呻吟語 / 外篇・天地・天を以て自ら處る
吾人渾是一天,故日用起居食總念念時時事事便當以天自處。
新字:吾人渾是一天,故日用起居食総念念時時事事便当以天自処。
書き下し
吾人は渾て是れ一天なり。故に日用起居食は總て念念時時事事便ち當に天を以て自ら處るべし。
現代語訳
私たちはまるごと一つの天です。だから日々の起き伏しも食事も、思いごと時ごと事ごとに、天として自分を処すべきです。
解説
人がそのまま天だという前提から、日常の振る舞いを導きます。起き伏しも食事も、天としての振る舞いだということになります。前に出てきた、心がそのまま天だという段と同じ立場で、こちらは日常の全場面に適用する形です。自分を天として扱うという構えは、慎独の議論とも重なってきます。自分を天として扱う構えは、慎独の議論とも重なります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天日常起居慎独自処
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