言志四録 / 言志晩録 第七条 吾が心の霊明は天なり
人皆知仰而蒼蒼者爲天。俯而隤然者爲地。而不知吾軀皮毛骨骸之爲地。吾心靈明知覺之爲天。
新字:人皆知仰而蒼蒼者為天。俯而隤然者為地。而不知吾躯皮毛骨骸之為地。吾心霊明知覚之為天。
書き下し
人皆、仰ぎて蒼蒼たる者の天たり、俯して隤然たる者の地たるを知る。而るに吾が軀の皮毛骨骸の地たり、吾が心の霊明知覚の天たるを知らず。
現代語訳
人はみな、仰いで青々と広がっているものが天であり、うつむいて柔らかに低く横たわっているものが地であることを知っている。しかし、自分の体の皮膚や毛、骨格が地であり、自分の心の霊妙に明らかな知覚が天であることを知らない。
解説
天地を外にだけ見るのではなく、自分の身の内にも見よと説く条です。仰げば蒼々とした天、俯けば易経繋辞伝にいう「隤然(柔順に低く横たわる)」たる地。誰もがそれを天地と知っていますが、一斎は、自分の皮膚や骨という形あるものが地であり、心の霊明な知覚が天であることには気づかない、と言います。人の身は小さな天地であり、心には天が宿るという考えは、言志四録にくり返し現れる「天」の思想の核です。自分の内なる判断力を天から与えられたものと見れば、それを曇らせないことが自分を大切にすることになります。自分の感覚や良識をどれほど信じ、磨いているかを問い直させる一条です。
この章句が説くこと
天心霊明身体天人合一
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