひ天地之大徳曰生といへるは此事なり、天にありて物を生ずるは、人に在ては人を愛するなり、各是をもて見給はゞ、天の仁を好て不仁をにくむといふ事疑なかるべし、又信を好む事をいはゞ、日月星辰の行度、万古を経ても一日のごとし、日月の蝕を見給へ、遥に大空の外なる事を、こゝもとにて推歩するに、分秒迄もたがはず、是に過たるたしかなる事あるべきや、天下の至信といふべし、然れば人は外の事はしばらくさしをく、たゞ仁にして信にだにあらば、おのづから天心に叶ふべし、天心にかなはゞ、などか擁護なかるべき、さりとてしばらく仁を行なひ、仮に信を守りて、其験あるべきとにはあらず、是は平生にあることとなり、常に仁を好て人をそこなはず、常に信を篤うして人を欺かず、かくしつゝ、歳月を積なば、其誠天にこたへて、はからざるに自然の冥助もありなん、されば戦塲にても、おのづから禍機に触ず、矢石にもあたらざるべし、
書き下し
翁つら〱天の好惡を案じ見るに、天は仁をこのみて甚不仁を惡む、信を好みて甚不信を惡む、其いはれをいふに、天はたゞ萬物を生ずるを心とする故に、古より今に至るまで、年々人物を生じ〱てやむ事なし、秋冬蕭殺の氣行はるゝといへど、果して蕭殺するには非ず、生氣を固うして根へ歸せしめ、春を待て又發生せんとなり、易に生々之謂易といひ天地之大德曰生といへるは此事なり、天にありて物を生ずるは、人に在ては人を愛するなり、各是をもて見給はゞ、天の仁を好て不仁をにくむといふ事疑なかるべし、又信を好む事をいはゞ、日月星辰の行度、萬古を經ても一日のごとし、日月の蝕を見給へ、遙に大空の外なる事を、こゝもとにて推歩するに、分秒迄もたがはず、是に過たるたしかなる事あるべきや、天下の至信といふべし、然れば人は外の事はしばらくさしをく、たゞ仁にして信にだにあらば、おのづから天心に叶ふべし、天心にかなはゞ、などか擁護なかるべき、さりとてしばらく仁を行なひ、假に信を守りて、其驗あるべきとにはあらず、是は平生にあることとなり、常に仁を好て人をそこなはず、常に信を篤うして人を欺かず、かくしつゝ、歳月を積なば、其誠天にこたへて、はからざるに自然の冥助もありなん、されば戰塲にても、おのづから禍機に觸ず、矢石にもあたらざるべし、
現代語訳
私がつくづく天の好き嫌いを考えてみますと、天は仁を好んで不仁を甚だ憎み、信を好んで不信を甚だ憎みます。そのわけを言いますと、天はただ万物を生じることを心としているので、昔から今に至るまで、年々人や物を生じ続けてやむことがありません。秋冬には蕭殺の気が行われると言いますが、本当に殺すのではなく、生気を固めて根に帰らせ、春を待ってまた芽生えさせようとするのです。易に「生々これを易という」「天地の大徳を生という」と言うのは、このことです。天にあって物を生じることは、人にあっては人を愛することです。皆さんもこれを見れば、天が仁を好んで不仁を憎むことは疑いないでしょう。また、信を好むことを言えば、日月星辰の運行は、万古を経ても一日のようです。日月の蝕を見てごらんなさい。はるか大空の外のことを、ここで推し量って計算すると、分秒までたがいません。これ以上に確かなことがあるでしょうか。天下の至信というべきです。そうであれば人は、ほかの事はしばらくさしおいて、ただ仁であって信でありさえすれば、おのずと天の心にかないます。天の心にかなえば、どうして擁護がないことがありましょう。とはいえ、しばらく仁を行い、仮に信を守って、その験があるだろうというわけではありません。これは平生にあることです。常に仁を好んで人を損なわず、常に信を厚くして人を欺かず、こうして歳月を積んだなら、その誠が天に応えて、思いがけず自然の冥助もあるでしょう。そうなれば戦場でも、おのずと禍の機に触れず、矢石にも当たらないでしょう。
解説
この章句が説くこと
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司馬法・定爵国に居りては和し、軍に在りては法あり、刃上には察す。国に居りては好を見し、軍に在りては方を見し、刃上には信を見す。凡そ陳は、行くには惟れ疏(そ)に、戦うには惟れ密に、兵は惟れ雑う。人の教え厚ければ、静かにして乃ち治まり、威利章(あき)らかなり。相守るに義あれば、則ち人勉め、慮多く成れば、則ち人服す。時中に服し、厥の次治まる。物既に章らかなれば、目乃ち明らかなり。慮既に定まれば、心乃ち強し。進退に疑い無く、敵を見て謀る無し。誅を聴きては、其の名を誰(と)うこと無く、其の旗を変うること無かれ。凡そ事は、善なれば則ち長く、古に因れば則ち行われ、誓い作(おこ)りて章らかなれば、人乃ち強く、厲祥を滅ぼす。厲を滅ぼすの道は、一に曰く義、之を被(おお)うに信を以てし、之に臨むに強を以てし、基を成し、天下の形を一にし、人説ばざる莫し、是れを兼ねて其の人を用うと謂う。一に曰く権、其の溢るるを成し、其の好むところを奪い、我は其の外よりし、自ら其の内よりせしむ。一に曰く人、二に曰く正、三に曰く辞、四に曰く巧、五に曰く火、六に曰く水、七に曰く兵、是れを七政と謂う。栄、利、恥、死、是れを四守と謂う。容色積威は、意を改むるに過ぎず、凡そ此れ道なり。唯だ仁のみ親しむ有り、仁有りて信無ければ、反って厥の身を敗る。人は人とし、正は正とし、辞は辞とし、火は火とす。凡そ戦いの道は、既に其の気を作し、因りて其の政を発し、之に仮すに色を以てし、之を道(みちび)くに辞を以てし、懼れに因りて戒め、欲に因りて事とし、敵を蹈み地を制し、職を以て之に命ず、是れを戦法と謂う。凡そ人の形は、衆の求むるに由り、試みるに名行を以てし、必ず善く之を行う。若し行わんとして行わざれば、身以て之を将い、若し行わんとして行えば、因りて忘るること勿からしめ、三たびして乃ち章を成す。人生の宜しき、之を法と謂う。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下尤勤むべし。謹とは、心に恐ありて、万の事の誤なからんやうにするなり。万の事は、謹より行はる。謹なければ、万事乱れて、善き道行はれず。万の過も禍も、皆つつしみなきよりおこる。謹めば心に怠なく、身のわざに誤少なし。謹の一字、尤大切のこと也。若き子弟の輩は、殊更是を守るべし。信とは、言に偽なくて、誠あるを云ふ。身には行はずして、口に言ふは、信なきなり。又人と約して、其事を変ずるも、信なきなり。人の身のわざ多けれども、口に言ふと身に行ふとの二より外にはなし。行をつつしみて、言に信あるは、身を修むるの道なり。汎愛衆とは、我がまじはり対する所の諸人に情ありて、ねんごろにあはれむを云ふ。下人を使ふに情深きも、亦衆を愛するなり。
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『文武訓』武訓上もし表裏多くして人を欺き、いつはりを行ひて、士卒そむきうらみば、百万の兵ありとも、戦ひ勝つことかたかるべし。故に、兵の道は仁義を本とし、信を以て諸人の心を服するにあり。孫子が権謀を専にせしも、将の道は智信仁勇厳也といへり。もし将となる人、仁義忠信をすてて、あはれみなくなさけなく、表裏を行ひてまことなく、只わが身を利せんとし、士卒皆これに見ならひ、化して恥なくば、なんぞ戦にのぞみて信を守り、君のため忠義を行ひ、命をすて節に死する者あらんや。是を日本の武道といふべからざるこ弁ぜずして其非を知るべし。
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『徂徠先生答問書』卷中君子の道も是を土台といたし候事は、君子の道は仁にて候。仁は国天下の民を安じ候事にて、もと人の上たるものの道にて候。孝弟忠信中庸の徳行は、分に相応にたれにてもなり申候事にて、上たる人ばかりの道にては無御座候。孝は父母を養ひ安んずる道にて候。弟は兄弟を養ひ安んずる道にて候。忠は君につかへて君を安んじ養ふ道にて候。信は朋友を安んじ養ふ道にて候。されば何れも皆仁の小わりと可被思召候。たゞ人々の量の大小御座候故、大量の人ならでは仁をわが任といたし候事なりがたく候。量の大小にかゝはらず、たれにても仁の心をおこなひ候事は、孝弟忠信中庸の徳行と可被思召候。是により孝弟忠信を土台といたし、是よりのぼり候へば、君子の仁もよく相応いたし、齟齬いたし候所無御座候。若又孝弟忠信を土台といたさず候て、国天下を安んずるわざをのみ求め候はゞ、却て邪術にはせ候あやまりも出来可申事故、子思などの書を作り其ふせぎをいたされ候事にて御座候。たゞ量の大小に随ひ教の名目は別にて候得共、道は一箇の道にて更に別の道は無御座候。よく〳〵御工夫可被成候。以上。
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『慎思録』巻之一凡そ人倫に接するの道は、愛敬を以て心と為す。愛敬は親に事ふるに始まる。豈に啻だ父母に施すのみならんや。愛すれば則ち敢へて人を悪まず。之を拡むれば則ち博く施して衆を済ふに至る。仁の行なり。敬すれば則ち敢へて人を慢らず。之を拡むれば則ち敢へて鰥寡を侮らざるに至る。礼の行なり。人に接するの道は、此に尽くるのみ。二者は、皆日用彝倫の間に常に行ふべくして、須臾も離るべからざるの道なり。然れども愛敬は信を以て本と為す。苟も信無くんば、則ち容貌恭謹、言語姁姁たりと雖も、亦以て愛敬と為すに足らざるのみ。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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